第10話:勝利の美酒と、月明かりの美女(第3節)
深夜、悠真はひんやりとした寒さでふと目を覚ました。先ほどの騒動で泥にまみれた身体が不快で、寝袋からそっと抜け出した。
宴の騒ぎは完全に収まり、焚き火も今や残り火だけとなっていた。近くで寝ているリーファとセレスティア、ボニーに気がつかれないよう、音を立てずに立ち上がり、月明かりの差し込む野営地の外へと散歩に出た。
悠真は、泉のほとりまでたどり着くと、顔を洗おうと水辺に近づいた。その時、微かな衣擦れの音に気づき、ハッとして立ち止まる。
泉のほとりの大きな岩の上。そこに、冷たい月光を浴びながら、一人の人物が座っていた。銀色の髪と尻尾を持つ、ルナだった。
ルナは静かに星を見上げており、その表情は昼間の荒々しい傭兵隊長のものとは違い、どこか寂しげで、優しい色を帯びていた。
「…ルナさん」
悠真が小声で名前を呼ぶと、ルナは表情を変えずに振り返った。
「なんだ、起きたのか。さっさと寝ていろ」
ルナの口調は、昼間と変わらず突き放すような冷たさだった。
「いや、なんか目が覚めてしまって。ルナさんも、眠れないんですか?」
「くだらないことを聞くな。オレは夜行性だ」
ルナはそう答えつつ、座っている岩の横を軽く叩いた。
「月を眺めていると落ち着く。お前もこっち来て見ろ」
悠真は戸惑いながらも、ルナの隣に腰を下ろした。二人は黙って、暗い空に浮かぶ銀色の月を眺めた。
「…貴様、本当に異世界から来たのか?」
ルナは月を見上げたまま、静かに尋ねた。
「ええ、その……。足を滑らせたら穴から落ちて、いつの間にか……」
「は?何だそれ。お前らしいな」
ルナは鼻を鳴らした。
「それで、家に帰りたいのか?」
「そりゃあ、まあ……」
悠真は素直に答えた。
ルナは、そんな悠真を見て、フンと鼻を鳴らした。
「そうか。一つだけ言っておく。お前みたいな災厄の塊は、いつかオレたちにまで不幸を撒き散らす。早く帰れ。オレの傭兵団には必要ない」
冷たい言葉とは裏腹に、ルナの瞳はどこか暖かく、まるで旅立つ友を案じているかのように悠真を捉えていた。
「なあ」
その声に、悠真はルナの横顔を見た。月明かりに照らされた銀色の耳と、そよ風に揺れる長い銀髪は、非現実的なほど美しかった。
「…お前の世界は、どんな所だ」
不意に尋ねられ、悠真は故郷を思い出しながら答える。
「建物は大きくて、空を飛ぶ鉄の乗り物があって、便利な機械がたくさんあります。でも、ルナさんみたいに、頭の耳やしっぽの生えた種族はいないので、見たのは初めてです」
「ほう」
ルナは目を細めた。
「…ルナさんの耳って、とても綺麗ですよね」
悠真は、ルナの銀色の毛並みに惹きつけられるように言った。
「フン。何だ、突然。まあ、美しいのは当然だ」
悠真の言葉に少しだけ機嫌を良くしたルナは、悠真に顔を近づけるように、首を傾けた。
「そんなに珍しいなら、触ってみるか?」
悠真は、ルナの整った顔が急接近したことと、挑発的な言葉に、心臓が跳ね上がるのを感じた。彼は極度に照れてながら、「い、いいんで、すか?」と小さな声を上げると、恐る恐る手を伸ばそうと、岩の上で腰を浮かせた。
その時、ズズッと嫌な音がした。悠真が腰を浮かせた足元は、泉から溢れた水で苔が生えており、彼は足を滑らせて体勢を崩した。
「うわっ!」
悠真は転倒するまいと両腕を振り回し、その手が運悪く、ルナの背中を掴んでしまった。ルナも予期せぬ衝撃にバランスを崩す。
そして、次の瞬間。
悠真はルナを抱き込む形で地面に倒れ込んだ。
そして――
柔らかく、温かいものが、悠真の唇に触れた。
時が止まった。
月明かりの下、銀髪が悠真の顔に降りかかる。黄金色の瞳が、驚きで大きく見開かれている。
(あ...)
