閑話 其の六『荒野の夜、男たちの盃と苦い味』
宿場町ロックウェルに到着した翌日。 灼熱の太陽が西の地平線に沈み、赤茶けた大地が群青色の夜に包まれ始めた頃。リオスたちは、翌日からの旅に向けた物資の買い出しを終え、宿に戻ってきていた。
大量の水袋や保存食、そしてエリアスが厳選した薬の材料などが部屋の隅に積み上げられている。
「ふぅ、これでとりあえず必要なものは揃ったな」
リオスが荷物を整理しながら、満足げに息をついた。丸一日の買い物で体は疲れているはずだが、久しぶりの安全な街での活動に、精神的には充実しているようだ。
「ええ。特に水質浄化薬の素材が手に入ったのは大きいですね。これで現地の水もある程度は利用できます」
エリアスが机の上に奇妙な色の薬草や鉱石を並べ、早速作業の準備を始めている。
「じゃあ、飯にするか?」
ゼノスが寝台から起き上がり、凝り固まった肩を回した。
「いえ、私はこのまま作業に入ります。この薬は調合に時間がかかりますので。夕食は部屋で簡単に済ませますよ」
「私も! 先生のお手伝いしながら、古代の錬金術についてもっと聞きたい!」
リーナが目を輝かせて手を挙げた。彼女にとって、エリアスの作業を見ることは何よりの娯楽であり、学びの場なのだ。
「フン。相変わらず研究熱心なこった」
ゼノスは呆れたように肩をすくめたが、その口元は僅かに緩んでいた。久しぶりの街の夜を楽しみにしていたのだろう。
「まぁいい、俺は外で食ってくる。ついでに一杯やってくるか」
そう言って、ゼノスが腰の剣帯を直しながら部屋を出て行こうとした時だった。
「待って、ゼノス。俺も行っていいか?」
リオスが呼び止めた。
「うん? お前もか? 酒場だぞ?」
「うん。なんだか、ちょっと興味があって」
リオスは少し照れくさそうに頬を掻いた。村では祭りの時にエールを少し舐めた程度だ。だが、この過酷な旅を経て、自分も少しは「大人の男」の領域に足を踏み入れたような気がしていたのだ。
ゼノスはリオスの顔をじっと見つめた後、ニヤリと笑った。
「フン、物好きな奴だ。いいだろう、ついて来い。大人の酒ってやつを教えてやる」
宿から少し離れた場所にある酒場は、昼間以上の熱気と喧騒に包まわれていた。 商隊の護衛たち、一攫千金を夢見る冒険者、訳ありの荒くれ者たち。様々な人種の男たちが、安酒を煽り、大声で笑い、賭け事に興じている。ムッとするような熱気と、酒と汗の臭いが充満していた。
「うわ、すごい人だな……」
その雰囲気に気圧されそうになるリオスをよそに、ゼノスは慣れた様子でカウンターの空き席に座り、木のテーブルをコツコツと叩いた。
「おい親父、ここの一番強いやつを二つだ」
「あいよ! 『火酒』二丁!」
マスターが薄汚れたグラスに、琥珀色の液体を並々と注ぐ。ツンとした強烈なアルコールの刺激臭が、リオスの鼻腔を突き刺した。
「ほらよ、リオス。これが荒野の歓迎だ」
ゼノスがグラスの一つをリオスの前に滑らせる。
「こ、これが……」
リオスは恐る恐るグラスを手に取った。見た目はただの水のように澄んでいるが、匂いだけで酔いが回りそうだ。
「乾杯だ。これまで生き残れた幸運と、これからの戦いにな」
ゼノスが自分のグラスを掲げる。リオスも見よう見まねでグラスを合わせる。
カチン、と乾いた音が鳴った。
ゼノスは一気にグラスの半分を呷った。
「……フゥ。効くな。この喉を焼く感覚、たまには悪くない」
リオスも意を決して、グラスに口をつけた。
「……んぐっ!?」
その瞬間、リオスの表情が劇的に歪んだ。 味なんてものはない。ただ、焼けるような刺激が舌を麻痺させ、喉を灼き、食道を通って胃袋で爆発したような感覚。
「ぶふっ! けほっ、げほっ……! な、なんだこれ!? 毒!?」
涙目になりながら咳き込むリオスを見て、ゼノスが喉の奥でククッと笑った。
「いい反応だ。そいつはな、『火酒』って言って、サボテンを発酵させて蒸留したもんだ。水より安くて、すぐに酔える。この辺りの連中が好んで飲む代物さ」
