第八十話『静寂の審判、風の囁き』
『静寂の間』と呼ばれるその場所は、里の最下層、岩盤を深く穿った先にあった。 部屋の壁面には、律動の伝播を抑制する特殊な鉱石――『阻律石』が敷き詰められており、外界の音も、地脈を流れる律動の唸りも届かない。そこにあるのは、耳が痛くなるほどの完全な静寂だった。
リオスは、石造りの寝台に横たえられていた。 彼の右半身を覆う黒い結晶は、この静寂の中でもなお、内側から脈打つように禍々しい光を放っている。
「……う、ぐ……ぁ……」
リオスの唇から、苦しげな呻きが漏れる。 意識はないはずだが、その身体は内側から「虚ろ」に喰い破られる痛みに耐え続けていた。
「リオス……!」
リーナがその傍らに寄り添い、祈るように『心珠』を掲げる。心珠の柔らかな碧い光が、リオスの周囲の闇をかろうじて押し留めていた。だが、そのリーナの顔にも隠しきれない疲労が滲んでいる。
「リーナさん、無理をしないでください。あなたの律動も限界に近い」
エリアスが、彼女の肩に優しく手を置いた。エリアス自身も、この里の圧倒的な「抑制された空気」に息苦しさを感じていたが、学術的な好奇心よりも、仲間を案じる気持ちが勝っていた。
「……先生、あいつはどうなる? 里の奴らは、殺す気満々だったが」
部屋の隅、壁に背を預けたゼノスが低く問いかけた。彼の視線は、扉の向こうに控えているであろう同胞たちの気配に向けられている。
「正直に申し上げましょう。彼の右腕の状態は、医学的にも錬金術的にも, 説明がつきません。……ただ一つ言えるのは、あの『星喰の剣』が、虚無の力を強引に繋ぎ止めているということです。もし剣がなければ、リオスくんは一瞬で消滅していたでしょう」
エリアスの言葉に、ゼノスは苦々しく鼻を鳴らした。
その時、重厚な石の扉が静かに開いた。 現れたのは、銀髪の老婆――里の長老だった。彼女は音もなく歩み寄り、寝台のリオスを見下ろした。
「……やはりな。『星喰の剣』……旧き民が、世界を喰らう牙として作り上げた禁忌の器。それが、これほどまでに適合しているとは」
長老の声は、枯れ木の擦れるような音色を帯びていた。
「長老。……あんたなら、リオスを助けられるのか?」
ゼノスの問いに、長老はゆっくりと首を振った。そして、濁った瞳をリオスからゼノスへと移し、どこか慈しむような、それでいて寂しげな光を宿した。
「助ける、という概念がこの男に当てはまるかは分からぬ。……それよりも、ゼノスよ。お前は私の姉によく似てきたな」
ゼノスが、思わず息を呑んだ。
「……姉? 婆様の、ことか」
「そうだ。かつて北の地が崩壊し、あの子僧が姉の裾を掴んで泣きじゃくりながら逃げ延びたと聞いたときは、案じたものだが……。これほど逞しく、誠実に影を纏うようになるとはな。立派になったものだ、ゼノス」
長老の言葉に、ゼノスは戸惑いを隠せない。彼にとって、自分の一族は記憶の彼方にある存在だった。
「……あんた、婆様の妹なのか。……だったら、俺の親父のことも……」
「お前の父、ゼフィアンか。あやつは、姉がお前を後継に選んだことを最後まで受け入れられなんだ。力を追い求め、里を捨てて久しい。……その先にあるのが、虚無か、あるいは歪んだ律動か。それは誰にも分からぬがな」
長老はわずかに目を細めると、再びリオスの黒い腕を指差した。
「理を守るとは、時に理の外にあるものを『切り捨てる』ことを意味する。我らゲイル・テトラにとって、この男を処断することは、数千年変わらぬ正義だ。里の者たちの敵意は、正当なものなのだよ」
「そんなの……ひどすぎます!」
リーナが声を震わせ、長老に向き直った。
「リオスは、みんなを助けるために……! その『正義』とやらが、一人の若者を見捨てることだというなら、私はそんなの認めません!」
「……『鍵』を継ぐ娘よ。お前の放つ律動は、確かに清らかだ」
長老の視線が、リーナを射抜く。
「だが、お前が成そうとしている『律動の再誕』は、世界そのものを書き換える儀式だ。……そのためには、汚濁を飲み込み、昇華させる強力な『器』が必要となる。……奇しくも、この男は今、その資格を得てしまった。かつてのエルフたちが夢見た、完全なる律動の循環。その礎となるか、あるいは、内側から崩壊し、この里ごと世界を無に還すか。……それは、我らにも分からぬ」
長老は一度言葉を切り、リオスの胸元に手をかざした。 微かな風が吹き抜け、リオスの荒い呼吸が少しだけ落ち着く。
「……今夜、長老会が開かれる。この男を滅ぼすか、あるいは世界の運命を託す賭けに出るか。……若者たちよ、お前たちの覚悟も、そこで問われることになるだろう」
長老はそう言い残すと、再び風のように去っていった。
静寂の間に、再び重苦しい沈黙が降りる。 ゼノスは短剣の柄を強く握りしめ、エリアスは手帳を見つめたまま考え込んだ。
リーナは、少しだけ穏やかな表情になったリオスの手を、両手で包み込んだ。 リオスの手は、結晶化の熱でまだ熱かった。
「……信じてるわ、リオス。……あなたは、負けたりしない」
閉ざされた里の奥深く。 世界の命運を懸けた、静かな審判の時間が始まろうとしていた。
卓上の語り部でございます。
第八十話『静寂の審判、風の囁き』をお届けいたしました。
一行が辿り着いた「ゲイル・テトラ」の里は、彼らを歓迎する場所ではなく、極限の「選択」を迫る場所でした。リオスが宿した力は、一族の掟に照らせば滅ぼすべき対象。しかし、長老は彼が「律動の再誕」に不可欠な「器」としての変質を遂げたことを示唆します。
そして、ゼノスのルーツ。長老が彼の祖母の妹であることが明かされ、離れ離れになっていた親子の複雑な因縁が影を落とし始めます。リオスの命を救いたいというリーナの純粋な願いと、一族の宿命を背負うゼノスの葛藤、そして事態を客観的に見つめるエリアス。 「正義」と「希望」が複雑に絡み合う中で、長老会という大きな山場を迎えることになります。
リオスの意識はいつ戻るのか、そして里が下す結論とは。 物語は一つの大きな転換点を迎えます。どうぞ、引き続き彼らの行く末を見守ってください。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




