第十三話 『『鍵』の試練と、遠隔の黒律』
律動制御炉の前に、リーナは静かに立っていた。
巨大な円筒形の炉は、無数の光の筋を放ち、空間全体を脈動させている。その中心から放たれる律動の奔流は、肌をぴりぴりと刺すような、しかし抗いがたい引力を持つようだった。
「よいか、リーナ。心珠を炉の中央にある受け皿に置くのだ」
アルキデウスの声が、空間に響く律動の音に交じって聞こえる。
「そして、お前の意識を心珠と、この炉へと深く同調させる。律動の奔流に呑まれぬよう、強く、そして清らかな心で臨むのだ」
リオスとゼノスは、リーナの少し後ろに立ち、固唾を呑んで見守っていた。彼らの視線は、炉の圧倒的な存在感と、これからその中心に立つリーナの小さな背中との間を行き来する。
リーナは、深く息を吸い込んだ。 手に握りしめた「律動の心珠」が、彼女の鼓動に合わせて、かすかに脈打つ。それは、彼女の覚悟を映すかのように、暖かな光を放っていた。
「……うん」
リーナは、小さく頷くと、一歩踏み出した。
炉の中央にある、律動の光を放つ台座に、そっと心珠を置く。 瞬間、心珠から放たれた光が、炉全体へと広がり、律動の脈動が一段と強まった。 リーナは、目を閉じ、両手を心珠にかざす。意識を集中させ、心珠を通じて律動制御炉と繋がろうと試みる。
(くる……!)
リーナの意識の深奥に、律動の奔流が押し寄せる。それは、数千年の時を超え、世界中の律動が集約された、膨大な情報の濁流だった。歓喜、悲嘆、怒り、絶望、そして数多の生命の営み――あらゆる感情と、世界の記憶が、一瞬にして彼女の精神を侵食しようとする。
「ぐっ……!」
リーナの顔が、苦痛に歪んだ。全身が震え、まるで電流が走ったかのように、彼女の髪の毛が逆立つ。
「リーナ!」
リオスが思わず声を上げた。
「待て、リオス! 今は声をかけるな!」
アルキデウスが、鋭い声で制止する。
「彼女の意識が、炉から切り離されてしまう! 律動の奔流に耐え抜かねば、起動はできない!」
アルキデウスの言葉通り、リーナの精神は、律動の嵐の中で必死にもがいていた。彼女の意識は、過去の記憶の断片と、世界の『歪み』によって生じた苦痛に、寸断されそうになる。
(負けない……! 私が、止める……!)
リーナは、心の中で強く叫んだ。 ウィスパーウッド村が焼かれた惨状。ティムを助けた時の温かさ。リオスとゼノスが自分を信じてくれたこと。 それらの記憶が、律動の奔流に飲まれそうになる彼女の精神を、必死に繋ぎ止める。
すると、リーナの心珠から放たれる光が、一層強く輝き始めた。 律動制御炉の脈動が、彼女の意志に呼応するかのように、さらに力強く、そして安定したリズムを刻み始める。 炉の中央から、眩いばかりの光が天高く立ち上り、空間全体を満たしていく。
「いける……! リーナが、律動制御炉と接続した!」
アルキデウスの声に、歓喜の色が滲んだ。
その時だった。
「――愚かな」
空間全体を揺るがすような、冷酷な声が響き渡った。 声の主は、ここにいないはずの男――グラハムの声だ。 その声と同時に、制御炉の中心から立ち上っていた光が、突如として黒い律動によって汚染され始めた。
「なっ……!?」
リオスとゼノスが、思わず身構える。
「馬鹿な……! グラハムめ、まさか遠隔で律動を操作するとは……!」
アルキデウスの顔から、血の気が引いた。
汚染された黒い律動は、制御炉の正常な律動を侵食し、脈動を歪ませ始める。 炉から放たれる光は、黒い靄に包まれ、不気味な唸り声を上げ始めた。
「くっ……!」
リーナは、再び苦痛の表情を浮かべた。黒い律動が、心珠を通じて彼女の精神へと流れ込み、正常な律動との間に激しい摩擦を生み出す。 まるで、彼女の精神が、二つの異なる律動によって引き裂かれようとしているかのようだった。
