第四十五話『碧の脈動と焦燥』
洞窟内を包み込んでいた強烈な閃光が収まると、そこには奇妙なほど穏やかな静寂が戻ってきた。
「……リーナ? おい、リーナ!」
リオスは腕の中でぐったりとしている少女の名前を必死に呼んだ。
彼女の呼吸は浅いが、規則正しい。どうやら命に別状はないようだ。だが、いくら体を揺すっても、彼女が目を覚ます気配はなかった。
そして、彼女の小さな右手には、あの碧色の結晶石がしっかりと握りしめられたままだった。あれほど荒れ狂っていたエネルギーの奔流は嘘のように鳴りを潜め、今は蛍火のような柔らかな光が、トクトクと心臓の鼓動のようなリズムで明滅している。
「……驚きました。まさか、あのエネルギー場を中和し、同調してしまうとは」
エリアスが恐る恐る近づき、リーナの手の中にある結晶石を覗き込んだ。学者の顔に戻ってはいるが、その声はまだ微かに震えている。
「先生、こいつは一体何なんだ? リーナに何をした?」
リオスは焦燥感を隠せないまま問いかけた。
「分かりません。ですが……推測はできます」
エリアスは眼鏡を押し上げ、慎重に言葉を選びながら語り始めた。
「この結晶石は、古代エルフの叡智の結晶――おそらくは、彼らが扱っていた『律動』そのものを高密度に圧縮し、封じ込めたものでしょう。並の人間が触れれば、その情報量とエネルギーに精神を焼き切られていたかもしれません」
「そんな危険なもんを、あいつは……!」
「ええ。ですが……彼女はこれまでも、常人には聞こえない『律動』を感じ取り、我々を導いてきました。その特異な資質が、奇跡的にこの石の波長と合致したのかもしれません。今は、彼女を『主』として受け入れ、安定している状態に見えます」
エリアスの説明を聞いても、リオスの不安は拭えなかった。むしろ、得体の知れない何かがリーナの中に入り込んでしまったという恐怖が募る。
彼は背中の『星喰の剣』の重みを意識した。
いざという時、自分はこの呪われた剣の力さえ引き出せなかった。それなのに、守るべき対象であるはずのリーナが、こんな危険なものを背負い込んでしまった。
自分の無力さが、腹の底でどす黒い渦を巻いた。
「……ん……」
その時、リーナの唇から微かな声が漏れた。
「リーナ! 気がついたか!」
リオスが覗き込むと、リーナがゆっくりと薄目を開けた。その瞳は、まだ少し熱に浮かされたように潤んでいる。
「……リオス? 私、どうして……」
「お前、あの石に触って気絶したんだよ。体の調子はどうだ? どこか痛いところは?」
矢継ぎ早に質問するリオスに、リーナは少し困ったように微笑み、首を横に振った。
「ううん、平気。むしろ、体がすごく……温かいの。この石が、私の中で歌ってるみたい」
彼女はそう言って、右手の中の結晶石を愛おしそうに見つめた。碧色の光が、彼女の掌の上で優しく脈動する。
「歌ってる?」
「うん……。それでね、分かるの。私たちがここに来たのは、偶然じゃなかったって」
リーナはゆっくりと体を起こし、洞窟の壁面にあった古代の紋様を見つめた。
「この子が……ずっと呼んでたの。森がおかしくなっていくのを止められなくて、助けを求めて、自分の『声』が届く誰かを、ずっと引き寄せようとしてた。だから私、ここに導かれたんだと思う」
「なるほど……。我々がこの場所に逃げ込んだのも、貴女の無意識の選択が働いていたというわけですね」
エリアスが納得したように頷いた。
「それで、この子が教えてくれたの。行きたい場所があるって」
リーナは洞窟の出口――未だ深い闇に包まれた森の方角を見つめた。
「この森の、もっと奥。一番深くて、一番……痛がっている場所」
「痛がっている場所……?」
エリアスが鸚鵡返しに呟く。リーナの抽象的な表現は、彼女が先ほどのヴィジョンで感じた「森の悲鳴」とリンクしているのだろう。
「そこが、たぶん『元凶』だ。この森をおかしくしている何かが、そこにある」
リオスが確信を持って言った。彼らが目指すべき場所が、ようやく明確になったのだ。
「行きましょう。ゼノス殿も、きっとそこを目指すはずです」
エリアスが立ち上がり、身支度を整える。
ゼノスの名前が出た瞬間、洞窟内の空気が重くなった。彼がどうなったのか、誰も口には出さないが、全員が最悪の事態を想像しないように必死だった。
「……ああ、そうだな。あいつは無駄死にするようなタマじゃねぇ。必ず合流できると信じて進むしかねぇ」
リオスは自分に言い聞かせるように強く頷くと、リーナの手を引いて立ち上がらせた。
背中の剣は相変わらず重いが、今はリーナの手の温かさと、彼女が持つ結晶石の脈動が、わずかな支えとなっていた。
彼らは「忘れられた聖域」を後にし、再び死の静寂が支配する森へと足を踏み出した。
一歩外に出た瞬間、リオスは肌にまとわりつく空気の質が変わったのを感じた。
先ほどまでの静けさとは違う。もっと濃密で、腐臭を含んだ、粘りつくような瘴気。
そして、リーナの手の中の結晶石が、まるで危険を知らせるように、あるいは目的地を指し示す羅針盤のように、強く熱を帯び始めた。
卓上の語り部でございます。
第四十五話『碧の脈動と焦燥』をお届けいたしました。
意識を取り戻したリーナの手の中で、穏やかに脈動する碧色の結晶石。それは、古代エルフの悲痛な叫びと、森を救いたいという意志が結晶化したものでした。リーナがこの場所にたどり着いたのは偶然ではなく、彼女の持つ「導き手」としての資質が引き寄せた必然だったのです。
一方で、リオスの心は複雑です。肝心な時に『星喰の剣』の力を引き出せなかった自分の無力さ。そして、守るべき対象であるリーナが、自分の理解を超える強大な力を手にしてしまったことへの不安。タイトルの「焦燥」は、まさにそんな彼の張り詰めた心境を表しています。
結晶石の導きにより、目指すべき場所は定まりました。それは「森が一番痛がっている場所」、すなわち異変の元凶です。
洞窟の外は、これまで以上の濃密な瘴気に包まれています。ゼノスとの再会を信じ、彼らは森の最も深い闇へと足を踏み入れます。
物語はいよいよ、ウィスパーウッドの核心へと迫ります。
次回の展開も、どうぞご期待ください。
P.S. 本作の世界観設定や登場人物の紹介、アヴェリア大陸の地図などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて公開しております。物語をより深く楽しむための補足情報として、ぜひご活用ください。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




