第六十五話『荒野の休息地、砂塵に混じる不穏な影』
陽炎が揺らめく赤茶けた地平線の彼方に、その影が現れた時、リオスは自分の目を疑った。
「おーい、みんな! あれ、町じゃないか!?」
先頭を歩いていたリオスが声を張り上げる。 連日の野営と、エリアスの錬金術で作った生温かい水での生活に、一行の疲労はピークに達していた。そんな彼らにとって、それは砂漠の蜃気楼のように思えた。
「……間違いありません。地図にある中継地点、宿場町『ロックウェル』です」
エリアスが地図と照らし合わせ、安堵の息を漏らす。
「やっとまともなベッドで寝られる……。冷たい水も飲めるかな」
リーナが乾いた唇を舐める。彼女の足取りも、心なしか軽くなったようだ。
「フン。油断するな。人が集まる場所には、魔物とは違う種類の危険がある」
ゼノスはそう憎まれ口を叩きながらも、その表情は少し緩んでいた。彼にとっても、この灼熱の行軍は堪えるものだったようだ。
近づくにつれ、その全貌が明らかになってきた。 ロックウェルは、平原の中央に突き出した巨大な岩山を利用して作られた町だった。岩盤をくり抜いた住居や、日干し煉瓦を積み上げた堅牢な建物が並び、周囲は魔物除けの石壁で囲まれている。 乾いた風に乗って、家畜の臭いや、何かが煮炊きされる生活の匂いが漂ってきた。久しぶりに嗅ぐ「人の営み」の匂いだった。
門をくぐると、そこには荒々しくも活気ある光景が広がっていた。 平原を横断する武装した商隊、砂埃にまみれた冒険者たち、そして彼らを相手にする逞しい商人たち。ここは、過酷な荒野を行き交う人々にとっての、唯一のオアシスなのだ。
一行はまず、比較的清潔そうな宿屋を確保し、荷物を置くとすぐに併設された酒場(食堂)へと向かった。
「冷たい水! それと、野菜! 肉!」
リオスの注文に、無愛想だが手際の良い主人が、井戸で冷やされた水差しと、岩塩で味付けされた厚切りの干し肉、そして貴重な根菜の煮込み料理を運んできた。
「「「いただきます!」」」
久しぶりのまともな食事に、言葉も忘れて貪りつく。特に冷たい水は、乾いた体に染み渡るようだった。
人心地ついたところで、エリアスが情報収集を始めた。
「ご主人、少し聞きたいのですが。ここから南西の『断絶の山脈』へ向かいたいのです。今の時期、安全なルートはありますか?」
主人はジョッキを拭く手を止め、怪訝そうな顔で一行を見た。
「『断絶の山脈』だって? あそこは人の行く場所じゃないぞ。常に噴煙が上がってるし、魔物も凶暴だ」
「ええ、承知しています。それでも、行かねばならない理由がありまして」
エリアスが銀貨を数枚、カウンターに滑らせる。主人はそれを見て、少し声を潜めた。
「……物好きだな。まぁいい。今の時期なら、西側の『涸れ谷』を行けば、比較的安全に麓まで近づけるだろう。だが、そこから先は保証しない」
「ありがとうございます。それと……最近、山脈の方で変わったことは?」
「変わったこと、ねぇ……」
主人は顎髭を摩りながら考え込む。
「ああ、そういえば最近、山の方から奇妙な地響きがするとか、夜中に赤い光が見えたとか、そんな噂を商隊の連中がしてたな。気味が悪いから、みんな山には近づかないようにしてる」
「地響きと、赤い光……」
リオスとゼノスが顔を見合わせる。それは、彼らが遺跡で見た「律動の乱れ」や「警告の光」と無関係ではないだろう。
その時だった。 肉を頬張っていたリーナの手が、ピタリと止まった。
「……嫌な『音』がする」
彼女が小さな声で呟く。いつもの明るい声色ではなく、何かに怯えるような響き。
「ん? どうした、リーナ」
リオスが心配そうに顔を覗き込む。
「あそこ……。すごく濁った、粘り着くような不快な音がする」
