第56章:鉄を叩き起こす夜、あるいは泥まみれの整備士
氷刃の谷の最奥、氷の神殿。
猛吹雪の風鳴りを引き裂いて、荒々しいキャタピラの駆動音が飛び込んできた。
ガンドック号に積載されていた小型の雪上強襲艇スキフが、神殿の入り口で強引にターンして雪を散らしながら停止する。
飛び出してきたのは、息を切らしたバルガス、シエラ、ロキ、そしてウラジミールとギリアスだった。
「カイ! カイはどこだ!」
真っ先に飛び出したロキが、神殿の奥へと駆け込む。
そこで彼らの目に飛び込んできたのは、祭壇の横で不気味な心音を刻み続ける巨大な**『赤い繭』**と、その傍らで静かに焚き火に当たる一人の老人だった。
「……遅かったな、ガンドックの泥棒ども」
剣聖アルベルトが、杯の茶を啜りながら一行を見据える。
「あんたは……アルベルト殿。それに、あの繭は一体……!?」
ウラジミールが驚きに目を見開くと、実体化したリトが繭の表面からふわりと姿を現した。
『心配しないで。カイは今、カグツチの出力を完全なものに再構築するために、深い眠りについているの。……教国にある、私のメインコアを取り戻すために』
「ご無沙汰してたな剣聖の爺さん……無事ならいい。だが、のんびり寝かせておいてやれる状況じゃねえぞ」
バルガスがアルベルトを見て言う。
「この谷へ向かって進軍してきている教国の別働隊……数十騎の魔導鎧と数千の歩兵部隊が、明日の明け方にはこの神殿に到達するわ。猶予は、丸一日。二十四時間しかない」
シエラが、手元の携帯情報端末のホログラムを展開し、険しい顔で告げた。
「なら、早く坊主をあの繭ごとスキフに積んでズラかるしか……」
バルガスが吼えるが、アルベルトが静かに首を振った。
「不可能だ。あの繭は、周囲の大地とマナの根脈を繋いで自己修復を行っている。強引に引き剥がせば、機体も小僧の神経も焼き切れるだろう。……迎撃するしかない」
「生身のあんたと、俺たちだけでか? 冗談キツいぜ、ジジイ」
ギリアスがシケた葉巻を噛み潰す。
「だから、お前たちを呼んだのだ。……相応しい乗り手が、運命の糸に引かれてやってくるとな」
アルベルトが指を鳴らすと、神殿の奥に鎮座していた三つの巨大な石像を覆う氷が、パキパキと音を立てて砕け散った。
立ち昇る冷気の中から姿を現したのは、魔法の光など欠片もない、無骨で、泥臭く、しかし圧倒的な「殺意と理ことわり」を具現化したような三機の古代機体だった。
「……こいつは……!」
バルガスたち大人三人の顔つきが、一瞬にして猛禽のように鋭く変わる。歴戦の闘争本能が、目の前の鉄の塊が放つ絶対的な「圧」に共鳴したのだ。
剛を体現する、鈍い赤銅色の超重装甲機。
聖を体現する、白亜と流麗なフォルムを持つ高機動機。
射を体現する、苔色をした長腕の狙撃異形機。
「あの繭が羽化するまで、この三機で神殿を死守しろ」
アルベルトは静かに告げた。
「だが、こいつらは数百年もの間、氷漬けで眠っていた。関節は死後硬直のように固まり、物理動力炉は完全に冷え切っている。わしの気やマナで無理やり解凍しても、機体が自壊するだけだ。実戦投入には、最低でも三日はかかるじゃろうな」
「三日……? 敵は明日の明け方に迫ってんだぞ!」
バルガスが舌打ちをした、その時だった。
「……マナ使いの爺さんには分かんねえだろうがな」
ロキが、腰の工具袋から巨大なスパナを引き抜き、チャキッと音を立てて回した。
その顔には、絶望ではなく、整備士としてのギラギラとした意地が張り付いている。
「鉄ってのはな、ただ温めりゃいいってもんじゃねえ。……『起こし方』があるんだよ!」
ロキは、凍てつく三機の古代機を見上げ、獰猛に笑った。
「二十四時間だ。……明日の夜明けまでに、俺が全部叩き起こしてやる!」
◇
その宣言を皮切りに、氷の神殿は、ガンドック総出の「戦場」と化した。
『――シエラ姉! 第一関節の駆動系のトルク値、教えろ!』
『今、古代言語の設計図からリアルタイムで逆算してるわ! 待って……シリンダー圧、規定値の三倍よ! 普通の工具じゃ回らない!』
『なら力技だ! 親父! ギリアスの兄貴! そこのワイヤー引っ張れ!!』
『おうよ!!』
『人使いの荒いガキだぜ……!』
ロキを現場監督とし、大人たちが泥まみれになって巨大な鉄塊と格闘する。
