第八十九話『破綻する調和、黒き盟主の蹂躙』
聖域の黄金の静寂は、黒鋼の鎧に包まれた男――ゼフィアンが放つ威圧感によって、物理的な重圧へと変質していた。 彼が携える大剣の表面を走る黒紫色の律動が、大樹の放つ輝きを毒のように侵食していく。
「……ッ、やらせるか!」
ゼノスが地を蹴った。 『影纏いの短剣』を握る手に、凄まじい力がこもる。 かつて一族を、世話になった部族を裏切り、ようやく手にした安住の地・ウィスパーウッドを火の海に変えた男。たとえ実の父であろうと、今のゼノスにとってそれは、断じて許すことのできない「憎悪の対象」でしかなかった。
「消えろ……ッ!」
ゼノスの影が生き物のように蠢き、ゼフィアンの足元へ殺到する。ゼノスがこれまで培ってきた、極めて綿密で複雑な周波数の影。だが、ゼフィアンは眉一つ動かさず、大剣の石突を一度、地面に叩きつけた。
「――無益だ」
パァンッ!
乾いた音と共に、ゼノスの影が霧散した。力による制圧ではない。ゼフィアンはゼノスの影の律動を瞬時に見極め、それと完全に逆の波形――『逆位相の黒律』をぶつけ、影の存在そのものを相殺したのだ。
「がはっ……!?」
影の制御を強引に奪われた反動で、ゼノスが地面を転がる。その様子を、ゼフィアンはゴミを見るような冷徹な目で見下ろした。その瞳に、かつて別れた息子への慈しみは微塵もなかった。
「リーナさん、今です! 術式を!」
エリアスの切迫した叫びに、リーナは震える手で『星を紡ぐ原液』へと意識を向けた。 だが、彼女の指先は動かなかった。
(この術式を発動させれば、リオスの腕の虚ろを燃やすことになる……。世界は救えるかもしれない。けれど、リオス自身はどうなるの? 彼は……消えてしまうんじゃないの!?)
愛する者の安否を想うあまりに生じた、刹那の躊躇。 その迷いが、三人の調和を致命的に狂わせた。 本来、三人の同期によって完成するはずの聖なる術式は、リーナの「恐れ」、リオスの「衰弱」、そしてゼノスの「憎悪」という不協和音を奏で、起動しかけた術式回路が火花を散らして崩壊していく。
「調和の術式か。エルフらしい、脆弱で退屈な思想だ」
ゼフィアンが嘲笑と共に、大樹の最深部――黄金の原液が収められた器へと手を伸ばす。
「貴様らのような弱者に、星を救う資格はない。この力は、私が『黒律』の糧として真に使いこなしてやろう。因果を力でねじ伏せ、虚ろの揺り籠ごと、この呪われた循環を終わらせるのだ」
ゼフィアンが原液を掴み取った瞬間、彼の纏う闇が黄金の輝きを強引に呑み込み、目を焼くような白紫色の閃光を放った。
「ぐ、あああぁぁぁッ!!」
ゼフィアンの叫び。しかしそれは苦痛ではなく、次元を超越したエネルギーが肉体に流れ込む歓喜の咆哮だった。 彼の鎧はさらに禍々しく変質し、手にした大剣は空間そのものを削り取る『反律動』の波動を帯び始める。
「終わらせてくれる……すべてを」
彼が剣を振り上げた刹那、聖域の大樹そのものが、致命的なエラーを検知して激しく震動した。
『――管理人への致命的な脅威を確認。緊急防衛プロトコルを起動。代行管理人の生存を最優先します。』
管理端末の幻影が、最後に悲しげな眼差しをリーナに向けた。 次の瞬間、リオスたちの足元の空間が、巨大な渦となって彼らを飲み込んだ。
「待て、原液を――!」
エリアスの叫びも、ゼノスの怒号も、白光の中に消えていった。
…… …………
頬を撫でる、冷たく乾いた風。 リオスがゆっくりと目を開けると、そこには見覚えのある、白磁の破片が散らばる廃墟があった。 かつてアルキデウスが命を懸けて自分たちを送り出した場所。
一行が転送された先は、今はもう主のいない『賢者の塔』の残骸だった。
卓上の語り部でございます。
第八十九話『破綻する調和、黒き盟主の蹂躙』をお届けいたしました。
絶望的な敗北。盟主ゼフィアンの圧倒的な力、およびゼノスの影すらも軽々と打ち消す「逆位相の黒律」の前に、三人の絆はまだ完成に至りませんでした。「星を紡ぐ原液」は奪われ、ゼフィアンは世界を破壊しうる「反律動」の力を手にしました。
そして、リーナの心に影を落としたのは、リオスを術式の燃料として失うことへの恐怖。調和が崩れたその一瞬が、取り返しのつかない事態を招いてしまいました。
緊急転送によって辿り着いた、旅の始まりの地「賢者の塔」。 リオスの変質、ゼノスの父への憎悪、およびリーナの自責。 最悪の状況から、彼らはどう再起を果たすのか。
物語は、それぞれの欠落を埋めるための真の試練へと突入します。どうぞ、引き続き彼らの行く末を見守ってください。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




