第16話:天界の記録官と、規則違反な一行(第2節)
降り注ぐ神々しい光の中から、一人の少女がゆっくりと大地へと降り立った。
「……天使?」
悠真は息を呑んだ。
白銀の長い髪を繊細な星の飾りで結び、背中には汚れなき白い羽を湛えている。
透き通るような肌を持つその少女は、愛らしい見た目とは裏腹に、一切の感情を排した無機質な瞳で悠真たちを射抜いた。
手には重厚な記録本を抱え、羽根ペンを淡々と動かしている。
「私は天界記録局所属、第一級記録官エーテラ。この世界の運行における『例外』を排し、秩序を綴る者」
「て……天界の、記録官?」
リーファが信じられないものを見るかのように、震える声で呟いた。
「まさか……古文書や教団の古い言い伝えにしか出てこない、神の使いが本当に存在したなんて……」
地上の者が目にすることなど、通常はあり得ない存在。
そのエーテラは記録本から顔を上げ、悠真を真っ直ぐに見つめる。
「悠真、貴方の存在は、天界の法典において『規則違反』と定義されました。異世界からの干渉は、この世界の秩序を乱すノイズに他ならない」
「え、規則違反だなんて……僕のこと? でも、僕は巻き込まれてここに来ただけで……」
悠真は困惑しつつ、静かに反論した。
「いいえ。貴方の存在そのものが、記録すべき正史を不確定なものに変えているのです。よって、私は貴方の行動を常時監視する」
エーテラは表情一つ変えずに、話を続ける。
「必要とあれば、世界の修復のために貴方を『記録』から抹消する権限も付与されている」
そんな彼女の冷酷な宣告に、車内は静まり返る。
だが、セレスティアだけは動じなかった。
「ようこそ、天界の使者様。立ち話も何ですから、中へお入りくださいませ。わたくしたちの旅を、どうぞ特等席で見守ってくださいな」
彼女は自らスレイプニルの扉を開け、優雅な仕草で客人を招き入れる。
「……う、うむ。承知した」
あまりに堂々とした王女の振る舞いに、エーテラは内心で一瞬動揺を見せたが、すぐに冷静を装いながら車内へ足を踏み入れた。
セレスティアは優雅に扉を閉め、天界の使者を客人として迎え入れた。
一方、その頃――
戦車のすぐ横では、ボニーが呆然とした顔で立ち尽くしていた。
彼女は天界人の降臨という事態に圧倒され、もはや自身の不運すら忘れている。
「はぁぁ……もう、訳が分かりません……」
ボニーはポカンと口を開け、間抜けな顔で空を見上げたまま、胸元にべったりと付いた生クリームを無意識に指ですくって口に運んだ。
ペロリ……。
深刻な空気の中、その姿だけがどこか平和で、甘い香りを漂わせていた。
(……せめて、このクリームくらいは無駄にしたくないです……)
ボニーのささやかな抵抗は、誰にも気づかれることなく、静かに続いていた。
車内では――
セレスティアは穏やかに微笑み、空からの客人エーテラへ、ティーセットを用意する。
「エーテラ様、まずは落ち着いて紅茶とケーキを召し上がれ。王都から取り寄せた最高級の逸品ですわ」
「不要だ!」
エーテラは差し出されたティーカップを一瞥もせず、ぴしゃりと拒絶した。
「我ら天界人は地上の食物に味覚を感じない。エネルギーの摂取に快楽を伴わせるなど、論理的ではない」
だが、セレスティアは動じずに言葉を重ねる。
「まあ、味覚を感じないなんて、実にもったいないことですわね。この甘美な香りを識るだけでも、世界の記録には価値があると思うのですが?」
「……記録すべきは事象の真実のみ。主観的な快楽など、不純な情報に過ぎないわ」
エーテラは無愛想に記録本へ視線を落とした。
だが、そんな彼女をよそに、セレスティアはフォークに載せたケーキを悠真の口元へ運ぶ。
「さあ、悠真様。あまり気を落とさないで。まずは一口、あーん……してくださいな」
「え? あ、ありがとう、セレスティア」
悠真が照れながらもそれを受け入れると、すかさずリーファが対抗心を燃やして身を乗り出す。
「悠真様、私の方も食べてください! ほら、あーん!」
「わわ、リーファまで……」
左右から差し出されるケーキと、美女二人の甘い空気に包まれる悠真。だが、攻勢はそれだけでは終わらなかった。
「ちょっと、ドナを仲間外れにしないでよ、悠真! ドナの特製ミルクティーに合うケーキも食べてよね!」
ドナは操縦を魔導運転に切り替えると、操縦席から身を乗り出し、後部座席へと割り込んできた。
彼女はいたずらっぽく笑いながら、妹のような無邪気さで悠真の腕にすり寄る。
「ほら、悠真お兄ちゃん。あーん! ドナが食べさせてあげるから、元気出して!」
「ド、ドナまで……。それに『お兄ちゃん』って……」
「いいから、ほら!」
悠真は顔を真っ赤にしながら、三方向から差し出されるフォークを必死に捌く羽目になった。
車内はもはや、天界の警告などどこかへ吹き飛んだかのような、賑やかで甘いカオスに包まれている。
その光景を、操縦席で魔力補充を終えたリリアーナが、肩をすくめながら興味深げに眺めていた。
「……ふふ、傑作ね」
彼女は手に持った魔導書をめくりながら、冷徹なはずの天界の使いへと視線を向ける。
「三人の乙女に甘やかされ、ケーキまみれになっている『規則違反』の男を、克明に記録しなければならないなんて、天界人の仕事にも同情するわ」
リリアーナの揶揄を含んだ呟きに、エーテラは記録本を握る手にいっそう力を込めた。
「私は一体、何を見せつけられているのかしら……」
目の前では、悠真がドナの差し出したケーキを口に含み、彼女の頭を困ったように撫でている。
(……非合理的だわ。ただのエネルギー摂取にこれほどの時間を割き、無意味な密着を繰り返すなんて)
その睦まじい様子、楽しげな笑い声、そして車内に満ちる多幸感……。すべてがエーテラの生きる世界の理から外れていた。
(非常に……非常に、不愉快な規則違反だわ。ええ、これは『不快』という事象として記録すべき不備よ)
「そう。これはあくまで、天界における『不快』な事象。決して、私の感情が不愉快になったわけではありません」
エーテラはあくまで冷静を装い、無表情のまま記録本に鋭い筆致で何かを書き殴り始めた。
「て、天界人は、俗物の感情など持っていないのです」
しかし、そのペン先は紙を突き破らんばかりに震えている。
「……ふふふ」
リリアーナはそれを見て、楽しそうにクスクスと喉を鳴らした。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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