ロキの強みは、カグツチの整備で培った「機械の痛みが分かる眼」だった。数百年の氷結による致命的な金属疲労や、固着している箇所を、まるで医者のように一瞬で特定していく。
氷点下数十度の神殿内。素手で金属に触れれば皮膚が張り付き、容赦なく体温を奪っていく過酷な環境。
ロキの指先は早々に凍傷で感覚を失い、顔はオイルと煤で真っ黒に汚れ、目には濃い疲労の隈が浮かんでいた。ウラジミールが心配して休憩を勧めるが、ロキは首を縦に振らなかった。
「……あの繭の中で、カイが戦ってんだ。俺がここで、手ぇ抜けるかよ……!」
眠気と極寒を、スパナを叩きつける甲高い金属音で強引にねじ伏せ、ロキの「狂気のチューニング」が続く。
バルガスが乗る【剛】の機体。
「ダンパーの極太シリンダーが完全に錆で癒着してやがる……。シエラ姉、爆薬貸せ!」
ロキはシリンダーの隙間に微量の指向性爆薬をセットし、強引に起爆した。破裂音と共に数百年分の錆が吹き飛び、シリンダーが重い音を立てて可動域を取り戻す。
ウラジミールが乗る【聖】の機体。
「この機体、装甲の隙間がタイトすぎる。雪原の泥が詰まったら一発で機動性が死ぬぞ」
ロキは凍える指で、機体の姿勢制御ジャイロをウラジミールの「片腕」の重心に合わせてミリ単位で再調整し、さらに足首の駆動部にガンドック号の予備パーツで作ったダンパーを強引に増設した。
ギリアスが乗る【射】の機体。
「ロングライフルの排熱弁がイカれてる……これじゃ三発撃っただけで砲身が熱膨張で歪むぞ」
ロキは、スキフに積んであった廃材のパイプをバーナーで炙り、機関部に直接溶接していく。美しさなど欠片もない、冷却効率の限界突破だけを求めた歪な改造。
吹雪の音が、少しずつ弱まっていく。
神殿の入り口から差し込む光が、鉛色から、微かな白白とした色へと変わり始めていた。
ズズン……、ズズズン……!!
ついに、谷の入り口から、軍靴が氷を踏み砕く明確な地鳴りが響き始めた。
一条澪の狂信軍が、射程圏内に到達したのだ。
「……よし」
カキィン、と。
ロキが、最後の一本のボルトを限界まで締め上げた。
「……終わったぜ」
ロキはスパナを放り投げると、そのまま糸が切れたように、氷の床へ大の字に倒れ込んだ。
凍傷で紫色になった指先は震え、息をするのもやっとの状態だ。
「……これで動かなきゃ、ただの鉄クズだ……。さっさと乗れよ、親父、兄貴、ウラジミールの旦那……」
バルガス、ウラジミール、ギリアスの三人は、無言のままそれぞれの機体のコックピットへとよじ登った。
メインコンソールに、物理的な点火キーが押し込まれる。
――グォォォォォォォンッ!!
三機の古代機のモノアイが、一斉に猛烈な光を放った。
数百年の氷を、内側から噴き出す莫大な物理エンジンとスチームの熱で完全に蒸発させ、分厚い蒸気の壁を突き破って、三体の巨神が大地に立ち上がる。
アルベルトが「三日かかる」と言い捨てた古代の遺物は、泥まみれの少年の意地によって、たった二十四時間で完璧な駆動音を響かせていた。
外部スピーカーから、大人たちの声が神殿に響く。
『……最高の仕事だ。ロキ、お前は俺の自慢の息子だよ』
バルガスが、機体の身の丈ほどもある巨大な盾をガシャンと鳴らして笑う。
『油と、泥の匂いがする。……悪くない鎧だ。私の失われた誇りを取り戻すには、十分すぎる』
ウラジミールが、二股に分かれた巨大な騎槍を軽やかにスイングさせ、完璧な重心バランスに目を細める。
『……チップは、弾薬で払うぜ、最高にイカれた整備士メカニック』
ギリアスが、身の丈の倍はある超長距離対物ライフルのボルトを乱暴に引き、巨大な空薬莢をカランッと氷の床に吐き出させた。
地鳴りが、すぐそこまで迫っている。
三機の巨神が、赤い繭を背に庇うように、吹雪の舞う神殿の入り口へと横一列に並び立った。
「……おい!!」
床でへばっていたロキが、最後の力を振り絞って上半身を起こし、血の滲む喉で絶叫した。
「俺の徹夜で調整した機体を……絶対に、壊して帰ってくるんじゃねえぞ!!」
その泥だらけの少年の怒号を背に受け。
かつてそれぞれの理ことわりを極め、傷を負い、そして次世代の羽化を護るために立ち上がった三人の大人が、迫り来る狂信軍へと向けて出撃した。
こうして、極彩色の絶望が世界を覆う中、北の最果てにて反逆の炎が産声を上げた。




