第二十三話 『禁忌の実験室と、愚者の残響』
ゼノスが手をかけた鉄製の扉は、凍てついた蝶番が悲鳴を上げ、重々しい音を立ててゆっくりと開いた。
扉の向こうに広がっていたのは、それまでの書庫や聖域とは決定的に異なる、異質で圧迫感のある空間だった。
そこは、ゲイル・テトラの民が律動の根源、そして「虚ろ」の正体を探求した、禁忌の実験室だった。 室内には、用途不明の複雑な金属製の実験台や、ガラス管と歯車が組み合わさった奇妙な装置が所狭しと並んでいる。壁面には、通常の律動の流れとは逆行するような、見る者に不安を抱かせる難解な紋様がびっしりと刻まれていた。
しかし、ここもまた無事ではなかった。長い年月と、かつての惨劇の爪痕が深く刻まれている。多くの装置は内側から破裂したように破壊され、実験台は黒い氷に覆われ、まるで時間が凍結してしまったかのようだ。
「……ここが、禁断の研究室」
ゼノスの声が、静まり返った室内に硬く響く。
彼が握る影纏いの短剣が、この空間に満ちる澱んだ空気に反応し、警戒するように微かに振動を始めた。
リーナは、心珠を強く握りしめ、周囲の律動を感じ取ろうと集中するが、すぐに眉をひそめた。
「……気持ち悪い。ここの律動、すごく乱れているわ。自然な流れが全くない。まるで、無理やり捻じ曲げられて、腐ってしまったみたい……」
彼女の顔に、生理的な嫌悪と苦悶の表情が浮かぶ。
リオスは、部屋の中央付近、黒い氷に半ば埋もれるようにして残っていた頑丈な石造りの机に目を向けた。そこには、分厚い金属製の表紙が付いた一冊の書物が置かれていた。 それは、強力な律動の結界によって保護されていたようで、奇跡的に朽ち果てずに残っていた。
「ゼノス、これ……」
リオスが、氷を砕いてその書物を取り出し、ゼノスに手渡す。
ゼノスは、震える手でその重い表紙を開いた。 そこに記されていたのは、一族の文字。読み進めるにつれ、ゼノスの顔から血の気が引いていく。
『…ここに記すは、我ら一族の最大の禁忌であり、そして悔恨の記録である。 我々はエルフの真律による停滞を危惧し、来るべき災厄『虚ろの揺り籠』に対抗する術を模索した。 『虚ろ』とは何か。それは律動の停滞、すなわち「無」から生まれる飢餓。世界の活力が失われた時、その空白を埋めるように顕現し、あらゆる律動を喰らい尽くす存在。』
ゼノスの呼吸が荒くなる。
「『無』からの飢餓……」
『…我々は、敵を知るために、禁断の領域へと足を踏み入れた。 『虚ろの揺り籠』の力を解析し、対抗手段を確立するため、人工的に極小の「律動の停滞空間」を作り出し、そこに生じる「虚ろ」の力の再現を試みたのだ。』
「再現……だと……!?」
横で覗き込んでいたリオスが驚愕の声を上げる。
「まさか、自分たちで『虚ろの揺り籠』の力を生み出そうとしたのか……!?」
ゼノスの目が、次の記述を追う。
『…実験は、当初は成功したかに見えた。我々は、微小な「虚ろの種」を抽出することに成功した。 だが、我々は傲慢だった。「虚ろ」の飢餓は、我々の制御を遥かに超えていた。 実験槽の中で、「種」は周囲の律動を爆発的に喰らい始め、瞬く間に成長した。それは研究室の結界を食い破り、聖域の守護者たちを狂わせ、そして……』
ゼノスの手が、書物を握りしめるあまり白くなる。
『…そして、その強大な負の律動の奔流が呼び水となり、眠りについていた本物の『虚ろの揺り籠』を、完全に覚醒させる引き金となってしまった。』
「そんな……」
リーナが絶句し、口元を手で覆う。 ゼノスは、力が抜けたように膝をつきかけた。
「俺たちの一族が……世界を守ろうとして、逆に世界を滅ぼす災厄を呼び覚ましてしまったというのか……。なんて、愚かな……」
彼の声は、絶望と深い自己嫌悪に震えていた。
その時だった。 実験室の最奥、最も巨大な破壊された装置の中心部に残っていた、黒く濁ったクリスタルが、ドクン、と脈打った。
「ッ!?」
三人が同時に身構える。 クリスタルは、かつて人工的な「虚ろ」を封じ込めていた檻なのだろう。だが今は、その内部で黒く澱んだ何かが、蠢き始めていた。
「ゼノス、あれは!」
リオスが星喰の剣を抜く。
「……『虚ろの種』の、残滓だ」
ゼノスが呻くように言った。
「俺たちが来たことで……心珠の清浄な律動に反応して、活性化しているんだ!」
クリスタルに亀裂が走り、そこからコールタールのような黒い霧が噴き出した。霧は瞬く間に広がり、実験室の空気を凍てつくような悪意で満たしていく。 それは幻影ではない。かつてゲイル・テトラの民が生み出してしまった、災厄の種子そのものだった。
黒い霧は渦を巻き、おぞましい唸り声を上げながら、一つの巨大な影へと形を変えていく。 それは、彼らがこれまで相対してきたどの魔物よりも濃密な「死」と「無」の気配を纏っていた。
「来るぞ!!」
リオスの叫びと同時に、影が実体化し、彼らに向かって咆哮した。 その声なき絶叫は、物理的な衝撃となって三人を襲った。
さて、卓上の語り部でございます。
第二十三話『禁忌の実験室と、愚者の残響』、お読みいただき誠にありがとうございます。 ついに禁断の研究室で、あまりにも残酷な真実が明らかになりました。
ゲイル・テトラの民は、ただ災厄を予見した悲劇の民というだけではありませんでした。世界を守りたいという一心から禁忌に触れ、その結果、自らの手で『虚ろの揺り籠』を呼び覚ます引き金を引いてしまった……。 「世界を守るための研究が、世界を滅ぼす原因となった」という、あまりに皮肉な結末。自身のルーツが犯したこの「愚かな過ち」を知ったゼノスの絶望は、計り知れません。
しかし、感傷に浸る時間はありません。 かつて一族を滅ぼす原因となった「虚ろの種」の残滓が、心珠の光に反応し、実体を持って彼らに襲いかかります。これは過去の亡霊であり、自分たちがこれから立ち向かわねばならない災厄の「雛形」でもあります。
この閉ざされた実験室で、彼らは過去の過ちを清算し、生き延びることができるのか。 次回、緊迫の戦闘回にご期待ください!
ps. 更に『アヴェリア物語 〜これは、一人の青年の復讐から始まる、星の運命に抗う物語 〜』の世界設定や裏話に興味がある方は、ぜひ「Table Talker's Log」をご覧ください。物語をより深く楽しめる記事を随時更新しております。 https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




