第九十八話『虚ろの覚醒、終滅の島への誘い』
グラハムの空間術式が砕け散ったことで、雪渓を塞いでいた吹雪は嘘のように晴れ渡っていた。 その先に現れたのは、天蓋山脈の頂上付近をすり鉢状にくり抜いた、巨大な氷のカルデラだった。
「あれが……『虚ろの揺り籠』か……」
ゼノスが息を呑む。 カルデラの底には、これまでの旅で見てきた比ではない、純粋で絶対的な「闇」が泥のように渦巻いていた。星の排熱が限界を超え、行き場を失って溜まり続けたエラーの極致。 だが、一行の視線はその闇のさらに中心、空中に浮かぶ一人の男に釘付けになった。
「親父……!」
闇の盟約者の盟主、ゼフィアン。 彼の手には、聖域の大樹から奪い取った黄金の宝玉――『星を紡ぐ原液』が握られていた。
「遅かったな。すでに『鍵』は回したぞ」
ゼフィアンが宝玉を、足元の『虚ろ』の渦へと無造作に落とした。 瞬間、世界の色が反転した。
純粋な創造のエネルギーである原液と、極限の破壊エネルギーである虚ろ。相反する二つの力が衝突し、ショートしたことで、莫大な『反律動』の奔流が天を衝いた。 ゼフィアンは逃げるどころか、自らその奔流の真ん中へと身を投じた。
「う、おおおおおおおッ!!」
歓喜と苦痛が混ざり合った咆哮。 黒鋼の鎧が内側から弾け、彼の肉体をベースに新たな装甲が再構築されていく。背中からは漆黒の律動が翼のように広がり、手にした大剣は空間そのものを削り取るような異様な波長を放っていた。 もはや人間ではない。星を壊し、再編するための『破壊神』の姿だった。
「させるかぁッ!」
リオスが地を蹴り、カルデラの斜面を滑り降りるようにしてゼフィアンへと肉薄した。『星喰の剣』を上段に構え、渾身の一撃を振り下ろす。ゼノスもまた、死角から『影纏いの短剣』を一閃させ、奥義『影絶ち』を放った。
「無意味だ。エルフの遺産も、ゲイル・テトラの技も……すでに私には届かん」
ゼフィアンが大剣を軽く振るった。 ただそれだけで、カルデラの氷壁が円形に吹き飛び、リオスとゼノスは目に見えない巨大な壁に衝突したかのように後方へと弾き飛ばされた。
「ぐはぁっ……!」
「がッ……くそ……なんて重さだ……!」
雪の上に叩きつけられた二人は、すぐに立ち上がろうとするが、骨の髄まで響くような反律動の圧力に押さえつけられ、膝をつくことしかできない。
「器も、導き手も、もはや不要。私自身がシステムを上書きする『律動』そのものとなったのだからな」
ゼフィアンは虚空に浮かんだまま、冷徹な視線で足元の若者たちを見下ろした。
「ここにある虚ろの力は、すべて私の肉体に吸収した。……あとは、この星のシステムに直接アクセスし、『再編』のコマンドを実行するだけだ」
「再編……まさか、星のシステムを強制的に初期化するつもりですか!」
エリアスが叫ぶと、ゼフィアンは薄く笑った。
「その通りだ。私はこれから、世界の東南の果て……海に浮かぶ絶島に座す、庭師の最終管理施設『アイゼン・ドゥーム(鉄の審判所)』へ向かう。あの中枢の玉座にて、この狂った星の理を完全に破壊し、白紙から創り直す」
「待て……逃がすかよッ!」
リオスが剣を杖にして立ち上がろうとするが、ゼフィアンの背中の黒い翼が大きく羽ばたくと、空間が歪み、彼の姿は漆黒の雷光と共に上空へと消え去った。
圧倒的な静寂が戻ったカルデラ。 渦巻いていた「虚ろ」の澱みはゼフィアンに吸収され、天蓋山脈は数千年ぶりに、本来の冷たく澄んだ空気を漂わせていた。 だが、それは決して平穏の訪れを意味するものではない。星の排熱すべてをその身に宿した破壊神が、世界の理を書き換えるために放たれたのだ。真の絶望は、まさにこれから始まろうとしている。
「アイゼン・ドゥーム……ゲイル・テトラの伝承に遺る、禁忌の島。奴の言う『庭師の最終管理施設』とは、あの場所のことか……」
ヴァラが曲刀を握りしめ、東南の空を睨んだ。
「星の理を直接操作するための、巨大な鉄の島だ。あそこに辿り着かれれば、世界は本当に終わる」
「歩いていては到底間に合いません。ですが……!」
エリアスが弾かれたように顔を上げる。
「ヴァラさん、以前、始原の森へ跳躍した『律動の回廊』。あの時あなたは、この天蓋山脈も律動の源流として繋がっていると言っていましたね?」
「……ああ。このカルデラの地下にも、一族が管理していた古い転送門があるはずだ。だが、アイゼン・ドゥームの近海までとなれば、かつてない長距離の跳躍になる。門が持つか……」
「やるしかねぇだろ」
リオスが口元の血を拭い、顔を上げた。 ゼフィアンとの絶望的な力の差を見せつけられてなお、その瞳の光は少しも衰えていなかった。
「あいつの身勝手な考えに、この世界を付き合わせるわけにはいかねぇ」
「ああ。親父の暴走を止めるのは、俺の……いや、俺たち一族の落とし前だ」
ゼノスが立ち上がり、自身の影を足元に引き寄せる。
「ええ。私たちの世界は、どんなに不完全でも、私たちが繋いでいくんだから」
リーナが心珠を強く握りしめ、真っ直ぐに前を見据えた。
天蓋山脈での激突は、決着をつけることなく、より巨大な危機への序曲となった。 刻一刻とタイムリミットが迫る中、一行はカルデラの地下に眠る転送門へと向かう。最後の決戦の地――東南の孤島、アイゼン・ドゥームを目指して。
卓上の語り部でございます。
第九十八話『虚ろの覚醒、終滅の島への誘い』をお届けいたしました。
天蓋山脈の最深部で彼らを待っていたのは、すでに「星を紡ぐ原液」を用いて虚ろの力を取り込み、破壊神のごとき力を得たゼフィアンでした。二人がかりの渾身の攻撃すらも赤子のようにあしらわれ、圧倒的な実力差を見せつけられます。
虚ろがゼフィアンに吸収されたことで、皮肉にも天蓋山脈には数千年ぶりの静寂が訪れました。しかしそれは、世界を終わらせる脅威が「アイゼン・ドゥーム」へと解き放たれたことを意味します。
絶望的な状況の中にあっても、彼らの瞳から光が消えることはありませんでした。「不完全でも私たちが繋ぐ」というリーナの祈り、「親父の暴走を止める」というゼノスの覚悟。かつて始原の森へと彼らを導いた『律動の回廊』が、再び彼らの希望の道となります。
次回、いよいよ最終決戦の地アイゼン・ドゥームへと乗り込みます。 P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




