第三十六話『砕かれた月の下、歪な笑みと新たな決意』
アスティラの街を見下ろす屋敷の一室。 窓の外には、砕かれた月が冷たい光を放ち、その周囲を岩塊のリングがゆっくりと回っている。
「……戻ったか」
窓辺に立つグラハムは、振り返りもせずに言った。部屋の隅の影から、土埃で少し汚れたゴスロリ服の少女――リリィが姿を現す。
「ただいまぁ、グラハム様。あーあ、お洋服が汚れちゃった」
リリィはスカートをパンパンと払いながら、悪びれる様子もなくウサギのぬいぐるみを抱きしめた。
「『星喰の剣』と娘の回収は失敗したようだな。……黒犬たちも全滅か」
グラハムの声は絶対零度のように冷たい。だが、リリィはケラケラと笑った。
「うん、全滅! すごかったよぉ。あのね、あの子ったら、剣の力を敵じゃなくて、自分たちがいる場所の天井に向けたの! まさか生き埋め覚悟で道を作るなんて、思わないじゃない?」
彼女は瞳をキラキラと輝かせ、まるで最高のサーカスを見た後の子供のように興奮していた。
「それにね、見たの。あの剣が、黒犬たちの『律動』そのものを喰らい尽くすところ! ただ切るだけじゃない、あれはもっと根源的な、禍々しい力……。ゾクゾクしちゃった!」
リリィはぬいぐるみの耳を愛おしそうに撫でながら、うっとりとした表情で呟く。
「だから、今日は見逃してあげたの。だって、あんな面白い力を持った、最高の壊れ方をするおもちゃ、すぐに遊び尽くしちゃったらもったいないでしょ? もっと絶望して、もっと必死な顔を見せてから、ゆっくり壊してあげたいもん」
グラハムはゆっくりと振り返り、歪んだ笑みを浮かべる少女を見下ろした。任務失敗を咎める気配はない。むしろ、その瞳には新たな計算の光が宿っていた。
「……なるほど。ネズミが巣穴を崩壊させたか。咄嗟の判断力と狂気……。それに、あの忌々しい『捕食』の力、使いこなせば厄介極まりないな」
グラハムは再び窓の外、砕かれた月を見上げた。かつて自分が相対した、全てを無に帰すような剣の威力を思い出す。
「いいだろう、リリィ。奴らの『飼育』は任せる。好きに遊べ。だが、決して逃がすな。奴らは我々の計画における、極上の『生贄』となる可能性を秘めている」
「はーい! 了解ですぅ♪ さあて、次はどんな遊びをしようかなぁ、うさちゃん?」
少女の無邪気で残酷な笑い声が、夜の部屋に響いた。
* * *
同時刻。王都アスティラの城壁外、広大な荒野。 冷たい夜風が、土埃と汗にまみれた四人の体を叩く。彼らは息を切らしながら、城壁から十分な距離を取るまで走り続けた。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば、とりあえずは大丈夫か……?」
リオスが膝に手をつき、荒い息を吐く。背中の星喰の剣は、今は静かに脈動していた。先ほどの強引な力の解放で、彼自身の体力もかなり消耗していた。
「ええ……鉄機隊の追跡範囲外です。それに、あの崩落で地下ルートが塞がれた以上、彼らがすぐにこちらを補足するのは難しいでしょう」
エリアスも肩で息をしながら、割れた眼鏡を気にするように押し上げた。冷静さを装っているが、その顔色も悪い。
「まったく、とんでもない脱出劇だ……。まさか、自分たちごと生き埋めにする作戦とはな。……心臓に悪い」
ゼノスが呆れたように、だがどこか感心したような口調でリオスを見た。
「うるせぇな。あれしか思いつかなかったんだよ。……それに、全員無事だろ」
リオスは憎まれ口を叩きながら、体を起こす。そして、隣で不安そうに佇む少女に視線を向けた。
「リーナ、大丈夫か? 怪我は?」
「う、うん。私は大丈夫。リオスが守ってくれたから……」
リーナは小さく頷いた。その視線は、リオスの背中の剣と、広大な夜空に交互に向けられていた。彼女の表情には、安堵よりも深い不安の色が濃く滲んでいた。
「……ねぇ、リオス。あの、女の子……」
「ああ、あのゴスロリのチビ……」
「うん……。あの子、すごく怖かった。笑っているのに、目が全然笑ってなくて……。それに、すごく嫌な気配がしたの。バルギスなんかより、ずっと……」
リーナが自分の腕を抱くようにして震える。古代エルフの血を遠くに引く彼女の直感が、リリィという存在の異質さを敏感に感じ取っていたのだ。
「……ああ、俺も感じた。あいつはヤバい。次は、間違いなく殺しに来る。あの笑顔の下に、とんでもねぇもんを隠してやがる」
リオスは拳を握りしめる。リリィの最後に残した歪な笑みが、脳裏に焼き付いて離れない。
