第16話:天界の記録官と、規則違反な一行(第3節)
「ゆうゆう。はい、あーんですわ」
「悠真様、こっちもおいしいですよ」
「お兄ちゃん、次はドナのケーキも食べて」
悠真が三人の少女にすり寄られ、交互にケーキを差し出される様子を、天界人の記録官エーテラは必死に冷静を装いながら観察し、激しく羽根ペンを動かす。
(非常に……非常に、非合理かつ不愉快な規則違反だわ)
エーテラが手にする記録本が、無駄にガリガリと音を立てていた。
そんな車内に漂う甘いカオスを眺めながら、リリアーナはミント色のストレートロングの髪を指先で弄り、赤紫色の瞳にいたずらっぽい光を宿した。
「……ふふふ」
常に冷めたようなジト目で周囲を観察している彼女だが、天界の使いを困惑させる絶好の機会を逃すほど、お人好しではない。
「悠真さん、紅茶のお替わりはいかがですか? ケーキばかりでは喉が詰まってしまうでしょう」
リリアーナは立ち上がり、優雅に悠真へと近づいた。
「ああ、ありがとう……」
悠真がカップを差し出そうとした瞬間、リリアーナはわざとらしくポットを大きく傾けた。
「そうだよ、ドナも悠真にお茶を飲ませてあげたいなー!」
ドナは面白がって悠真の腕に抱きついて固定する。
(……これ、わざとだろ!)
悠真はリリアーナの不自然な動きと、ドナの反応に違和感を感じた。
「……あ、危ない! リリアーナさん、ポットが傾いてるよ!」
悠真はドナの手を振り払い、ひっくり返る直前のポットをひらりと奪い取った。いたずらが失敗し、ドナは露骨に頬を膨らませて舌打ちする。
「ちぇっ。せっかく面白くなりそうだったのに」
「そんなことに気を使わせないでよ。ほら、ちゃんと戻しておくから……」
悠真が苦笑いしながら、ポットを中央のテーブルへ戻そうとした、その瞬間だった。
ガクンッ!
「……えっ?」
スレイプニルの脚が深い窪みに嵌まり、車体が大きく跳ね上がる。
悠真の「不運」が戦車を揺らし、宙に舞ったティーポットは、真正面に座るエーテラの胸元へ真っ逆さまに吸い込まれた。
「――熱っ!?」
純白の装束に琥珀色の染みが広がり、エーテラが驚きで目を丸くして声を上げた。
「な、何をするのですか、貴方は!」
「ご、ごめん! 待って、今すぐ拭くから!」
パニックになった悠真は、反射的に布でエーテラの胸元を拭ってしまう。
ふにゅっ!
悠真の手が、衣装越しでも分かる柔らかな感触を捉えた。
「あ……」
一瞬の静寂。
エーテラの白銀の髪が逆立つかのように震え、その透き通るような肌が、一気に沸騰したような深紅に染まった。
「……この、破廉恥な規則違反者ぉぉぉ!!!」
パチィィィンッ!
車内に乾いた音が響き渡り、悠真の頬には鮮やかな手形が刻まれた。
「ううっ……ごめんなさい……」
頬を押さえてうずくまる悠真の背中に、更なる殺気を感じる。
振り返ると、セレスティアとリーファが「零度の微笑」で睨みを利かせていた。
「ゆうゆう? 混乱していたとはいえ……手が、随分と大胆でしたわね」
「そうですよ悠真様。拭くなら私たちがやれば済む話でしょう……?」
悠真に冷たい視線を浴びせたセレスティアとリーファは、手早くエーテラの服を拭き清めていった。
「まあ、ひどい染みですわ。それにエーテラ様、お肌に赤みが……。熱くはございませんでしたか?」
セレスティアが母親のような慈しみでエーテラの顔を覗き込み、火傷がないか細かく確認する。
そのあまりに自然で温かな気遣いに、毒気を抜かれたエーテラは「あ、いえ……」と小さく毒づくのが精一杯だった。
「私にお任せください。……『癒光』」
リーファが優しく手をかざすと、柔らかな光の粒子がエーテラの胸元を包み込む。巫女の清浄な魔力が浸透し、熱を持っていた肌が一瞬で引いていく。
「これで痛みも引き、跡も残りませんわ。……悠真様には、後でたっぷりとお灸を据えておきますからね?」
セレスティアたちの介抱を受け、エーテラはようやく我に返る。
(……これは怒りではない。熱による反射だ。そう、反射にすぎない)
「……失礼。取り乱したわ」
エーテラはそう言うと、無理やり表情を消して背筋を伸ばした。
「今のは不測の事態による、ただの生理現象よ。忘れてちょうだい」
だが、その耳たぶは未だに真っ赤に染まったままで、記録本を持つ手は先ほどよりも激しく震えていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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