第三十五話『瓦礫の死闘、砕かれた月の下で』
「ヒャハハ! 死ねぇ!」
下卑た笑い声とともに、ボロ布を纏った男たちが襲いかかってくる。狭い地下空間に、殺気が充満した。
「ゼノス、前を! 私は援護します!」
エリアスが冷静に指示を飛ばし、懐から新たな球体を投げつける。それは空中で破裂し、強烈な閃光と爆音を撒き散らした。
「ぐああっ!? 目が、耳がぁ!」
先頭の男たちが視覚と聴覚を奪われ、無様に転倒する。
「遅い」
その隙を、ゼノスは見逃さない。閃光の中でも冷静さを失わず、踊るような足取りで敵の懐に潜り込むと、両手の短剣で正確に急所を貫いた。無駄のない、洗練された動きだった。
「ふん……面倒だな」
短剣に付いた血を振り払いながら、ゼノスが吐き捨てる。しかし、彼の視線はすぐに次の脅威へと向けられた。
「グルルルル……」
低い唸り声とともに、巨大な黒犬たちが動き出した。通常の狼の倍はあろうかという巨躯。その全身から立ち上る黒い霧が、地下の淀んだ空気をさらに重苦しく変えていく。
「気をつけてください。あれは生物としての理を外れています。『黒律』によって無理やり強化された、生ける屍のようなものです!」
エリアスの警告と同時に、二頭の黒犬が飛びかかってきた。一頭はゼノスへ、もう一頭は後衛のリオスとリーナへ。
「くそっ、速え!」
リオスはリーナを庇うように前に出て、星喰の剣を構えた。青黒い刀身が、地下の闇の中で鈍く脈動する。剣が血を求めて震えているのが分かった。
黒犬が巨大な顎を開け、リオスの喉元に食らいつこうとする。リオスはそれを紙一重でかわし、横なぎに剣を振るった。
ガギィン!
肉を斬る音ではない、硬質な音が響いた。剣は黒犬の肩口を深々と切り裂いたが、傷口から流れ出たのは血ではなく、どす黒い霧だった。
「なっ……!?」
斬られたはずの黒犬は、痛みを感じていないかのように、すぐに体勢を立て直して再び襲いかかってくる。
「効いてないのか!?」
「いえ、ダメージはあるはずです! ですが、彼らの生命維持活動は『黒律』によって代替されています。完全に破壊するか、律動の供給を断たない限り止まりません!」
エリアスが自身の持つランタンの光量を最大にし、黒犬の目をくらませようとするが、赤い瞳は怯む様子もない。
一方、ゼノスも苦戦していた。彼の神速の短剣技をもってしても、黒犬の強靭な肉体と、常軌を逸したタフさに手を焼いている。
「チッ、斬っても突いても止まらん。面倒な『おもちゃ』だな!」
ゼノスが黒犬の攻撃をバックステップでかわした瞬間、瓦礫の山の上から、呑気な声が降ってきた。
「あはは! すごーい! クロちゃんたちの攻撃を避けるなんて、やっぱりタダのネズミさんじゃないねぇ」
リリィがウサギのぬいぐるみを抱きしめながら、楽しそうに戦場を見下ろしていた。まるでサーカスでも見ているかのような態度だ。
「ねぇ、もっと楽しませてよ。じゃないと、クロちゃんたちが退屈して、みんな食べちゃうかもよ?」
彼女がクスクスと笑うと、呼応するように、待機していた残りの黒犬たちも唸り声を上げ、ジリジリと包囲網を狭めてきた。
「くっ……このままじゃジリ貧だ!」
リオスが焦りの色を浮かべる。狭い空間、不死身に近い獣たち、そして高みから見下ろす底知れない少女。状況は絶望的だった。
その時、エリアスが鋭い視線を天井に向けた。
「リオス君! 剣の力を、敵ではなく『上』に向けなさい!」
「えっ? 上って……天井か!?」
「そうです! この場所は、古い搬出口の崩落跡。地盤は極めて不安定です。君のその剣の『喰らう』力で、崩落のバランスを崩すのです!」
エリアスの意図を理解したゼノスが、ニヤリと笑った。
「なるほどな。出口を塞いでる瓦礫ごと、この場の連中を生き埋めにするって魂胆か。イカれてやがる」
「一か八かです。……やれますか、リオス君!」
リオスは歯を食いしばり、剣の柄を握り直した。背中の紋様が熱くなり、剣から伝わる飢餓感が、彼の理性を呑み込もうとする。
「……やってやるよ! お前ら、離れてろ!」
リオスは黒犬の追撃を強引に振り切り、瓦礫の山に向かって駆け出した。 意識を集中させる。剣の制御を、ほんの一瞬だけ解き放つ。
「うぉぉぉぉっ!!」
雄叫びとともに、リオスは星喰の剣を、出口を塞ぐ巨大な岩塊へと突き立てた。
ズォォォン……!
