第九十話『灰塵の再会、始まりの地での誓い』
崩落した石材が、乾いた音を立てて転がった。 かつて白磁のように美しかった「賢者の塔」は、今や見る影もなく破壊され、アルキデウスが命を懸けて守り抜いた面影はどこにもなかった。
「……う、ぐ……」
リオスは、瓦礫の山の上でゆっくりと身を起こした。 右腕の黒い結晶は熱を失い、不気味に沈黙している。だが、その代償として、彼の生命力は極限まで削り取られていた。剣を握るどころか、立ち上がることさえ今の彼には過酷な重労働だった。
「リオスくん! 気がつきましたか!」
エリアスが駆け寄り、泥に汚れた手でリオスの肩を支えた。エリアス自身も強制転送の衝撃で服はボロボロになっていたが、学者としての冷静さを必死に保とうとしている。
「先生……みんな、無事か……?」
「ええ。……ですが、状況は芳しくありません」
エリアスの視線の先。 リーナは、かつてアルキデウスが霧散した場所の近くで、力なく膝をついていた。 その瞳に宿っていた意志の光は、深い自責と後悔に塗り潰されている。
「ごめんなさい……私のせいよ。私が……リオスが術式の燃料になってしまうのを怖がって、一瞬だけ躊躇してしまったから……」
リーナの絞り出すような声が、冷たい風に乗って消えていく。 その一瞬の迷いが、三人の調和を崩し、ゼフィアンに付け入る隙を与えてしまった。そして何より、世界を救う唯一の希望であった『星を紡ぐ原液』を奪われるという、最悪の結果を招いた事実に、彼女の心は折れかけていた。
「……自分一人の責任だと思うな。俺も同じだ」
少し離れた石柱の陰で、ゼノスが低く応えた。 彼は短剣を鞘に納めたまま、自身の影が落ちる地面を静かに見つめていた。その瞳には、父ゼフィアンへの激しい憎悪と、それ以上に、手も足も出なかった己の無力さに対する苦い思いが滲んでいる。
「あの男にとって、俺は一族の影を継ぐ者ですらなく……単に排除すべきノイズでしかなかったということだ。血の繋がりだなんだという理屈が、あの圧倒的な闇の前に何一つ通用しないことは……最初から分かっていたはずなんだがな」
親子という繋がりさえ認識されないほどの、絶対的な実力差。 抑制者として生きてきたゼノスにとって、それは理不尽な暴力よりも遥かに冷酷に、彼の自尊心を削り取っていた。
「……情けないな。あれほどの威圧感、我らの一族が守ってきた理が何一つ通じないとは……」
静寂の中に、低く掠れた声が響いた。 監視役のヴァラが、崩れた壁に背を預けて立っていた。彼女はゼフィアンとの直接的な打ち合いこそなかったものの、奴が放った「律動を否定する波動」を至近距離で浴び、さらに強制転送の過負荷に晒されたことで、その顔色は青白く、呼吸も荒い。
「ゼフィアン……あの一族の禁忌を求めて出奔した男が向かう場所は、もはや一つしかあるまい。我らゲイル・テトラが数千年、命を懸けて監視し続けてきた……北の果て、『天蓋山脈』だ」
「天蓋山脈……あそこに眠る、『虚ろの揺り籠』か」
リオスが掠れた声で問う。ヴァラは眉間に皺を寄せ、沈痛な面持ちで空を見上げた。
「奴はかつて一族を抜ける際、『力を以て災厄を滅ぼす』と語っていたと聞く。だが、今の奴が手にしたあの異質な力……。ただの破壊で満足するとは思えん。奪われた原液を、かつて盗まれた秘宝の鍵と組み合わせれば……。まさか奴は、あの『虚ろ』の根源すらも己の支配下に置き、世界を自分の意志で再編しようとしているのではないか」
ヴァラの危惧に、エリアスの顔から血の気が引いた。一族の監視対象である禁忌の力を、破壊ではなく「利用」して世界を書き換える。それは創造主にも等しい傲慢な試みだった。
そのタイムリミットが刻一刻と近づいている。しかし、今のリオスたちには、それに対抗する術は何も残されていなかった。
その時だった。 リーナの胸元で、弱々しく光っていた『律動の心珠』が、不意に微かな共鳴音を上げた。 呼応するように、塔の地下深くから、これまでに感じたことのないほど小さく、しかし暖かな律動が一行の元へと届いた。
「……え?」
リーナが顔を上げる。その「音」は、かつてアルキデウスが自分たちに語りかけた時の優しさに似ていた。
「地下に……何かが残っているわ。……アルキデウス様が、私たちに遺してくれたものが……」
絶望の淵。旅が始まったこの塔の瓦礫の下で、止まりかけていた運命の歯車が、再びゆっくりと動き出そうとしていた。
卓上の語り部でございます。
第九十話『灰塵の再会、始まりの地での誓い』をお届けいたしました。
物語の始まりの地、賢者の塔への帰還。リオス、ゼノス、リーナ、それぞれが敗北の痛みと自らの課題を突きつけられる回となりました。
実の父に「個」としてすら認識されなかった冷徹な現実を噛み締めるゼノス。一族の誇りと技が通じなかった衝撃を隠せないヴァラ。そして、仲間への想いゆえに迷いが生じたリーナ。圧倒的な実力差の前に、一行はかつてない窮地に立たされています。
すべてを失ったかのように見える一同ですが、亡き恩人アルキデウスが遺した「最後の希望」が地下で彼らを呼んでいます。ここからいかにして立ち上がり、奪われたものを取り戻すのか。
次回、塔の地下に眠る真実。彼らが踏み出す「再起」の第一歩を、どうぞ見届けてください。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




