第九十三話『叡智の結晶、荒野に轟く咆哮』
賢者の塔を後にしてから、三日が経過した。
一行は険しい岩肌が露出する北の荒野をひたすらに歩き続けていた。始原の森の濃厚な緑は遠ざかり、代わりに肌を刺すような冷たい北風と、天蓋山脈から吹き下ろす凍てついた空気が旅路の厳しさを物語っている。
見上げる空は、不気味な紫色に淀んでいた。それは雲ではなく、星の深部から溢れ出した排熱の澱み――「虚ろ」が、行き場を失って大気に滲み出している光景だった。
「風が泥を孕んでいるようだ……。ゲイル・テトラの戦士として、この世界の変貌は生理的な吐き気を催す」
斥候として先行していたヴァラが、岩山の上から音もなく舞い降りた。彼女の纏う風の衣には、かすかに「虚ろ」の煤が混じっている。自然の律動を肌で感じる彼女たちの一族にとって、今の空気がどれほど汚濁しているかは、言葉にするまでもない苦痛だった。
その日の夜。風を避けるために選んだ岩陰の野営地で、エリアスは焚き火の微かな明かりを頼りに、一心不乱に手元を動かしていた。彼の前には、これまでの旅路で収集してきた「遺産」が並べられている。
「……よし。これで、すべての位相が繋がりました」
エリアスが満足げな溜息を吐き、一本の杖を掲げた。質素だった木製の杖は、銀色の金属パーツで無骨に補強され、中央には青白く輝く小型の律動機関が埋め込まれている。
「先生、それは?」
リオスが、剣を研ぐ手を止めて尋ねる。
「『導律共鳴器』。私たちの再起を懸けた、三位一体の楔です」
エリアスは眼鏡の奥の瞳を真剣に輝かせた。
「リオスくん、あなたの右腕から溢れる過剰な排熱を、直接リーナさんの演算エネルギーとして流し込む……。そしてゼノスさん、あなたの影をその回路の『絶縁体』として介在させます。あなたの影が負荷を抑え込むことで、初めてリーナさんはその力を『律動の再誕』の術式へと正確に変換できる。……この三律の循環こそが、不安定な術式の成功率を底上げする唯一の解答です」
エリアスの論理的な説明に、ゼノスが不敵に口角を上げた。
「なるほどな。俺の影が、リオスの熱とリーナの光を繋ぐ『導線』ってわけか。……面白い、その不器用な重なり、俺が繋ぎ止めてやる」
「フン……。エルフの知識を継いだ者が、その程度の代物に縋らねば共鳴を保てぬとは。皮肉なものだな」
輪の中から少し離れた場所に座っていたヴァラが、冷ややかに呟いた。 彼女は先日の地下でのやり取りを見ていた。アルキデウスが遺した言葉や知識が、彼らに新たな道を示したことも。だが、一族の技こそが至高であると信じる彼女にとって、機械的な装置で絆を補強するという発想は、奇妙に映った。
「はい。私も、ただ守られるだけの部品でいたくはありませんから」
エリアスの決意が籠もった言葉にリオスが応えようとしたその時、北の暗がりから、大地を震わせる凄まじい圧力が立ち込めた。
「……ッ! なんだ、この感覚……。空気が重すぎる」
リオスが背負った『星喰の剣』が、激しく震動を始める。それはかつて賢者の塔で対峙した、あの敵意の記憶を塗り潰すほどに強烈な――。明らかに異質で、生理的な嫌悪感を伴う圧倒的な重圧だった。
「風が……千切れる!? 総員、構えろ! 凪を食い破る、どす黒い暴風が来るぞ!」
ヴァラが鋭く叫び、二本の曲刀を抜き放った。
暗闇の中から現れたのは、岩のような巨大な体躯を持つ男、バルギスだった。だが、以前の彼とは決定的に様子が違う。その全身の血管はどす黒く浮き上がり、皮膚の隙間からは蒸気のような「虚ろ」の瘴気が絶えず噴き出していた。
「ちょこちょこと逃げ回りおって、鼠共め。ようやく見つけたぞ」
バルギスが巨斧を肩に担ぎ、凶悪な笑みを浮かべる。その瞳は、狂信的な破壊への渇望に染まっていた。
「バルギス……! 以前より何倍も気配が禍々しくなっている。一体何をしたんだ」
リオスが問いかけるが、バルギスは答えず、ただ地を蹴った。
ドォォォォン!!
ただの踏み込み。それだけで地面がクレーター状に爆ぜた。一瞬で間合いを詰めたバルギスが、巨斧を無造作に振り下ろす。
「礼儀がなっていないな……そこを退け!」
ヴァラが瞬時に割り込み、風の壁を展開して衝撃を殺し、ゼノスがその影の隙間から短剣を閃かせる。だが、バルギスの放った一撃の余波だけで、ヴァラの防壁には無数の亀裂が走った。
「ぐ、ぅぁあああッ!?」
リオスが『星喰の剣』で受け止めるが、伝わってくる衝撃はもはや生物の腕力が放てる次元を超えていた。
(……何だ? 賢者の塔で戦ったときとは比べ物にならない……。ただ力が増したんじゃない、こいつ自身が『虚ろ』の塊にでもなったみたいだ!)
リオスが戦慄する中、エリアスが即座に新たな杖を突き出し、接続回路を起動した。
「前回のリリィとの戦いのように三位一体の攻撃を!私がサポートします!」
「ああ、頼むぜ、先生!」
リオスが咆哮し、右腕の熱をゼノスの影を通じてリーナへと流し込んだ。三人の呼吸が瞬時に編み合わさり、バルギスの圧力を押し戻す。
「ほう……面白いな。その不気味な小細工、少しは持ち堪えるか」
バルギスが一度距離を取り、自身の全身に浮き出る黒い紋様を見せつけるように笑った。
「グラハムの奴が、黒律を肉体に直接刻む禁忌の術式を完成させたのだ。……この『律動過負荷』、もはや貴様らの小細工など通用する次元ではないわッ!!」
狂気を孕んだ咆哮と共に、バルギスが再び巨斧を構える。
「貴様のその汚れた律動、一族の風が黙ってはいない。……リオス、隙を突くぞ!」
ヴァラが再び風を纏い、バルギスの側面に回り込む。
一撃一撃が星の寿命を削るような暴力の権化に対し、三人の新たな共鳴、およびヴァラの風が荒野の闇を切り裂く。
ストーンクリークを目前にした荒野で、再起を懸けた真の激闘が今、始まった。
卓上の語り部でございます。
第九十三話『叡智の結晶、荒野に轟く咆哮』をお届けいたしました。
賢者の塔から北へ向かう道中、一行は再びバルギスと対峙することになりました。エリアスが完成させた「導律共鳴器」が、リオス、リーナ、ゼノスの三人を物理的に繋ぎ、再起の第一歩を踏み出します。
かつての一族の誇りを胸に、生理的な嫌悪感を露わにしながらも戦場を舞うヴァラ。そして「律動過負荷」という禁忌の力をその身に宿したバルギス。圧倒的な破壊を前に、三人が導き出した「新たな共鳴」が試されることになります。
荒野に響く咆哮と、静かに、しかし力強く刻まれる律動。 激闘の行方を、どうぞ最後まで見届けてください。
P.S. 本作の世界観設定や用語解説などは、Webサイト「Table Talker's Log」にて随時更新しております。
https://tabletalker.info/category/avelia/
卓上の語り部より、敬具。