リーナの視線の先、酒場の薄暗い隅の席に、目深にフードを被った四人組の男たちがいた。彼らは周囲の喧騒から切り離されたように、低い声で密談をしていた。
リオスたちが視線を向けたことに気づいたのか、男たちの一人が顔を上げ、こちらを睨みつけた。フードの奥で、爬虫類のように冷たい瞳が光った気がした。
男は仲間に何かを囁くと、四人はすぐに席を立ち、足早に酒場を出て行った。
「……あいつら」
ゼノスが低い唸り声を上げる。彼の獣耳が、警戒心でピンと立っていた。
「知っているのか、ゼノス」
「いや、顔は見えなかった。だが……匂いだ。あの独特の、腐ったような嫌な臭い。ウィスパーウッドの村を襲った連中と同じ、鼻が曲がりそうな気配がした」
ゼノスの言葉に、その場の空気が凍りついた。
「『闇の盟約者』……! まさか、こんな所にまで」
エリアスが眼鏡の奥の目を鋭く細める。
「奴らも、南西を目指しているのかもしれないな。……行こう! 奴らに先を越される前に!」
リオスが焦って立ち上がろうとするが、エリアスがそれを手で制した。
「落ち着いてください、リオスくん。気持ちは分かりますが、今の状態で飛び出すのは自殺行為です」
「でも、奴らが!」
「私たちを見てください。数日の行軍で疲労困憊、水も食料も底をついている。それに、もう日が暮れます。夜の荒野は、昼間とは比較にならないほど危険です」
エリアスの冷静な指摘に、リオスは言葉に詰まり、ドカリと椅子に座り直した。
「……先生の言う通りだ。焦って自滅したら元も子もない。奴らだって、夜中に準備なしで山に入るほど馬鹿じゃないだろう」
ゼノスも残りの水を飲み干しながら、同意した。
「必要な物資を買い揃え、体力を回復させる。最低でも丸二日はここでの準備が必要だ。商売が始まるのは明日の朝からだからな」
リオスは悔しそうに拳を握りしめたが、二人の言葉が正しいことは痛いほど分かっていた。
「……分かった。しっかり準備して、万全の状態で挑もう」
束の間の休息は、緊張感のある準備期間へと変わった。 窓の外には、夜の闇に沈む荒野が広がっている。その遥か彼方、星明かりの下に、「断絶の山脈」の黒いシルエットが、不気味な巨人のように浮かび上がっていた。
卓上の語り部でございます。
第六十五話『荒野の休息地、砂塵に混じる不穏な影』をお届けいたしました。
灼熱のレムリア平原を越え、一行はついに中継地点の宿場町「ロックウェル」へと辿り着きました。 乾ききった喉を潤す冷たい水、そして久しぶりの温かい食事。過酷な旅を続けてきた彼らにとって、それは何よりの活力となったことでしょう。
しかし、安息の時は長くは続きませんでした。 酒場の片隅で交錯した、不穏な影。リーナが感じた「濁った音」と、ゼノスが嗅ぎ取った「腐ったような臭い」は、因縁の相手「闇の盟約者」たちが、同じく南西を目指していることを示唆しています。
逸る気持ちを抑えきれないリオスを、冷静に諌めるエリアスとゼノス。彼らの判断は、プロの冒険者として、そして大人としての頼もしさを感じさせるものでした。万全の準備を整え、いよいよ未知の領域「断絶の山脈」へと挑むことになります。
さて、次回ですが、緊張感の続く本編から少し視点を変えまして、彼らの束の間の休息の様子をお届けしようと思います。 男たち、特にゼノスとリオスが酒場で過ごす、ちょっとした「閑話」を予定しております。
激しい戦いの合間の、彼らの日常の一コマ。どうぞお楽しみに。
P.S. 本作の世界観設定や登場人物の紹介、アヴェリアにある大陸の地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