「このままでは、制御炉が暴走する……! 最悪の場合、律動の収束を失い、世界そのものが律動の渦に呑まれてしまう!」
アルキデウスの声に、焦りがにじむ。
リオスは、剣を構え、ゼノスも短剣を抜き放つが、目に見えない律動の汚染をどうすることもできない。
「くそっ、どうすればいいんだ!?」
リオスの叫びが、虚しく響いた。
アルキデウスは、決意に満ちた表情で、一歩前に踏み出した。 その手には、これまで持っていなかった、輝く杖が握られている。
「……これ以上は、許さん」
アルキデウスの声は、静かだったが、その瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
「リーナ、リオス、ゼノス……。お前たちは進め…!真の厄災の源を、突き止めるのだ!」
「じいさん……!?」
リオスが、アルキデウスの異変に気づく。
アルキデウスは、杖の先端を、汚染されつつある制御炉へと向けた。 彼の全身から、純粋な真律の光が溢れ出し、黒い律動に対抗するように輝き始める。
「わしは、ここでグラハムの黒律をとめる。この身をもって、律動の汚染を防ぎ、制御炉を安定させる。」 アルキデウスの声は、もはや震えていなかった。
「わしが時間を稼ぐ……その間に、お前たちは……」
「そんなことしたら、あんたは...!?」
リオスが叫ぶ。
「わしの一族は、この律動制御炉と共に永きを生き、そして死ぬ定めだ。それが、過去の傲慢への償いでもある」
アルキデウスは、静かに微笑んだ。その顔は、まるで吹っ切れたかのように晴れやかだった。
「行け! 『鍵』よ、そして世界の未来を担う者たちよ!」
アルキデウスの全身から放たれる真律の光が、黒い律動を押し返し始める。 制御炉の脈動は、再び安定を取り戻し始めたが、アルキデウスの身体は、その膨大な律動の力に耐えきれず、まるで光の粒子となって崩壊していくかのようだった。
「じいさん!!」
リオスの叫びが、空間に響き渡る。 しかし、アルキデウスは、その声に答えることなく、ただ静かに微笑み続けていた。 彼の体が、光となって消えゆく寸前。 その口元が、かすかに動くのが見えた。
「……ゲイル・テトラの民よ……お前たち部族が捨てた使命を思い出せ……天蓋山脈の『影』を……」
その言葉が、ゼノスの耳に届いた直後。 アルキデウスは、完全に光の粒子となって消え去った。 同時に、制御炉から放たれる光が最大に達し、律動の奔流がリーナの精神を突き抜けていく。
「はっ……はぁ……!」
リーナは、心珠を握りしめたまま、大きく息を吐いた。 彼女の顔色は蒼白だったが、その瞳には、確かな光が宿っている。 律動制御炉は、眩い光を放ちながら、再び安定した脈動を刻み始めていた。
アルキデウスの犠牲によって、制御炉の起動は成功したのだ。 だが、その代償は、あまりにも大きかった。
さて、卓上の語り部でございます。
第十三話『『鍵』の試練と、遠隔の黒律』、お読みいただき誠にありがとうございます。 律動制御炉の起動という希望の光が差したのも束の間、グラハムによる遠隔からの黒律の妨害は、一行を絶望の淵に突き落としかけました。
しかし、その危機を救ったのは、アルキデウスの決死の覚悟と、彼自身の命を賭した行動でした。律動と共に生き、そして散った彼の犠牲は、世界に一時的な猶予をもたらしましたが、残されたリーナたちの心には、深い悲しみと、新たな使命が刻み込まれたことでしょう。
アルキデウスの託した言葉を胸に、彼らは一体どこへ向かうのでしょうか。
次なる物語の展開に、どうぞご期待ください。
卓上の語り部より、敬具。




