第七十六話『虚無を喰らう牙、歪な進化の果て』
「『喰って』やった……だと?」
盟約者のリーダーの顔から、余裕という仮面が完全に剥がれ落ちた。
彼が信奉し、神聖視すらしていた『原初の虚ろ』。それが、たかだか人間一人の、それも旧時代の遺物ごときに捕食されたという事実は、彼の狂信的な世界観を根底から揺るがすものだった。
「認めん……そのようなデタラメな存在、断じて認めんぞ!」
リーダーが激昂し、杖を振りかざす。
その瞬間、リオスの周囲の空間が軋みを上げて歪んだ。全方向からの不可視・圧殺攻撃。ゼノスを一撃で吹き飛ばした、あの重力制御の黒律だ。
ドォォォン!
爆音が響き、リオスの足元の岩盤がクレーター状に陥没する。
土煙が舞い上がる中、エリアスが息を呑んだ。直撃だ。いかに強化されたとはいえ、生身の人間が耐えられる威力ではない。
だが。
「……効かねぇな」
土煙の中から、低い声が響いた。
煙が晴れると、そこには悠然と佇むリオスの姿があった。彼を押し潰そうとした強大な重力エネルギーは、直撃する寸前で彼の右半身を覆う黒い結晶体と、青白く輝く『星喰の剣』へと吸い寄せられ、塵一つ残さず飲み込まれていく。
「なっ……私の放った黒律を、吸収している!?」
「言っただろ。腹いっぱい喰ったってな。……まだ足りねぇみたいだ」
リオスの右目が、ギラリと青白い光を放つ。
その言葉と同時、彼が動いた。
速い。
これまでのリオスの動きとは、次元が違っていた。足元の岩盤を砕き、砲弾のようにリーダーへと肉薄する。
「させるか!」
リーダーが杖を突き出し、自身の前方に空間の断層を作り出す。物理的な干渉を一切拒絶する、絶対防御の障壁。
しかし、リオスは止まらない。彼は防御壁の前で急停止するどころか、さらに加速して『星喰の剣』を突き出した。
「こじ開ける!」
剣の先端が空間の断層に触れた瞬間、耳をつんざくような高周波音が鳴り響いた。
青白い光と紫色の闇が激しく衝突し、火花を散らす。
「馬鹿な! 空間そのものを断ち切ろうとしているのか!?」
「オォォォォォッ!」
リオスの咆哮と共に、剣の輝きが爆発的に増した。
パリン、という硬質な音が響き、空間の断層に亀裂が走る。次の瞬間、絶対防御の壁はガラス細工のように砕け散った。
「ぐぁっ!?」
余波で吹き飛ばされたリーダーが、地面を転がる。彼はすぐに体勢を立て直したが、その表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。
「……貴様、本当に人間か……!?」
リーダーが怯えたように呻く。
リオスの様子は尋常ではなかった。肩で荒い息をし、全身から大量の汗が噴き出している。右半身の黒い結晶は、脈打つたびに彼の肉体に深く食い込み、神経を灼き切るような激痛をもたらしていた。
「ハァ……ハァ……。うるせぇよ。これは俺が選んだ力だ」
リオスは激痛を意志の力でねじ伏せ、剣を構え直す。剣から流れ込んでくるのは、強大な力と引き換えの、底なしの飢餓感。気を抜けば、目に入るもの全てを喰らい尽くしてしまいそうな危うさがあった。
「いいだろう。そこまでして『進化』を拒むというのなら、私自らが引導を渡してやる。旧人類のなり損ないが!」
リーダーが羽織っていた豪奢なローブを脱ぎ捨てた。
その下に隠されていた肉体を見て、ゼノスが眉をひそめる。
「……ひどい姿だ。お前も人のことは言えないな」
リーダーの体は、半ば機械化していた。いや、機械というよりは、遺跡から発掘された古代の制御ユニットそのものを、肉体に無理やり埋め込んだような醜悪な姿だった。胸部には紫色の動力炉が埋め込まれ、そこから伸びる無数のチューブや金属部品が、彼の四肢を強制的に動かしている。
「これぞ古代の叡智と肉体の融合! 歪んだ律動を制御するために私が到達した、至高の肉体だ!」
リーダーの胸の動力炉が激しく回転を始め、ドーム全体の地脈エネルギーが彼に集中していく。