「彼女は『闇の盟約者』の幹部。その実力は、先ほどの黒犬たちとは比較になりません。今回は奇策で出し抜けましたが、彼女が本気になれば、これほど容易くは逃げられないでしょう」
エリアスが厳しい現実を突きつける。彼らはアスティラを脱出した。しかし、それは同時に、世界中に根を張る巨大な闇の組織から、本格的に狙われる立場になったことを意味していた。
「……ふん、上等だ。どのみち、世界の真実を知った以上、引き返す道などない」
ゼノスが短剣を一度だけ空中で回し、鞘に収めた。
「行こう。ここに長居は無用だ。だが、これからどうする? 先生。あんたの頭の中には、次の絵図面があるんだろう?」
エリアスは頷き、懐から古びた地図を取り出した。月明かりの下で広げられたそれは、アスティラ周辺の地図ではなく、世界全体の地図だった。
「ええ。我々が目指すべき場所は、北西です」
エリアスは地図上の北西、ひときわ巨大な、青く発光するような大樹が描かれた森を指し示した。
「この『聖域の大樹』を中心とした森こそが、古代エルフの故郷とされる『始原の森』です。人が容易に立ち入れぬ、聖域です」
「始原の森……。私の、力のルーツ……」
リーナが地図の大樹を見つめ、自身の内に眠る不思議な力(真律)の源流を思うように呟く。
「リーナさんから共有してもらった情報によれば、ゲイル・テトラで判明した律動の浄化に必要な要素は三つ。律動を導く『導き手』、律動を受け入れる『器』、そして暴走を抑える『抑制者』です」
エリアスは三人を見渡しながら説明を続ける。
「現在、『導き手』の資質を持つリーナさん、『器』となる星喰の剣を持つリオス君、そして『抑制者』の役割を担うゼノスさんが揃いました。しかし、役者が揃っただけでは舞台は動きません」
「どういうことだ?」とリオスが問う。
「膨大なエネルギーである『律動』を、リーナさんが安全に導き、『器』に収めるためには、強靭な精神力と、それを補助するための高度な術式――いわば『儀式』が必要です。ただ念じるだけで制御できるような生易しいものではありません」
エリアスは再び地図の『始原の森』を強く指で叩いた。
「エルヴィン博士の研究によれば、古代エルフは律動と共存するために独自の儀式を行っており、その儀式には特殊な『触媒』が用いられていた可能性が高い。その叡智と触媒が眠る場所こそが、始原の森なのです」
「なるほどな。つまり、俺たち三人の力を正しく使うための『やり方』と『鍵』を取りに行くってわけか」
リオスが納得したように頷く。ただ漠然と進むのではなく、明確な目的ができたことで、彼の瞳に再び強い光が宿った。
「遠いな。だが、行くしかねぇ」
リオスは砕かれた月を見上げ、決意を新たにした。この歪な空の下、彼らの本当の戦いが、今ここから始まろうとしていた。
卓上の語り部でございます。
第三十六話『砕かれた月の下、歪な笑みと新たな決意』をお届けいたしました。
これにて、長きにわたるアスティラ潜伏・脱出劇は一区切りとなります。
冒頭では、強敵リリィがなぜリオスたちを見逃したのか、その歪んだ理由が明らかになりました。彼女にとってリオスの予測不能な行動と、「星喰の剣」が持つ禍々しい捕食の力は、すぐに壊すには惜しい極上の「遊び道具」として映ったようです。 冷徹なグラハムと、無邪気なサディストのリリィ。この底知れない敵対者たちが、今後どのようにリオスたちを追い詰めていくのか、ご注目ください。
一方、辛くも死地を脱したリオスたちですが、リリィという規格外の脅威を肌で感じ、安堵する暇もありません。 しかし、暗闇の中でエリアスが新たな指針を示しました。「導き手」「器」「抑制者」という揃った役目を機能させるための、「儀式」と「触媒」。
漠然とした逃避行は終わりを告げ、明確な目的を持った「探求の旅」が始まります。 次なる舞台は、北西の果て、古代エルフの叡智が眠るとされる「始原の森」と「聖域の大樹」。都市から大自然へ、物語の舞台は大きく様変わりします。
砕かれた月が見下ろす世界で、彼らは何を見つけるのか。 新章の開幕を、どうぞ楽しみにお待ちください。
P.S. 作中に登場する地図や、アヴェリアの世界設定に関する補足情報は、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。物語をより深く楽しむ一助となれば幸いです。
今回ご紹介した「砕かれた月」に関しても記事を投稿しておりますので是非、御一読を。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




