第三十四話『暁の脱出行、追跡者の影』
古びた時計塔の地下室に広げられた王都アスティラの詳細な地図。その上を、エリアスの細長い指がなぞっていく。
「……現在の我々の位置はここ、旧市街区の端です。ここから地上に出て、最短距離で城壁を目指すのは愚策です。研究院の私兵団『鉄機隊』が主要な門と街道を封鎖していますからね」
エリアスは落ち着いた口調で説明を続ける。彼の隣には、研究院から持ち出したという奇妙な道具――煙幕を発生させる球体や、微弱な律動の波動を発して一時的に周囲の音を相殺する導律小型装置などが並べられていた。これらは、彼がエルヴィンの研究を元に独自に開発した試作品だ。
「じゃあ、どうするんだ? まさか、ずっとここに隠れているわけにもいかねぇだろ」
リオスが腕を組み、焦れたように問う。星喰の剣は布で厳重に包まれて背負われているが、それでも微かな脈動が背中から伝わってくる。昨晩の夢の声が、まだ耳の奥に残っていた。
「ええ、もちろん。狙うのは『裏口』です。王都の地下には、古い時代の排水路や、今は使われていない物資搬入用の地下道が網の目のように張り巡らされています。彼らは主要なルートは警戒していますが、全てを網羅できているわけではない」
エリアスは地図の一点を指し示した。城壁の北西、貧民街のさらに外れにある場所だ。
「ここには、廃棄された古い搬出口があります。今は瓦礫で埋まっているとされていますが、人が一人通れる程度の隙間なら作れるはずです。ここからなら、鉄機隊の目を盗んで外に出られます」
「なるほどな。ネズミの通り道ってわけだ。おあつらえ向きじゃないか」
ゼノスが短剣の柄を指先で叩きながら、皮肉っぽく笑う。
「ですが、油断は禁物です。研究院の上層部は、裏で『闇の盟約者』と繋がっています。鉄機隊の警備が薄い場所には、逆に彼らが独自の戦力を配置している可能性もある」
その言葉に、その場の空気が凍りついた。
「なっ……! 研究院が、あの闇の連中と繋がってるだって!?」
リオスが目を見開き、声を荒らげる。リーナも信じられないという表情で口元を押さえた。
「嘘でしょ……。国を守るはずの研究院が、どうして……」
「表向きは敵対していますが、裏では利害が一致しているのです。評議会は、導律技術の欠陥を隠蔽しつつ、いずれ『虚ろ』を制御下に置くために、盟約者が持つ『黒律』のデータを欲している。一方、盟約者はアスティラの中枢で効率的に活動するための『隠れ蓑』と、評議会が持つ膨大な研究設備やデータを求めている。……互いの汚い目的のために手を結んだ、最悪の共犯関係ですよ」
エリアスは冷ややかに吐き捨てた。
「だからこそ、戦闘は極力避け、隠密行動に徹してください。……特にリオス君、君のその剣は目立ちすぎます」
「……くそっ、そういうことかよ。分かった、無駄な騒ぎは起こさねぇ」
リオスは怒りを押し殺すように頷いた。布越しに剣の柄を強く握る。国の中枢まで腐っている現実に、改めてこの脱出が困難なものであることを痛感した。
「準備はいいですね? では、行動開始です」
エリアスの合図で、四人は隠れ家を後にした。湿った空気とカビの臭いが充満する、暗い地下道へと足を踏み入れる。
* * *
同時刻、王都アスティラを見下ろす高台にある、豪奢な屋敷の一室。 窓辺に立ち、眼下に広がる街の夜景を見つめる男がいた。黒いロングコートを纏い、整った顔立ちだが冷徹な光を宿した瞳を持つ男――グラハムだ。
「……報告します。旧市街区の時計塔周辺で、微弱ながら律動の乱れを検知しました。バルギス様が報告していた『星喰』の反応と類似しています」
