第五十四話『癒えゆく森、西への胎動』
天を衝く碧い光の柱は、やがて粒子となって霧散し、森の空気に溶けていった。 だが、その強烈な残像は、四人の脳裏に「西」という明確な方角を焼き付けていた。
「……よし、行くか」
リオスが短く言い、歩き出す。その一歩目は、ひどく重かった。 戦闘中はアドレナリンで麻痺していたが、緊張が解けた今、全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨の髄まで疲労が染み渡っていた。腰に差した『星喰の剣』も、今はただの鉛のように重く感じる。
「無理は禁物ですよ、リオス君。君は、あれだけのエネルギーの奔流をその身で受け止めたのですから」
エリアスが心配そうに声をかける。彼自身も、連日の過酷な強行軍と精神的疲労で顔色が悪い。
「分かってる。だが、ここに長居はしたくない。少しでも進んで、安全な場所を見つけないと」
リオスの言葉に、先頭を歩いていたゼノスが振り返らずに頷いた。
「同感だな。腐敗が止まったとはいえ、ここはまだウィスパーウッドのど真ん中だ。血の匂いを嗅ぎつけた余所者が、いつ入ってくるかもわからん」
ゼノスは傷だらけの体を引きずりながらも、その歩調は乱れず、鋭い視線で周囲を警戒し続けている。その背中は、やはり頼もしかった。
一行は、光が指し示した西の方角へ向かって、慎重に進んでいった。
歩を進めるにつれ、森の様子が劇的に変化しているのが見て取れた。 これまで彼らを苦しめていた、足首まで埋まるような腐った泥は乾き始め、固い土の感触が戻ってきている。鼻を突く腐臭は、湿った土と草木の匂いへと変わりつつあった。
「信じられない……。これほどの短時間で、環境が激変するなんて」
エリアスが道端の植物に触れながら、感嘆の声を漏らす。 つい先ほどまで黒く変色し、毒々しい胞子を撒き散らしていた巨大なキノコ類が、急速に萎びて土に還ろうとしていた。代わりに、枯死したと思われていた大木の根元から、鮮やかな緑色の若芽が力強く顔を出している。
「あの結晶石が、本来の律動を取り戻した証拠ね」
リーナが愛おしそうに周囲を見渡す。彼女の顔色も、森の浄化に呼応するように、少しずつ良くなっていた。
「ああ。だが、喜んでばかりもいられないぞ」
ゼノスが足を止め、地面を指差した。 そこには、巨大な何かが這いずったような新しい痕跡があった。腐敗が消えたことで、これまで瘴気を避けていた通常の(それでも十分に危険な)森の獣たちが、活発に動き出した証拠だ。
「……森が生き返るってことは、普通の危険も戻ってくるってことか」
リオスが剣の柄に手を添え、気を引き締める。
「そういうことだ。油断するなよ」
四人は警戒を強めながら、さらに数時間歩き続けた。
太陽が完全に沈み、森が深い闇に包まれ始めた頃、ようやく彼らは比較的小高い丘の上に、岩場に囲まれた開けた場所を見つけた。近くには、浄化されたばかりの澄んだ湧き水もある。
「今日はここまでにしよう。これ以上は、体力が持たん」
ゼノスの提案に、誰も異論はなかった。彼らはその場に崩れ落ちるようにして、野営の準備を始めた。
焚き火の準備をしながら、リオスは自分の手を見つめた。 ニヴェルガンドを両断した時、あの剣と同調した感覚が、まだ指先に残っている。底なしの飢餓感と、万物を斬り裂く全能感。あれは、一歩間違えれば自分自身の精神さえも喰らい尽くしかねない、諸刃の剣だった。
(俺は、あれを本当に使いこなせたのか……?)
