閑話 其の七『机上の実験室と、破壊的な手料理』
ゼノスとリオスが部屋を出て行き、扉がバタンと閉まると、部屋には静寂が戻った。 窓の外からは、荒野の夜風の音と、遠く酒場の喧騒が微かに聞こえてくる。
「さて、始めましょうか」
エリアスは眼鏡の位置を正すと、机の上に広げた錬金術の道具に向き合った。奇妙な形のガラスフラスコ、小さな乳鉢と乳棒、そして乾燥した薬草や鉱石の粉末。彼にとっての神聖な作業場だ。
「はいっ! 先生、よろしくお願いします!」
リーナは期待に目を輝かせ、机の向かい側に座った。彼女にとって、古代の知識を操るエリアスの手元は、まるで世界の秘密を解き明かすかのように見え、心を強く惹きつけるのだ。
「ではリーナさん、そこの青い薬草を乳鉢で粉末状にしてください。あまり力を入れすぎず、繊維を断ち切るように……」
「はい、分かりました! えっと、こうして、こう……」
ゴリッ、ゴリッ、ゴリリッ!
リーナが乳棒を握りしめ、気合を入れてすり潰し始めた瞬間、鈍い音が響いた。
「あ」
「……力が強すぎますね」
見ると、乳鉢の中の薬草は粉末になるどころか、強い圧力で押し潰され、粘土のような塊になっていた。しかも、勢い余って貴重な粉末の一部が机の上に飛び散っている。
「うぅ……ごめんなさい、先生」
リーナがしょんぼりと肩を落とす。
「いえ、最初は加減が難しいものです。では次は、こちらの赤い液体と透明な液体を、一滴ずつ、ゆっくりと混ぜ合わせてみましょう。順番を間違えると発火しますから、慎重に」
「はい、慎重に……一滴ずつ……」
リーナは震える手でスポイトを持ち、慎重に液体を滴下しようとした。 ポチョン。 一滴目が落ちた。フラスコの中の液体が薄いピンク色に変わる。ここまでは順調だ。
「よし、次はこっちの透明な方を……」
緊張のあまり、彼女の手元が狂った。スポイトから、ツーッと一筋の液体が流れ落ちてしまった。
ボォンッ!
小さな爆発音と共に、フラスコの口から白い煙がモクモクと噴き出した。
「きゃあっ!?」
「……ふむ。中和剤を入れる前でしたか。派手な煙幕ができましたね」
エリアスは顔色一つ変えず、手際よく窓を開けて煙を逃がした。リーナはススで少し黒くなった顔で、涙目になっている。
「うぅぅ……また失敗しちゃいました。私、錬金術に向いてないんでしょうか……」
エリアスは溜息をつき、眼鏡を外して布で拭き始めた。
「リーナさん。少し、質問してもよろしいですか?」
「はい? 何でしょうか」
エリアスは拭き終わった眼鏡をかけ直し、真剣な眼差しでリーナを見た。
「あなたは普段、料理はされますか?」
「え、料理ですか? ……えっと、その、あんまり得意じゃないというか……」
リーナが視線を逸らし、モジモジし始める。
「村にいた頃、一度だけリオスに、張り切って特製スープを作ったことがあるんです。森で採れたキノコとか、体に良さそうな薬草とか、いっぱい入れて」
「ほう。それで、リオスくんの反応は?」
「えっと……すごく嬉しそうに『ありがとう、リーナ!』って言ってくれて、一口食べたんですけど……」
リーナは遠い目をした。
「……そのまま笑顔で、白目を剥いて後ろに倒れちゃいました。三日くらい熱を出して寝込んじゃって……それ以来、村の人たちに『リーナに台所を触らせるな』って言われるようになっちゃって……」
「…………」
エリアスは数秒間沈黙した。リオスが強靭な肉体を持っていたから良かったようなものの、一般人なら命に関わっていたかもしれない。
「……なるほど。状況は理解しました」
エリアスは静かに頷き、机の上の散らかった実験道具を片付け始めた。
「先生? あの、錬金術の続きは……」
「リーナさん。今日は錬金術の講義はここまでにしましょう。代わりに、もっと基礎的なことから始めるべきです」
「き、基礎的なこと? あ、でも私、旅の途中で干し肉とパンを煮たスープなら作ったことありますよ! あれはリオスもゼノスも食べてくれました!」
リーナが思い出したように反論する。確かに、賢者の塔を去った後の辛い時期、彼女は懸命に食事を用意したことがあった。
しかし、エリアスは静かに首を横に振った。
「リーナさん。それは、すでに加工されて安全が保証されている保存食を、ただお湯で戻しただけです。失敗のしようがありません」
「うぐっ……」
リーナは言葉に詰まった。図星だった。
「ですが、リオスくんが倒れた時のスープはどうでしたか? あなたが『良かれと思って』、性質をよく知らないキノコや薬草を、適当な分量で混ぜ合わせたのではありませんか?」
「……はい。その通りです。美味しくなるかなって、いろいろ入れちゃって……」
「それが問題なのです。錬金術も料理も、根底にある理屈は同じです。素材の特性を理解せず、適切な分量と手順を守らなければ、美味しい料理は毒になり、癒やしの薬は爆弾になります」
エリアスは先程爆発したフラスコを指差した。リーナはバツが悪そうに俯いた。
「まずは『本当の意味での』料理の上達から目指しましょう。素材を知り、組み合わせを学ぶ。それが、錬金術への一番の近道かもしれませんよ」
「……分かりました! 私、頑張ります! まずは保存食じゃなくて、生の食材から、リオスが気絶しないスープを作れるようになります!」
「ええ、その意気です。……ただ、味見は必ず自分でするようにしてくださいね。リオスくんの身のためにも」
静かな夜の部屋で、新たな、そして少し険しい目標を見つけた少女と、それを温かく(そしてかなりの不安と共に)見守る学者の姿があった。
卓上の語り部でございます。
今回は前回の続きとして、もう一つの閑話『机上の実験室と、破壊的な手料理』をお届けいたしました。
男たちが酒場で熱い(そして苦い)夜を過ごしている裏で、宿の部屋では別の意味で「爆発的な」事態が進行していたようです。
リーナの古代技術への飽くなき好奇心は素晴らしいものでしたが、どうやらその才能の方向性は、エリアスの想定よりも少々ワイルドだったようです。 そして明かされた、衝撃の過去。「リオス気絶事件」の真相。
以前の閑話で彼女が振る舞ったスープが、単に保存食を戻しただけの「安全な代物」であったことは、強調しておかねばなりません。(そうでなければ、リオスとゼノスはとっくに……)
そんな彼女に対し、根気強く「基礎」の大切さを説くエリアス。彼の学者としての、そして教育者としての懐の深さが垣間見えるエピソードでした。 今後、リーナの料理の腕前が上達し、リオスの胃袋の安全が確保される日が来ることを、切に願うばかりです。
さて、二回にわたる閑話で彼らの束の間の休息を描いてまいりましたが、次回はいよいよ本編に戻ります。 準備を整えた一行は、未知の領域「断絶の山脈」へと足を踏み入れます。そこで彼らを待ち受けるものとは。
引き続き、彼らの冒険をどうぞお楽しみください。
P.S. 本作の世界観設定や登場人物の紹介、アヴェリアにある大陸の地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