岩が砕ける音とは違う。何かが根本から「消失」していくような、不気味な重低音が響き渡った。剣の切っ先から青黒い光が奔流となって溢れ出し、瓦礫を、土砂を、そして空間そのものを喰らい尽くしていく。
「キャハ!? 何それ、すごい音!」
リリィが初めて驚きの声を上げた。
次の瞬間、支えを失った天井が、轟音とともに崩落を始めた。
「今だ! 走れぇぇっ!!」
リオスの叫び声が、崩落の音にかき消される。 土煙が視界を覆い隠す中、四人は崩れ落ちる瓦礫の隙間――月明かりが差し込む、わずかな「外」への出口に向かって、死に物狂いで駆け上がった。
背後で、逃げ遅れた男たちの悲鳴と、黒犬たちの怒りの咆哮が、土砂の下に埋もれていくのが聞こえた。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
肺の中まで土埃が入り込み、激しく咳き込む。 だが、肌に触れる空気は、地下の湿ったそれとは違っていた。冷たく、乾いた、外の世界の風だ。
「はぁ、はぁ……全員、無事か!?」
リオスが肩で息をしながら周囲を確認する。全員、土埃まみれだが、致命傷を負った者はいないようだ。 彼らは城壁の外、放棄された資材置き場のような場所に出ていた。振り返ると、彼らが出てきた穴は完全に崩落し、もう地下に戻ることはできない。
「……どうやら、賭けは我々の勝ちのようですね」
エリアスが割れた眼鏡を外し、服の袖で拭いながら安堵の息をつく。
「まったく、心臓に悪い脱出劇だったぜ。……だが、これでようやく『外』だ」
ゼノスが短剣を収め、夜空を見上げた。そこには、砕かれた月が、冷たい光を地上に投げかけていた。
リーナが、おそるおそるリオスの袖を引いた。
「リオス……あの、女の子は……?」
リオスはハッとして、崩落跡に視線を戻した。 土煙が晴れつつある瓦礫の山の頂上。そこに、先ほどと同じように、リリィが立っていた。服は少し汚れているが、その表情には余裕すら感じられる。
「あーあ、せっかくのおもちゃ箱、壊されちゃった。グラハム様に怒られちゃうかなぁ」
彼女は困ったように首をかしげたが、すぐにニッコリと笑った。その笑顔は、今までで一番、冷たく、昏いものだった。
「でも、面白かったよ。ネズミさんたち。……今日は見逃してあげる。だって、追いかけっこは、長いほうが楽しいでしょ?」
リリィはウサギのぬいぐるみにキスをすると、そのまま夜の闇に溶けるように姿を消した。
「……見逃された、のか?」
リオスが呆然と呟く。
「いえ、これ以上の深追いはリスクが高いと判断したのでしょう。彼女は気まぐれに見えて、引き際を心得ている。……やはり、『闇の盟約者』の幹部といったところですか」
エリアスが厳しい表情で、彼女が消えた闇を見つめた。
「いずれにせよ、ここは安全じゃない。鉄機隊が騒ぎを聞きつけて飛んでくるぞ」
ゼノスが促す。アスティラは脱出できた。だが、それは終わりではなく、過酷な逃避行の始まりに過ぎなかった。
「行こう。……俺たちの戦いは、これからだ」
リオスは再び星喰の剣を背負い直し、決意を新たに前を見据えた。 四人の影が、砕かれた月の下、広大な平原へと走り出した。
卓上の語り部でございます。
第三十五話『瓦礫の死闘、砕かれた月の下で』をお届けいたしました。
アスティラ編のクライマックスとなる、地下崩落跡での死闘。いかがでしたでしょうか。 新たな脅威であるリリィと、黒律によって強化された「不死身の黒犬」たち。圧倒的な不利な状況の中で、エリアスの機転と、リオスの決死の行動が活路を開きました。
特に、星喰の剣の「喰らう」力を、敵ではなく環境(崩落した天井)に向けるという展開は、ただ力で押し切るだけでない、知恵と勇気の勝利を描きたかったポイントです。リオスが剣の暴走を恐れながらも、仲間を救うために一瞬だけ制御を解き放つシーンは、彼の成長と覚悟を表現できたのではないかと思います。
そして、リリィの引き際。彼女は単なる戦闘狂ではなく、リスクを計算し、楽しみを先延ばしにするような不気味な知性を持った敵として描きました。彼女の「今日は見逃してあげる」という言葉は、今後のリオスたちにとって、常に付きまとう影となるでしょう。
ようやく王都を脱出した四人ですが、彼らの前には広大な世界と、さらなる過酷な運命が待ち受けています。砕かれた月の下、彼らの旅はどこへ向かうのか。
次回以降、新たな舞台での冒険にご期待ください。 引き続き、彼らの旅路を見守っていただければ幸いです。
P.S. 更に『アヴェリア物語』の世界設定や裏話に興味がある方は、ぜひ「Table Talker's Log」をご覧ください。物語をより深く楽しめる記事を随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




