第九十五話『追憶の風、境界の町での誓い』
荒野を抜けた一行の目に飛び込んできたのは、切り立った岩壁の合間に強固な石造りの建物が並ぶ、天蓋山脈の玄関口「ストーンクリーク」の街並みだった。 かつて旅の途中で立ち寄った際の活気は鳴りを潜め、街を覆う淀んだ紫色の空が、住民たちの表情を暗く沈ませている。
「……ようやく着きましたね。ここから先は、馬車も通れぬ険路となります」
エリアスが、街の入り口で歪んだ空を見上げながら呟いた。
一行が馴染みの宿屋へ滑り込むと、暖炉のそばで古い文献を広げていた一人の老人が顔を上げた。かつて一行に道を示し、王都への紹介状を認めた賢者、テオドールであった。
「よう、テオドールさん。久しぶりだな。……勝手に転がり込んじまって悪いな」
リオスが少し崩した口調で声をかけると、老賢者は目を丸くし、それからリオスの右腕に張り付く黒い結晶と、一行が纏う圧倒的な律動の気配を凝視した。
「……おお、お前さんたちか。生きて戻るとは信じておったが、その様子……ただ事ではないようだな」
テオドールが立ち上がり、窓の外の禍々しい空を指差した。
「ここ数日、山の息吹が悲鳴に変わっておる。天蓋山脈の奥底で、何かが目覚めようとしているのが、この老いぼれの肌にも伝ってくるほどだ」
リオスはテオドールに向かい、これまでの経緯を説明した。聖域の大樹で世界の成り立ちを知ったこと、盟主ゼフィアンによって『星を紡ぐ原液』が奪われたこと。そして、傍らに立つエリアスを紹介した。
「紹介するよ、エリアスだ。王立研究院の学者だが、俺たちを支えてくれた大事な仲間だ。エリアスの知識がなかったら、俺たちはここまで来られなかった」
エリアスは一歩前に出ると、テオドールに向かって丁寧に一礼した。
「お初にお目にかかります、テオドール殿。王立研究院のエリアス・クロフォードです。……王都でリーナさんたちに出会い、私は自らの無知を、そしてこの世界の真実を知りました。私たちが辿り着いた古代エルフの最終理論『律動の再誕』……それを成すには『器、導き手、抑制者』という三つの役割が揃うことが不可欠だったのです」
エリアスは手元の記録をテオドールに見せながら、言葉を継いだ。
「テオドール殿がかつて解読に『荷が重い』と仰ったあの書物……その空白を埋めるのは、歴史の知識ではなく、彼らが旅で証明した『絆』そのものでした。私は学者として、この不確かな、しかし確かな共鳴を最後まで見届けたいと考えています」
話を聞き終えたテオドールは、深く頷き、感銘を受けたようにエリアスを見定めた。
「……ほう、アスティラの研究院からか。よくぞこの若者たちを支えてくれた。お前さん、それを見極め、共に歩んだ勇気は称賛に値するぞ」
テオドールは再びリオスたちに向き直ると、力強い眼差しを向けた。
「想像を遥かに超える、過酷な旅路であったようだな。だがな、お前さんたち……。エリアス殿から聞いたその役割の正体、そして今のお前さんたちが放つ、不揃いながらも力強い共鳴。それを見れば確信できる。このストーンクリークに残る古い記録……ここがかつて彼らが深淵へ挑む前の『最後の調律の地』であったという伝承は、まさに今日この時のためにあったのだとな」
テオドールは三人の肩を叩き、静かに、しかし熱のこもった声で告げた。
「伝説でしかなかった『律動の再誕』が真に発動する目処が立った……わしにはそう確信できるぞ。希望を捨てるでないぞ」
「……ありがとうございます、テオドールさん」
リオスが応え、エリアスもまた、深く静かに頭を下げた。
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その夜。宿の屋上からは、夜空に浮かぶ「砕かれた月」がはっきりと見えた。 かつては大崩壊の象徴として恐れられたその欠片たちが、今は不気味な紫の光を反射し、凍てついた地上を照らしている。