控えていた部下の報告に、グラハムは口元だけで冷たく笑った。
「ふん、やはり現れたか。私の読み通りだな」
グラハムは窓の外に広がる、一見平和な王都の夜景を見下ろした。
「奴らはゲイル・テトラの地下で、あの忌々しい『律動の再誕』の術式を手に入れた。世界を浄化する、唯一の希望とな。……だが、理論を知っただけでは無意味だ。あれを具現化するには、高度な導律技術と設備が不可欠となる」
彼の声には、冷徹な計算に基づいた確信があった。
「現在、それを可能にする場所は、皮肉にも我々が掌握しつつあるアスティラの研究院しかない。奴らは技術的な手がかりを求めて、必ずここへ来る。そう踏んで網を張っていたが……正解だったようだな」
グラハムは視線を、夜景の中に沈む旧市街区の方角へと向けた。
「潜伏先は時計塔か。……ふん、灯台下暗し、というやつだな。ネズミどもは地下に潜ったか」
「いかがいたしますか? 直ちに鉄機隊に連絡し、周辺を封鎖させましょうか」
「いや、それには及ばん。所詮、鉄機隊ごときでは奴らの足止めにもならん。無駄な死体を増やすだけだ」
グラハムは窓の外に視線を戻した。かつて自らを退かせたリオスの剣撃が、脳裏をよぎる。
「リリィ」
彼が名を呼ぶと、部屋の隅の暗がりから、黒いゴスロリ服を着た少女が音もなく姿を現した。手には、不気味な笑みを浮かべたウサギのぬいぐるみが抱かれている。
「なぁに、グラハム様? 呼んだぁ?」
「ネズミの居場所が割れた。『星喰の剣』と、古代エルフの血を引く娘も一緒だ。……奴らは危険だ。油断するなよ」
その言葉に、リリィの無邪気な瞳が、昏い喜悦の色に染まる。
「ほんと? やったぁ! 新しいおもちゃだね! ねぇ、壊してもいいの? ぐちゃぐちゃにしていい?」
キャハハ、と少女の残酷な笑い声が部屋に響く。
「好きにしろ。だが、剣と娘だけは確実に回収せよ。失敗は許さん。……手駒は連れて行って構わん。『黒律』で強化した獣たちをな」
「はーい! 了解ですぅ♪ さあて、狩りの時間だね、うさちゃん?」
リリィはぬいぐるみにキスをすると、影のように部屋から姿を消した。 グラハムは再び夜景に目を向け、冷たく呟いた。
「……精々あがくがいい。どのみち、この世界は間もなく終わる」
* * *
地下道の空気は澱んでおり、足元をネズミが走り抜ける音が反響する。 エリアスを先頭に、ゼノス、リーナ、リオスの順で慎重に進んでいた。エリアスが持つランタンのわずかな光だけが頼りだ。
「……止まれ」
突然、ゼノスが鋭い声で制止した。全員が足を止め、息を殺す。 前方の暗闇から、チャッ、チャッ、と規則的な金属音が聞こえてきた。巡回中の鉄機隊だ。
「マズいな、一本道だ。隠れる場所もねぇ」
リオスが小声で言う。ゼノスが舌打ちをし、短剣を構えようとしたその時、エリアスが懐から球体を取り出した。
「これを」
彼が投げた小さな球体が、兵士たちの足元で音もなく割れた。瞬間、濃密な白い煙が通路に充満する。
「なんだ!? 煙か!?」 「くそっ、何も見えん! 侵入者か!」
兵士たちの狼狽する声が聞こえる。エリアスはすかさず、もう一つの装置――導律小型装置を起動させた。ブォン、と低い唸り声を上げ、周囲の騒音が不自然にかき消される。
「今です、走り抜けますよ! 音はこれで誤魔化せます!」
エリアスの合図で、四人は煙の中を突っ切った。視界と聴覚を奪われ混乱する兵士たちの脇をすり抜け、一気に距離を稼ぐ。
「ほぅ、面白いおもちゃを持ってるじゃないか。アンタの研究成果か?」
煙を抜けた先で、ゼノスが感心したように言った。
「ええ、まあ。本来は別用途の試作品ですがね。役に立ったようで何よりです」
