第十六話 『ストーンクリークの賑わいと、高地の息吹』
ストーンクリークへの道のりは、想像以上に起伏に富んでいた。
賢者の塔がそびえる森を抜けると、道は緩やかな丘陵地帯へと変わり、やがてゴツゴツとした岩肌が露出する荒野へと続いていく。北へ進むにつれて、風は肌を刺すように冷たくなり、遠くに見える天蓋山脈の姿は、より一層その威容を増していった。
「ずいぶん景色が変わったな」
リオスは、凍える手で剣の柄を握りしめながら言った。吐く息は白く、ウィスパーウッド村があった地域とはまるで違う冷え込みだ。
「こんな場所を越えて、山脈の奥へ行くってのか……」
「これでもまだ、山脈の麓に過ぎん」
ゼノスが、顔色一つ変えずに答えた。ゲイル・テトラの民である彼にとって、この程度の寒さは慣れたものなのだろう。
「標高が上がるにつれて、奇妙な気象現象に見舞われることもあると聞く。この土地の連中は、それを『山の息吹』と呼んでいる」
リーナは、マントの襟をきつく締めながら、空を見上げた。澄んだ冬空は、どこか威圧感すら感じさせる。
「でも、こんなに寒くても、植物は生きているんだね」
道端の岩の隙間からは、凍えるような風にも負けずに、小さな花や苔が顔を出している。律動の偏りは確かに世界を蝕むが、生命の律動そのものが途絶えることはない。
三人の会話は、アルキデウスを失った悲しみを癒すかのように、旅の風景や今後の計画へと移っていった。
「ストーンクリークには、山脈に詳しい者が集まるんだろ? きっと何か手掛かりが見つかるはずだ」
リオスは、前向きな口調で言った。彼の心には、故郷の復讐と、アルキデウスが託した使命への決意が燃えている。
「『虚ろの揺り籠』へたどり着くための知識と、それを乗り越える備えが必要だ。焦らず、一つずつ確実に対処していこう」
ゼノスの言葉は、いつも冷静沈着で、一行の冷静さを保つ錨のようだった。
数日間の道のりを経て、彼らはようやくストーンクリークの町を見渡せる丘の上に立つことができた。 その名は伊達ではなく、町全体が灰色の岩石で築かれており、どこか武骨で質実剛健な雰囲気を漂わせている。町の中央には、天蓋山脈へと続く太い道が伸びており、荷を積んだ獣や、分厚い防寒具をまとった人々が行き交っていた。町を囲むように築かれた高い石壁は、厳しい自然から人々を守るための砦のようにも見えた。
「あれがストーンクリーク……」
リーナが、感動したように呟いた。開拓町というよりは、一つの要塞都市のようにも見える。
「たくさんの人がいるね。ここで、何か分かるかな」
町は、天蓋山脈への玄関口としての役割を存分に果たしているようだった。 鍛冶屋の槌の音、宿屋から漏れる賑やかな声、そして山脈で採取されたのであろう稀少な鉱物や毛皮を売る露店の呼び声が、冷たい空気の中に活気を与えている。しかし、その活気の裏には、山脈がもたらす富と危険が常に隣り合わせである、張り詰めた空気も感じられた。
三人は、町の門をくぐった。 石畳の道には、様々な種族の人々がひしめき合っている。険しい山脈を越えてきた旅人、山脈の奥地に魅せられた探求者、そして稀少な資源を求めて集まった商人たち。彼らの間を縫うように、リオスたちは進んだ。
まず、彼らは情報が集まるであろう酒場や商店を巡った。
「すみません、この辺りで天蓋山脈の奥地や、そこで起こる奇妙な現象について詳しい者はいませんか?」 リオスは、行く先々で尋ねて回った。しかし、返ってくるのは曖昧な噂話や、「そんな危険な場所には近寄るな」という警告ばかりだ。
「奥地は化け物の巣だとか、入ったら帰ってこれないとか……具体的な話は全然ないな」
リオスは、肩を落とした。
リーナもまた、山脈の古の伝承について尋ねたが、得られるのは子供向けの作り話のようなものばかりだった。 リオスとリーナが聞き込みを続ける中、ゼノスは町の人々の様子を観察していた。彼らが話す「山脈の奇妙な現象」という言葉を聞くたび、ゼノスの脳裏には、自身の部族に伝わる古の伝承が重なる。
(山の息吹……やはり、あれのことか……)
日も傾きかけた頃、彼らは町の外れにある、ひときわ古びた小さな宿屋の扉を開いた。 そこは、他の酒場のような活気はなく、数人の客が静かにグラスを傾けているだけだった。 リオスがカウンターに近づき、主人が忙しくグラスを拭いているのを待った。