ルナの唇だ。
一瞬、世界から音が消えた。 聞こえるのは、二人の心臓の音だけ。
そして、一瞬の静寂の後。
「な、何をするっ!この痴れ者が!」
バチィッ!
ルナの掌が、悠真の頬を容赦なく叩いた。
すると、顔が熱を持つのと同時に、悠真の背中に吊るされていた護身用のショートソードが、鞘から勢いよく飛び出した。
「あ、危ない!」
ショートソードは、まるで意思を持っているかのように、ルナの顔めがけて一直線に飛翔した。それは、持ち主である悠真への攻撃に反応して自動発動する防御魔法が宿った剣だった。
ルナは驚きつつも、その銀色の尾をムチのようにしならせ、咄嗟に体を捻って剣を回避した。
ズサァッ!
剣はルナの背後の地面に、深く突き刺さった。
「お前、オレを殺す気か!不運もたいがいにしろ…」
ルナは冷ややかな目を悠真に向け、突き刺さった剣を引き抜こうとした。
その時、剣の先に何かが刺さっていることに気づき、ルナは目を見開いた。
「…こ、これは?」
剣の切っ先に突き刺さっていたのは、黒い甲殻を持つ、拳ほどの大きさの毒サソリだった。
「ま、まさか…アビス・スコーピオン!?」
このサソリは、この周辺では絶対に生息しない種類の、強力な毒を持った魔物だ。
(つまり、オレ達を暗殺するために、誰かが意図的に放ったに違いない)
ルナは、先ほど傭兵たちから聞いたばかりの報告を思い出した。宴会の跡片付けで見つけた、酒樽の下敷きとなって潰れていた黒く不気味な甲殻虫。
(…なるほど、あの時の馬鹿騒ぎも、この毒サソリから身を守るため……。この男は、二度もの不運で、オレ達を暗殺から守ったということか…!)
ルナは、悠真の破廉恥なハプニングに思わず平手打ちをしたおかげで、悠真の剣の防御魔法が自動発動し、偶然にもオレの背後に潜む毒サソリに直撃したのだと理解した。
ルナは毒サソリを睨みつけた。
「いや、もはや偶然ではない。その前の魔物による弓矢の回避に罠の解除、巣穴の発見に続き、毒サソリによる暗殺を二度も免れるとは……。お前の不運は、どこまでも幸運を呼び寄せるらしい」
ルナはそう呟くと、悠真に背を向け、野営地の方へ歩き出した。
(あとで、周辺一帯の害虫駆除を指示しておこう。それと……)
「…おい」
ルナは数歩進んだところで立ち止まり、ゆっくりと振り返った。 月光が彼女の銀髪を輝かせる。
「…?なに…」悠真が何か言おうと口を開きかけた瞬間、ルナの唇が遮った。
今度は――柔らかく、優しく。
確かな意志を持って、ルナは悠真にキスをした。
一秒。いや、永遠にも感じられる時間。
唇が離れると、ルナは真っ赤な顔でそっぽを向いた。
「お前に何度も命を救われた。これは、その...」
言葉が詰まる。
「…命を救われた礼だ。獣人族の…その、儀式みたいなもんだ。勘違いするなよ…バカ」
ルナはそう言い捨てると、銀色の尻尾を揺らし、野営地へと早足で戻っていった。
悠真は、ルナに平手打ちされた頬と、今キスされた唇の両方を押さえながら、月明かりの下で独り、熱と混乱に包まれていた。
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