「こ、こんなのが……信じられない……」
リオスは涙を拭いながら、恨めしそうにグラスを睨んだ。喉がまだヒリヒリしている。
「ま、無理するな。水で割って飲め。慣れないうちはそれが一番だ」
ゼノスが水差しを注文してくれた。リオスは言われた通り、火酒をたっぷりの水で薄めた。ようやく、まともに飲める代物になった。
薄めた酒をちびちびと飲みながら、リオスは隣で平然と強い酒を煽るゼノスの横顔を見た。
「……なぁ、ゼノス。ゼノスは強いな」
「うん? 酒のことか?」
「いや、それもそうだけど……。喧嘩も強いし、どんな時でも動じない。遺跡であんな映像を見ても、すぐに立ち直って、自分のやるべきことを見つけた」
リオスはグラスの縁を指でなぞりながら、ぽつりと漏らした。
「俺は、村を出た時はただ必死だった。でも今は、自分が背負ってるものの重さに、時々押し潰されそうになる。世界の命運とか、村の期待とか……。俺に本当にできるのかなって」
酒のせいか、普段は口にしない弱音がこぼれた。
ゼノスはグラスを置き、しばらく黙ってリオスを見ていたが、やがて静かに口を開いた。
「重くて当然だ。お前が持ってるその剣は、ただの鉄の塊じゃないんだからな」
彼は自分の胸元を軽く叩いた。
「俺だって同じだ。一族の汚名、数千年の歴史……そんなもんをいきなり背負わされて、平気な顔をしてる方がどうかしてる。正直、全て放り出して逃げ出したい時だってあるさ」
「え、ゼノスも?」
「当たり前だ。俺は聖人君子じゃない。ただの傭兵だ」
ゼノスはニヤリと笑い、リオスの頭を乱暴に撫でた。
「だがな、逃げても何も変わらない。だったら、腹を括るしかないだろう。……それに、お前は一人じゃない」
ゼノスの大きな手が、不器用にリオスの肩を叩く。
「面倒くさい先生もいるし、お前が惚れた女もいる。そして、俺もな。背負いきれない荷物は、分けて持てばいい」
「……!」
リオスは顔を真っ赤にした。
「ほ、惚れただなんて! 俺はそんなつもりじゃ……!」
「ハッ、分かりやすい奴だ。まぁ、いいさ」
ゼノスは面白そうに笑い、自分のグラスを掲げた。
「乾杯しよう。俺たちの、これからの旅に」
リオスも照れ隠しのようにグラスを合わせた。
「……うん。ありがとう、ゼノス」
夜は更けていく。喧騒に満ちた荒野の酒場で、男たちの不器用な語らいは、もう少しだけ続いたのだった。
卓上の語り部でございます。
今回は本編の幕間として、閑話『荒野の夜、男たちの盃と苦い味』をお届けいたしました。
過酷な荒野の旅、そして迫りくる「闇の盟約者」の影。張り詰めた状況が続く中、束の間の休息として、男たちの不器用な語らいの夜を描かせていただきました。
リオスにとっては、まさに「荒野の洗礼」とも言える強烈な火酒の初体験でした。あの味と刺激は、きっと忘れられない思い出となったことでしょう。
そして、酒の力を借りて語られた本音。世界の命運を背負う重圧に押し潰されそうになるリオスと、一族の歴史という重荷を背負いながらも、それを「分けて持てばいい」と諭すゼノス。二人の精神的な成長と、確かな絆を感じ取っていただけたなら幸いです。
……それにしても、ゼノスからリーナへの想いを指摘された時のリオスの反応は、実に分かりやすかったですね。彼らの関係が今後どう進展していくのかも、温かく見守っていただければと思います。
さて、次回ですが、男たちが酒場で語らっていた頃、宿に残ったエリアスとリーナはどう過ごしていたのでしょうか?
錬金術の作業を進めるエリアスと、彼から古代の知識を学ぼうとするリーナ。知的好奇心に満ちた、もう一つの静かな夜の様子を、次回の閑話としてお届けする予定です。
どうぞお楽しみに。
P.S.本作の世界観設定や登場人物の紹介、アヴェリアにある大陸の地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