「すみません。この町で、山脈の奥地で起こるという奇妙な現象について、詳しい人はいませんか?」
主人は、顔を上げ、リオスたちを一瞥した。
「奇妙な現象、ねぇ……。ああ、『山の息吹』のことかい? あんたたちも、結局は同じ口かい。なら、関わらないのが賢明だよ。だが、それでも知りたいってんなら……この町にゃ、テオドールって変わり者の老人がいる。ずっと山脈の奇妙な現象ばかり研究してる御仁だが、気難しいからねぇ。ろくな話は聞けやしないだろうが」
「テオドール……」
リオスは、その名を記憶した。
主人の指差す方を見ると、酒場の片隅で、年老いた男が一人、薄暗いテーブルに座っていた。分厚い眼鏡をかけ、古びた本と奇妙な測定器具を広げている。彼の傍らには、見たことのない形をした石がいくつか転がっていた。
ゼノスは、迷わずその男のテーブルに近づいた。
「あんた……テオドールか? 山の息吹について調べているのか?」
テオドールは、ゼノスの突然の問いかけに、顔を上げた。その目は警戒心に満ちている。
「なんだ、お前たち。どこの馬の骨とも知れん小僧どもが、わしの研究に何の用だ? わしは、暇つぶしの相手をするほど気安くはないぞ」
老人は、ぶっきらぼうに言い放ち、再び本に目を落とそうとした。
「俺たちは、この世界の『律動』の乱れを止めようとしている旅人だ」
リオスが、一歩前に出て、真摯な目でテオドールを見た。
「天蓋山脈の奥にある『虚ろの揺り籠』に行かなければならない。そのために、山脈の情報が欲しい」
「『律動』……? それに、『虚ろの揺り籠』だと?」
テオドールは、リオスの言葉に、ピタリと動きを止めた。彼の顔から、偏屈な表情が消え、深い驚きと好奇心に変わっていく。
「お前たち……一体、何者だ? 『律動』を知っているとは……」
テオドールは、彼らが只者ではないことを瞬時に察したようだった。しかし、それでもなお、警戒を完全に解いたわけではない。
「ふん……『律動』を語るか。だが、お前達が信用に足るのかどうか、わしには判断できん。それに、わしは自分の研究に他人の介入を望まん、立ち去るがいい」
テオドールは、そう言い放ち、再び本に視線を戻した。彼の眼差しは、リオスたちの真意を探るように鋭い。
「身元を証明する術も、信頼を勝ち取る時間もないのか……」
リオスは、困惑と焦りで唇を噛んだ。彼らは、アルキデウスという庇護者を失い、今は何の後ろ盾もない。
その時、宿屋のドアが乱暴に開かれた。
「誰かいないか! 山で遭難者がいるんだ! この吹雪じゃ、もう長くは持たないぞ!」
息を切らした男が叫んだ。彼の背後からは、猛烈な吹雪の音が聞こえてくる。
リオスは、即座に立ち上がった。
「遭難者だと? リーナ、ゼノス、行くぞ!」
ウィスパーウッドを襲った厄災を目の当たりにしたリオスにとって、目の前で苦しむ人々を見過ごすことはできなかった。
「待て! この吹雪の中、素人が行っても無駄死にするだけだ!」
主人が止めようとするが、リオスは聞かない。ゼノスも無言で剣を握り、リーナも心珠を構えた。 テオドールは、その様子を、じっと見つめていた。彼の目には、わずかな驚きと、何かを測るような色が浮かんでいた。
吹雪の中、人々を救うため駆け出す三人。ストーンクリークでの彼らの最初の試練が、今、始まろうとしていた。
さて、卓上の語り部でございます。
第十六話『ストーンクリークの賑わいと、高地の息吹』、お読みいただき誠にありがとうございます。 一行はついに天蓋山脈の玄関口、ストーンクリークへと到着しました。しかし、そこで得られた情報は断片的で、求めていた「虚ろの揺り籠」への道筋は、容易には見えてきません。
偏屈な老研究家テオドールとの出会いも、一筋縄ではいかないようです。彼が知る「山の息吹」と、リオスたちの「律動」は確かに繋がるようですが、その口は堅く、信頼を勝ち取らなければなりません。
そんな中、突如として降りかかった遭難者救助の試練。 リオスたちの行動が、この町で、そしてテオドールの心に、どのような影響を与えるのでしょうか。 次なる物語の展開に、どうぞご期待ください。
卓上の語り部より、敬具。
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