エリアスは涼しい顔で眼鏡の位置を直す。 その後も、彼らは幾度か巡回兵と遭遇しかけたが、エリアスの機転とゼノスの鋭い察知能力で、戦闘を回避しながら進んでいった。
そして、一時間ほど歩いただろうか。湿った空気に、微かに外の風の匂いが混じり始めた。
「出口は近いです。……ですが、ここからが正念場ですよ」
エリアスが足を止め、前方を睨む。そこは少し開けた空間になっており、天井の一部が崩落して瓦礫の山となっていた。その隙間から、微かに夜空が見える。
しかし、その瓦礫の前に、異様な集団が待ち構えていた。 全身を黒いボロ布で覆い、手には粗雑だが禍々しい気配を放つ武器を持った、野盗のような男たち。そして、彼らの足元には、通常の倍はあろうかという巨大な黒犬が、赤く目を光らせて唸り声を上げていた。
「……チッ、『闇の盟約者』の手駒どもか。それに、あの犬……ただの野良犬じゃないな。黒律で強化された獣だ」
ゼノスが短剣を抜き放ち、低い声で警戒を促す。黒犬の体からは、微かに黒い霧――「虚ろ」が立ち上っていた。
「まさか、ここまで手が回っていたとは……。鉄機隊よりも厄介な連中がお出ましのようですね」
エリアスが苦々しげに呟く。男たちの一人が、こちらに気づき、下卑た笑い声を上げた。
「ヒャハハ! 当たりだ! 嬢ちゃんの言った通り、ここから出てきやがった!」
「あのデカい剣を持ったガキが標的か! 女もいるぞ! 上玉じゃねぇか!」
「……強行突破するしかないようですね。皆さん、準備はいいですか?」
エリアスが懐から、今度は小さな筒のようなものを取り出す。
「ああ、いつでもいいぜ。……隠密行動は、ここまでだな!」
リオスは背中の剣の布を解き放った。露わになった星喰の剣の青黒い刀身が、地下の闇の中で鈍く脈動し、柄に埋め込まれた赤い宝石が怪しく輝いた。
「行くぞ!」
リオスの号令とともに、四人は最後の難関へと駆け出した。今、アスティラ脱出を賭けた、激しい戦いが始まろうとしていた。
さて、卓上の語り部でございます。
第三十四話『暁の脱出行、追跡者の影』、いかがでしたでしょうか。
今回の執筆では、物語の背景にある勢力図や、敵対者の知略をより深く描写することに注力いたしました。
特に、研究院評議会と闇の盟約者の間に横たわる「腐敗した共犯関係」は、このアスティラという国が抱える闇の深さを象徴する重要な要素となりました。国の中枢までもが敵に回る絶望的な状況下で、リオスたちの怒りと覚悟がより鮮明になったのではないかと思います。
また、宿敵グラハムの描写も修正を重ねました。彼がゲイル・テトラで目撃した事実に基づき、論理的にアスティラでの待ち伏せを画策していたこと、そして一度剣を交えたリオスたちを「油断ならない強敵」と認識していること。これらの描写により、彼の知性と脅威としての格が一段と高まったと感じております。
そして、新たな刺客リリィの登場。無邪気さと残酷さを併せ持つ彼女と、黒律で強化された異形の獣たちが、地下道の出口でリオスたちを待ち受けます。
次回、いよいよアスティラ脱出を賭けた激しい戦闘が幕を開けます。エリアスの頭脳とゼノスの技、そしてリオスの力がどのように交錯するのか。引き続き、彼らの運命を見守っていただければ幸いです。
P.S. 更に『アヴェリア物語』の世界設定や裏話に興味がある方は、ぜひ「Table Talker's Log」をご覧ください。物語をより深く楽しめる記事を随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




