第五十六話『獣の直感、穿たれる古皮』
「グルルルゥゥゥ……ッ!!」
「樹守の巨獣」の咆哮が、ビリビリと大気を震わせる。 岩塊のような頭部が持ち上がり、四本の大木が絡み合ったような巨大な腕が、リオスたちをなぎ払おうと迫りくる。
「くっ、速い!」
リオスは『星喰の剣』を構え、辛うじてその一撃を横に跳んで回避した。
ドォォン!
直撃を受けた地面が爆ぜ、土砂と木の根が散弾のように飛び散る。ただの物理攻撃だが、その質量と速度は脅威そのものだ。
「反撃する隙がない……!」
リオスは歯噛みする。剣はすでに周囲の律動を喰らい、赤黒く脈打っているが、相手の間合いが広すぎて、懐に飛び込むタイミングが掴めないのだ。下手に近づけば、あの丸太のような腕で叩き潰される。
「二人とも、下がってください! 煙幕を展開します!」
エリアスが叫び、ポーチから取り出したフラスコを地面に叩きつけた。モクモクと白い煙が広がり、巨獣の視界を奪う。
「リーナ、核の位置は!?」
「だめ……! 全身の律動が強すぎて、どこが急所なのか絞り込めない!」
煙の中で、リーナの悲痛な声が響く。この巨獣は、存在そのものが巨大なエネルギーの塊なのだ。
(くそっ、どうすれば……!)
焦るリオス。ニヴェルガンド戦の疲労も抜けきっておらず、長期戦は不利だ。一撃で決める必要があるが、その「一撃」を当てる場所がわからない。
その時だった。
煙幕の外側、少し離れた木の枝の上から、冷徹な視線が戦場を見下ろしていた。
「……フン。やたらと元気がいいだけの木偶の坊かと思ったが、意外と厄介だな」
ゼノスは短剣の柄を指先で回しながら、鼻を鳴らした。 先ほどの一撃で理解した。奴の表皮は、生半可な斬撃を通さない。真正面からぶつかり合えば、体力勝負でこちらが先に潰れる。
(力押しじゃ勝てん。だが、どんな堅牢な城壁にも、必ず継ぎ目はある)
ゼノスの獣としての眼光が、暴れ回る巨獣の動きを捉える。 岩のような関節が動く瞬間の軋み。樹皮の重なり具合。力の流れ。それらを瞬時に分析していく。
リオスが再び突撃しようと身構えた瞬間、ゼノスが音もなくその隣に降り立った。
「おい、リオス。無駄な体力を使うな」
「ゼノス! でも、このままじゃジリ貧だ!」
「だから、頭を使えと言っている」
ゼノスは短剣の切っ先で、巨獣の左脇腹あたり――巨大な腕の付け根部分を指し示した。
「奴が左腕を振り上げた瞬間、あそこの樹皮が大きくスライドする。ほんの一瞬だが、内部の柔い繊維が露出するはずだ」
「え……? そんな細かいところ、よく見えたな」
「伊達に長く戦場に居座っちゃいないんでな。……俺がこじ開ける。お前は、そこに最大の一撃を叩き込め」
ゼノスはニヤリと笑い、リオスの返事も待たずに駆け出した。
「ちょっ、ゼノスさん!?」
「先生は煙を絶やすな! リーナはリオスのサポートだ!」
短く指示を飛ばし、ゼノスは巨獣の正面へと躍り出た。
「グルァァァッ!」
新たな獲物を見つけた巨獣が、右腕を振り下ろす。 ゼノスはそれを紙一重で回避。回避した勢いを殺さず、あろうことか、振り下ろされた巨獣の腕の上へと飛び乗った。
「なっ……!?」
エリアスが絶句する。 ゼノスは暴れる巨木の腕の上を、まるで平地のように駆け上がっていく。獣人ならではの驚異的な身体能力とバランス感覚だ。
巨獣は自らの体に張り付いた羽虫を振り落とそうと、激しく身をよじる。だが、ゼノスは二振りの短剣をクライミングピックのように樹皮に突き刺し、強引に体を固定して耐える。
そして、狙い通りの瞬間が訪れた。 巨獣がゼノスを叩き落とそうと、左腕を大きく振り上げた、その時。
脇腹の装甲板のような樹皮がギチギチと音を立ててズレ、その隙間から、赤黒い樹液に濡れた繊維質が覗いた。
「ここだぁッ!!」
ゼノスは右手の短剣を逆手に持ち替え、全身のバネを使って、その隙間へと深々と突き刺した。
「グォォォォォッ!!?」
初めて、巨獣が苦痛の悲鳴を上げた。 鋼鉄の表皮には弾かれた刃も、内部の繊維には容易に食い込む。
「まだだ!」
ゼノスは突き刺した短剣を支点にして体を回転させ、もう一本の短剣を同じ傷口にねじ込むと、両腕の筋肉が断裂せんばかりの力で、左右に強引に抉り広げた。
バキベキィッ!
