閑話 其の二 『冷たい夜と、焚き火の誓い』
時は遡り――賢者の塔を後にして、数日が経っていた頃。 アルキデウスという絶対的な導き手を失った三人の旅は、ウィスパーウッドを出発した時とは比べ物にならないほど、重く、静かなものだった。
ストーンクリークへと続く北の街道は、賢者の塔周辺の森を抜けると、次第に木々の背が低くなり、ゴツゴツとした岩肌が目立つ荒野へとその姿を変えていく。陽が落ちると、南の森では感じなかった凍えるような風が吹き抜け、容赦なく体温を奪っていった。
「……今日は、この辺りで野営にしよう」
辺りが薄暗くなり始めた頃、ゼノスが足を止めた。彼が選んだのは、風を少しでも遮れる、切り立った岩壁の窪地だった。
「ああ。そうだな」
リオスは、どこか上の空といった様子で頷くと、背負っていた荷物を無言で下ろした。 アルキデウスを失った喪失感と、彼を救えなかった無力感が、まだリオスの肩に重くのしかかっている。
「俺は薪を集めてくる」 「……俺も行く」
リオスは、ゼノスの言葉に被せるように言った。何かをしていないと、思考が暗い方へと沈んでしまいそうだった。 ゼノスは何も言わず、ただ頷き、リオスとは別の方向へと歩き出した。
リーナは、二人の背中を不安げに見送った後、きつく唇を噛み締めた。
(私が、しっかりしなきゃ……)
彼女は荷物から小さな鍋と水袋、そして携帯食料の干し肉と固いパンを取り出した。 ゼノスが戻り、手際よく火口と火打石で火種を作る。リオスが運んできた枝を組み、やがてパチパチと音を立てて、闇の中に暖かい光の輪が生まれた。
焚き火の炎は、三人の沈んだ顔をぼんやりと照らし出す。 リーナは鍋に水と干し肉、砕いたパンを入れ、簡単なスープを作り始めた。温かい湯気と共に、わずかな食料の匂いが立ち上る。
「……できたわ。たいしたものできないけど……食べて」
リーナが差し出した木の器を、リオスとゼノスは無言で受け取った。 熱いスープが、凍えた体に染み渡っていく。 沈黙が続いていた。聞こえるのは、風の音と、焚き火の爆ぜる音だけだ。
「……アルキデウス様は、本当にいなくなっちゃったんだね……」
最初に沈黙を破ったのは、リーナだった。彼女の瞳には、焚き火の炎が映り、その光が悲しみに潤んで揺らめいていた。
「私、あの塔で、アルキデウス様が言ってた『鍵』の役目を、ちゃんと果たせるのかな……。私なんかに、本当に……」
声が震え、最後は言葉にならなかった。
リオスは、握りしめていた器を強く掴んだ。
「……果たせるか、じゃない。やるんだ」
彼は、自分に言い聞かせるように言った。
「俺は、ウィスパーウッドを守れなかった。じいさんも……守れなかった。もう、誰も失いたくない。リーナ、お前は俺が守る。それが、じいさんへの……アルキデウスへの、俺なりの答えだ」
星喰の剣が、傍らで静かな光を放っている。
「……守られるだけじゃ、ダメなんだ」
リーナが、顔を上げた。涙は消え、強い意志の光がその瞳に宿っていた。
「私も、戦う。心珠の力は、まだよく分からないけど……アルキデウス様が私に託してくれた、最後の希望だから。もう、リオスやゼノスが傷つくのを見てるだけなのは嫌」
二人のやり取りを、ゼノスは黙って聞いていた。 彼は、スープを飲み干すと、ゆっくりと口を開いた。
「アルキデウスは、俺たちに道を示した。『虚ろの揺り籠』を止めろ、と。そして、俺には『ゲイル・テトラの使命』を思い出せと言った」
彼は、焚き火の向こう側、天蓋山脈がそびえるであろう北の闇を見つめた。
「ストーンクリークに行けば、何か分かるかもしれん。……俺は、俺の部族が捨てたという使命を、確かめなければならない」
それは、ゼノスが初めて見せた、彼自身の過去への言及だった。
「ゼノス……」
「リオス。お前の決意は、重い。だが、一人で背負うな」
ゼノスは、リオスをまっすぐに見据えた。
「お前もリーナも、固くなりすぎている。その決意は、自分自身を縛る枷だ。一人で突っ走るな。俺たちを頼れ。そうでなければ、この先に待つ『障壁』は越えられん」
ゼノスの言葉は、荒々しいリオスの決意を、より強固でしなやかなものへと変えていくようだった。 リオスは、驚いたようにゼノスを見ていたが、やがて、ふっと息を吐き、小さく笑った。
「……そうだな。悪い、力みすぎてた」
「私たち、仲間だもんね」
リーナも、ようやく笑顔を見せた。
アルキデウスを失った夜は、暗く、冷たい。 だが、焚き火を囲む三人の間には、新たな、そしてより強固な絆が生まれようとしていた。
「……俺が、最初の見張りだ」
ゼノスが立ち上がり、短剣を手に、少し離れた岩の上へと移動する。
「リオスは次だ。リーナ、お前は休め。明日は、また歩く」
「うん、おやすみなさい、ゼノス」
リーナは、心珠を胸に抱くようにして毛布にくるまった。すぐに、疲労からか、小さな寝息が聞こえ始める。 リオスは、眠るリーナの横顔と、闇に溶け込むゼノスの背中を見つめた。 彼は、星喰の剣を傍らに置き、焚き火に太い薪を一本くべる。 炎が、再び強く燃え上がった。
(俺たちは、進むんだ)
リオスは、赤く燃える炎の中に、ストーンクリークの先に待つ未来を、強く見据えていた。
さて、卓上の語り部でございます。
閑話『冷たい夜と、焚き火の誓い』、お読みいただき誠にありがとうございます。 今回は、賢者の塔を後にし、ストーンクリークへと向かう道中での三人の情景を描かせていただきました。
アルキデウスという大きな存在を失った悲しみと、進むべき道への不安。 しかし、野営の焚き火を囲む中で、リオス、リーナ、ゼノスはそれぞれの決意を新たに固め、互いに支え合う「仲間」としての絆をより深くしました。
特に、ゼノスの言葉がリオスの凝り固まった心を解き、三人で困難に立ち向かう姿勢が明確になったかと思います。 この絆が、天蓋山脈の奥で彼らを待ち受ける試練を乗り越えるための、何よりの力となるでしょう。
次なる物語で、彼らがどのような困難に立ち向かい、どのように成長していくのか。 どうぞご期待ください。
ps. 更に『アヴェリア物語』の世界設定や裏話に興味がある方は、ぜひ「Table Talker's Log」をご覧ください。物語をより深く楽しめる記事を随時更新しております。 https://tabletalker.info/
卓上の語り部より、敬具。




