表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アヴェリア物語 〜これは、一人の青年の復讐から始まる、星の運命に抗う物語〜  作者: 卓上の語り部


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/36

第二話 『炎と、絶望の始まり』

夜明けは、いつもと違う顔をしていた。 ウィスパーウッドを包む朝靄は、いつもより深く、ねっとりと村を灰色に沈めている。 焼きたてのパンの甘い香りに混じって、微かに鉄錆のような、あるいは獣の腐臭にも似た異臭が風に乗って届いていた。

何より、静かすぎた。 夜明けを告げる鳥の声が、一羽たりとも聞こえない。

「……?」

朝の鍛錬を終えたリオスは、言いようのない胸騒ぎを覚えて空を見上げた。 村の犬が、吠えもせずに主人の家の戸口で低く唸っている。 リーナの家へ向かう道すがら、いつもなら挨拶を交わす村人の姿もなかった。

(皆、まだ寝ているのか?)

リオスが首をかしげた、その時。 東の丘の向こうから、獣の遠吠えのようでありながら、もっと甲高い、金属を擦り合わせたかのような不快な音が、一つだけ響き渡った。

ウィスパーウッドを見下ろす丘の上。 朝靄の中、黒鋼の軍勢が音もなく整列していた。 その先頭に立つ一人の騎士――『将軍』と呼ばれる男は、眼下に広がる穏やかな村を、兜の奥から何の感情もなく見下ろしている。

「――始めろ」

低い声が号令を発する。

「目標は『古の鍵』を持つ娘、一人。見つけ次第、生け捕りにしろ。抵抗する者は斬り捨てよ。……残りは、好きにしていい」

将軍が、まるで邪魔な小石でも払うかのように、村の入り口に立つ見張り櫓へ向かって無造作に手をかざす。 その掌に、紫黒のエネルギーが渦を巻き、凝縮していく。 次の瞬間、闇の奔流が放たれ、見張り櫓は悲鳴を上げる間もなく、木っ端微塵に爆ぜ散った。

それが、惨劇の始まりだった。 轟音と共に、黒い影の群れが村へと雪崩れ込んでくる。 彼らは何の名乗りも、何の要求も口にすることなく、ただ機械的に、目に入る村人たちを斬り捨て、家に火を放っていく。

「な……んだ、こいつらは!」

広場に駆けつけたリオスの目に映ったのは、地獄そのものだった。 昨日まで笑い声を上げていた子供たちの絶叫。 助けを求める村人たちの悲鳴。 そして、黒鋼の兵士たちの、一切の感情を感じさせない剣戟の音。 パンの甘い香りは、肉の焼ける悍ましい臭いと、燃え盛る家の煙に掻き消されていた。

「ぐあああっ!」

屈強なドワーフの鍛冶屋が、自慢の戦斧で兵士の一団に立ち向かうが、数本の無慈悲な刃に鎧ごと貫かれる。 その光景に、リオスの全身の血が沸騰した。

「やめろぉぉぉっ!」

怒りの咆哮と共に、リオスは父の形見の剣を抜き、兵士の一人に斬りかかった。 刃と刃がぶつかる衝撃が、腕を痺れさせる。 敵は強い。だが、それ以上に、彼らの動きには迷いも躊躇もなかった。 まるで、人を斬ることに何の痛みも感じていないかのように。 リオスが一人を斬り伏せた瞬間、別の兵士の振るった戦斧の柄が、彼の脇腹にめり込んだ。

「ぐっ……!」

骨がきしむ鈍い痛みに、呼吸が一瞬止まる。 その時、獣のような雄叫びが響き渡り、ゼノスが黒い疾風となって兵士たちの只中に躍り込んだ。 彼の二本の短剣が、鎧の隙間を的確に抉っていく。

「リオス、気を抜くな! こいつら、ただの賊じゃない!」

煙と混乱の中、二人の子供を庇うリーナの姿が見えた。 兵士の一人が、その小さな背中に無情にも剣を振り上げる。

「やめて!」

リーナが絶叫し、咄嗟に両手を突き出した。 古文書で読んだ知識だけを頼りに、彼女が意味も分からず古代の言葉を叫ぶ。 すると、彼女と子供たちの前に、幾何学模様の淡い光の壁が展開された。 兵士の剣が激しく打ち付けられるが、甲高い音と共に表面に蜘蛛の巣のようなヒビが入るだけで、完全には砕けない。兵士はなおも、無感情に剣を振り下ろす。

「――無駄な時間を」

絶望がリーナの顔を覆った、その時。 兵士の背後から、禍々しい紋様の刻まれた大剣が、その兵士の体を鎧ごと貫き、そのままリーナの不完全な障壁を轟音と共に粉砕した。 将軍――黒騎士は、己の剣に貫かれたままの無能な駒を、まるで邪魔な肉塊のように振り払い、リーナを見据える。その兜の奥の瞳は、まるで出来の悪い道具を見るかのように冷え切っていた。

「見つけたぞ、『鍵』の娘。その程度の力の発現で、時間を稼いだつもりか」

騎士から放たれる絶望的な威圧感に、リオスもゼノスも動けない。 その三人の前に、凛とした声と共に立ちはだかったのは、村長のグランだった。

「――お前たちのような若者を、ここで死なせるわけにはいかん」

皺だらけの手に握られた儀礼用の杖が、淡い光を放ち、古の紋様がその表面に浮かび上がる。

「行け、リオス! リーナを……『鍵』を、この世界の希望を連れて、東の賢者の塔へ! 賢者アルキデウスならば、全ての答えを……。忘れるな、お前の中にも『力』は眠っている……。炎の中から、立ち上がるのだ……!」

グランが杖を地面に突き立てると、眩い光の壁が生まれ、黒騎士の足を一瞬だけ止めた。 しかし、騎士は大剣を軽く一振りするだけで、その光を霧散させる。

「無駄だ」

振り下ろされた刃が、グランの体を容易く貫いた。

「じいさんッ!」

リオスの絶叫が、燃え盛る村に木霊する。 怒りと悲しみに我を忘れ、飛び出そうとするリオスの腕を、ゼノスが鋼の力で掴み、引き摺った。

「行けって言われただろうが! 村長の覚悟を無駄にするな!」

背後で、リーナの悲痛な叫び声が聞こえる。 ゼノスに引きずられ、燃え落ちる家々の間を抜け、命からがら村の裏手にある森へと転がり込んだ。

どれだけ走っただろうか。 三人は、ウィスパーウッドを見渡せる丘の上で、ついに足を止めた。 そこに、昨日までの穏やかな村はもう無かった。 すべてを飲み込み、天を焦がす巨大な炎の塊があるだけだ。 ただ、黒い煙と絶望だけが、故郷だった場所から立ち昇っていた。

平穏は、終わった。 守るべきものは、灰になった。

だが、彼らにはまだ、グランに託された希望と、進むべき道が残されている。 炎に照らされた三つの若い影は、固く、誓った。 この理不尽な破壊の真実を突き止め、奪われたものすべてを、必ず取り戻すことを。

ウィスパーウッドの村が地図から消えた日。 アヴェリアの黄昏の時代に、三つの新たな炎が灯った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