「……難しい顔だな、リオス」
不意に声をかけられ、顔を上げると、ゼノスが焚き火に薪をくべていた。
「ゼノス……。いや、ちょっと、な」
「あのデカブツを斬った時のことか?」
図星を指され、リオスは黙って頷いた。 ゼノスは焚き火の炎を見つめたまま、静かに言った。
「見たところ、剣に『呑まれて』はいなかったようだ。ギリギリで踏み止まったな」
「……そうか」
「ああ。だが、次は分からん。あれだけの力だ、反動も大きい。……覚えておけ。お前が力に溺れかけたら、俺が力ずくで止める。それが俺の役目だ」
ゼノスはニヤリと笑い、リオスの肩を軽く叩いた。その言葉は乱暴だったが、リオスにとってはどんな慰めよりも心強かった。
「頼むよ、相棒」
リオスも笑って答えた。
簡単な食事を終えた後、四人は焚き火を囲み、今後のことを話し合った。
「先生。この先、西にある『始原の森』というのは、どういう場所なんだ?」
リオスの問いに、エリアスは炎を見つめながら、記憶を探るように話し始めた。
「文献によれば……そこは、有史以前から手つかずのまま残された、この大陸で最も古い森とされています。ウィスパーウッドのように人の手が入ったり、何らかの影響で変質した場所とは違う、真の意味での『原生林』です」
「じゃあ、腐敗の心配はないってことか?」
「ええ。ですが、それは同時に、もっと原始的で、強力な律動が渦巻いている場所だということです。そこに棲む生物も、植物も、我々の常識が通用しない可能性が高い」
エリアスの言葉に、緊張が走る。 腐敗した森を抜けた先には、さらに過酷な大自然の脅威が待っているのだ。
「……わかるわ」
ずっと黙って西の空を見つめていたリーナが、静かに口を開いた。
「あっちの方角から感じる律動は、ウィスパーウッドのものとは全然違う。もっと大きくて、荒々しくて、でも……すごく純粋な力」
彼女の瞳には、焚き火の朱色とは違う、微かな碧い光が宿っていた。導き手としての本能が、これから向かう場所の尋常ならざる気配を察知しているようだ。
「フン。要するに、これまで以上に厄介な場所というわけか」
ゼノスが焚き火を蹴って、火の粉を散らした。
「構わんさ。腐った泥道を歩くよりは、幾分マシだろう」
その不敵な言葉に、全員の顔に微かな笑みが戻った。
夜が更けていく。 森は静けさを取り戻し、時折、遠くで獣の遠吠えが聞こえるだけとなった。
彼らは泥のように眠った。明日からは、未知の領域「始原の森」、そして最終目的地「聖域の大樹」への旅が始まる。 その前に、今はただ、戦いで傷ついた翼を休める時だった。
西の空には、彼らを待つように、星々が冷たく輝いていた。
卓上の語り部でございます。
第五十四話『癒えゆく森、西への胎動』をお届けいたしました。
死闘の直後、満身創痍の彼らが、それでも光が示した「西」の方角へと一歩を踏み出す回となりました。
結晶石が大地に還ったことで、ウィスパーウッドは劇的な変化を見せました。腐敗した泥が乾き、緑が芽吹く光景は、彼らの戦いが無駄ではなかったことの証明です。しかし、ゼノスが指摘したように、森が本来の姿を取り戻すことは、眠っていた野生の脅威もまた目覚めることを意味します。安息の地はまだ遠いようです。
焚き火を囲んでの束の間の休息では、強大な力に触れたリオスの畏怖と、それを「力ずくで止める」と約束するゼノスの、彼ららしい不器用な絆が垣間見えました。抑制者としてのゼノスの役割が、今後さらに重要になってくることを予感させます。
そして、エリアスとリーナによって語られた次の目的地、「始原の森」。 そこは有史以前から手つかずのまま残された、真の原生林です。腐敗とは異なる、より原始的で強大な律動が渦巻く未知の領域。彼らを待ち受けるのは、これまでとは質の違う試練となるでしょう。
傷ついた翼を休め、新たな覚悟を決めた四人。 次回より、いよいよ物語は「始原の森」編へと突入いたします。どうぞ、ご期待ください。
P.S. 本作の世界観設定や登場人物の紹介、アヴェリアの地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