ゼノスは独り、冷たい夜風に当たりながら、闇に沈む北の山嶺を見つめていた。
「……まだ見ているのか。熱心なことだな」
ゼノスが振り向かずに声をかけると、背後の闇からヴァラが音もなく姿を現した。
「監視役なら、寝ている俺を放っておけばいいだろう」
ゼノスが短剣の柄に手を置いたまま、静かに返す。
「監視に終わりはないと言ったはずだ。……お前の影、あの荒野での戦い以来、驚くほど静かだな。父親への憎しみが消えたわけではあるまい」
ヴァラは曲刀を鞘に収めたまま、柵に背を預けた。
「……消えちゃいないさ。だが、あの時……賢者の塔の地下で、あの老エルフが言っただろう。完璧である必要はない、不完全なまま繋げ……とな。親父への憎しみだけで影を広げていた頃よりは、今のほうがいくらか安定している。……ただ、それだけのことだ」
ゼノスは、首から下げた婆様の形見に触れた。
「……ゼフィアン。私の記憶にある彼は、誰よりも鋭利で、誰よりも高い場所を見つめていた。……だが、今日のお前の剣筋を見て確信した。お前はあやつとは違う。あやつは世界を自分の色に塗り替えるために力を求めたが、お前は仲間の熱を受け止めるために影を広げた。……ゲイル・テトラの戦士として、誇りに思うぞ、ゼノス」
ヴァラの瞳には、以前のような冷徹な監視の光ではなく、同じ宿命を背負う同胞への確かな敬意が宿っていた。
「……よせ。柄じゃない。俺はただ、あいつらが描く未来というやつを、隣で見届けたいだけだ」
ゼノスが視線を逸らす。その横顔には、かつて孤独に影を纏っていた頃の刺々しさは消え、どこか晴れやかな意志が宿っていた。
「……明日になれば、ストーンクリークの北門を越える。そこから先は、我ら一族の……そしてゼフィアンの執着が待つ地だ。覚悟はできているか」
ヴァラが低く問いかける。
「ああ。……あいつに引導を渡すのは、一族の端くれである俺の役目だ。……それから、ヴァラ」
「なんだ」
「……礼を言う。あの荒野で、背中を任せてくれたことを」
ゼノスがぽつりと零した言葉に、ヴァラは一瞬目を見開いた。 彼女は不器用なほどに実直な礼に、少しだけ戸惑い、それから仮面の下で微かに口角を上げた。
「……勘違いするな。監視対象が背後から討たれては、長老への報告に困るからな」
砕かれた月の光が二人の間を通り抜け、北の冷気を運んでくる。 その風はかつてないほど鋭く、天蓋山脈の奥底で目覚めようとしている「何か」の気配を、着実に伝えてきていた。
翌朝。リオスが目を覚ますと、そこにはテオドールに見送られ、決意に満ちた瞳で待つ仲間たちの姿があった。
「さあ、行こう。……私たちの物語の、最後の一頁を書きに」
リーナの言葉を合図に、一行はストーンクリークの北門を叩いた。 雲を突き抜ける天蓋山脈。世界の心臓部に触れようとするゼフィアンとの、本当の追撃戦がここから始まろうとしていた。
卓上の語り部でございます。
第九十五話『追憶の風、境界の町での誓い』をお届けいたしました。
ストーンクリークでの休息。エリアスが自らテオドールに対し、旅を通じて得た「再誕」の理論を語ることで、学者としての矜持と、仲間を想う心がより鮮明になりました。テオドールの「調律の地」としての伝承が、エリアスの持ち込んだ理論と結びついたことで、一行に揺るぎない確信が与えられています。
そして、砕かれた月の下で交わされたゼノスとヴァラの対話。賢者の塔で共に聞いたアルキデウスの言葉を反芻し、一族の因縁を越えた信頼関係をさらに深めています。
リオスの回復と共に、物語はいよいよ最終ステージ、天蓋山脈へと突入します。 次回、険しき山路にて待ち受けるのは――。どうぞ、最後まで彼らの旅路を応援してください。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