「この一撃で、貴様もろとも塵に還してくれる!」
リーダーが両手を掲げ、ドーム全体を震わせるほどの声量で古代語を叫んだ。
「Spatium Comprimere... Collapsus!」
刹那、リオスを中心とした直径十メートルほどの空間が、急速に収縮を始めた。範囲内の物質を極限まで圧縮し、対消滅させる最大の黒律。逃げ場など、どこにもない。
「いけません、リオスくん! それは空間そのものを圧潰させる、回避不能の絶対破壊です!」
エリアスの悲鳴のような警告が響く。
だが、リオスは動かなかった。防御の姿勢すら取らず、ただ、迫りくる破滅のエネルギーを見据えていた。
(……腹が、減った)
彼を突き動かしたのは、生存本能ですらなかった。
右腕と一体化した剣が、目の前の御馳走を前にして、涎を垂らす獣のように脈打ったのだ。
「喰らい尽くせ」
リオスが小さく呟き、剣を無造作に振るった。
次の瞬間、信じ難い光景が広がった。
リオスを押し潰そうとしていた空間圧縮のエネルギーが、まるで巨大な掃除機に吸い込まれる塵のように、剣の刀身へと渦を巻いて収束したのだ。
ジュゴォォォォッ!
空間が歪むような不快な音と共に、必殺の黒律は跡形もなく消滅した。
「は……? 馬鹿な……私の、至高の黒律が……喰われた……?」
リーダーが呆然と立ち尽くす。
彼の目の前には、莫大なエネルギーを飲み込み、さらに青白く、禍々しい輝きを放つ剣を持ったリオスが立っていた。
「ごちそうさん。……で、次はどうする?」
リオスが冷酷な瞳でリーダーを見据える。
その問いかけに答える間もなく、リーダーは背を向け、無様に逃げ出した。
「ひ、ひいぃぃっ! 化け物! お前は人間じゃない! 『虚無』そのものだ!」
「逃がすかよ」
リオスが再び剣を振るう。
今度は、剣から青白い斬撃の波が放たれた。それは先ほど喰らった空間圧縮のエネルギーを、純粋な破壊の力として再放出したものだった。
「S、Spatium... ぐぁぁぁぁぁぁぁ----!!」
逃げ惑うリーダーの体が、防御障壁を展開する暇もなく、青い光の奔流に飲み込まれた。
断末魔の叫びは一瞬でかき消え、光が収まった後には、リーダーの姿はおろか、彼が立っていた地面すらもが半円状にえぐり取られ、何も残ってはいなかった。
卓上の語り部でございます。
第七十六話『虚無を喰らう牙、歪な進化の果て』をお届けいたしました。
「原初の虚ろ」という、理不尽そのものの力を取り込んだリオス。その力は、これまでの戦いの常識を根底から覆すものでした。盟約者のリーダーが誇った至高の黒律すらも、今のリオスにとっては、飢えた剣を満たすための「餌」に過ぎませんでした。
圧倒的な破壊を撒き散らしてきたリーダーが、最期に「化け物」と叫んで逃げ惑う様は、リオスが手にした力の異質さと恐ろしさを何よりも雄弁に物語っています。
しかし、勝利の代償は小さくありません。右半身を侵食する黒い結晶と、意識を塗りつぶさんとする底なしの飢餓感。敵を消し去った今、その牙はどこへ向かうのか。そして、変貌したリオスを目の当たりにしたリーナ、ゼノス、エリアスは何を思うのか。
断絶の山脈における死闘は決着しましたが、リオス自身の「内なる戦い」はここからが正念場となります。
次回、嵐の去った後の静寂の中で、彼らが直面する現実とは。 物語は一つの節目を迎え、新たな展開へと動き出します。どうぞお楽しみに。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説、登場人物たちのこれまでの歩みなどは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。激闘の合間に、ぜひ設定の裏側も覗いてみてください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