生木が裂ける生々しい音が響き、強固な装甲の一部が剥がれ落ちる。赤黒い樹液が噴水のように噴き出し、ゼノスの漆黒の髪を濡らした。
「今だ、リオスッ! ど真ん中にブチ込め!!」
ゼノスの咆哮が轟く。 巨獣は傷口を押さえるように体勢を崩し、その胸部が完全にがら空きになった。
「うおおおおおおっ!」
リオスが吼える。 ゼノスが命がけで作ってくれた、千載一遇の好機。 赤黒く脈打つ『星喰の剣』を上段に構え、リオスは跳躍した。
「喰らい尽くせぇぇぇッ!!」
渾身の斬撃が、ゼノスが抉じ開けた傷口へと吸い込まれるように叩き込まれた。
ズドォォォォォンッ!!
剣が触れた瞬間、莫大な律動の奔流が炸裂し、巨獣の体内で暴れ回る。 赤黒い閃光が傷口から迸り、巨獣の内側から木っ端微塵に破壊していく。
「ガ、アァァァァァ……ッ……」
断末魔の叫びとともに、山のような巨体がゆっくりと後ろへ傾き、地響きを立てて崩れ落ちた。
もうもうと舞い上がる土煙。 それが晴れた後には、動かなくなった巨大な朽木と、肩で息をするリオスの姿があった。
「はぁ、はぁ……やった、か……?」
リオスが剣を下ろし、振り返る。 そこへ、樹液と土にまみれたゼノスが、肩を回しながら悠然と歩み寄ってきた。
「……フン。まあまあの手際だ。最後の一撃だけは、褒めてやる」
「お前のおかげだよ、ゼノス。あの動き、やっぱりすげぇな」
リオスが興奮気味に言うと、ゼノスは短剣についた樹液を腰布の端で乱雑に拭いながら、ニヤリと笑った。
「当然だ。俺を誰だと思っている。……これくらいの仕事、朝飯前だ」
その言葉はいつもの憎まれ口だったが、その背中は、どんな強敵を前にしても揺るがない、歴戦の勇士の風格を漂わせていた。
卓上の語り部でございます。
第五十六話『獣の直感、穿たれる古皮』をお届けいたしました。
始原の森の門番、「樹守の巨獣」との激闘がここに決着いたしました。
今回は、なんといってもゼノスの独壇場でした。 ニヴェルガンドとの戦いではリオスを支える側に回ることが多かった彼ですが、今回は歴戦の戦士としての本領を遺憾なく発揮してくれました。 鋼鉄の表皮を持つ巨獣に対し、力任せではなく、冷静な観察眼で一瞬の隙(継ぎ目)を見抜く知性。そして、暴れる巨体の上を駆け抜け、短剣二本で装甲をこじ開ける驚異的な身体能力。 「頭を使え」とリオスを叱咤しつつ、自らが率先して危険に飛び込む姿は、まさに頼れるベテランの風格でした。
そして、その命がけのお膳立てに見事に応えたリオスの一撃。 『星喰の剣』が喰らい尽くした莫大な律動の奔流は、巨獣を内側から粉砕するほどの威力を見せつけました。これこそが、この剣の真骨頂と言えるでしょう。
強力な門番を打ち倒し、四人はついに「始原の森」の深部へと足を踏み入れます。 有史以前の姿を留める未知の領域には、さらなる驚異と、世界の謎が待ち受けていることでしょう。
次回からの展開も、どうぞご期待ください。
P.S. 本作の世界観設定や登場人物の紹介、世界名アヴェリアにある大陸の地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




