第7話:闇に潜む影と、謎の神獣(第1節)
王都の城壁崩壊という未曾有の危機は、セレスティアの心に深い傷痕を残した。それは、僕の不幸によって間一髪で回避された出来事だったが、彼女の心に根を張っていた王位継承争いという矮小な策謀が、いかに無意味なものであったかを思い知らされた。
(私は…なんという愚かなことを…)
王都の広場から撤収し、王城の自室に戻ったセレスティアは、静かに窓の外を見つめていた。夜の闇に包まれた王都の街並みは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。彼女は純白のシルクのドレスを身につけ、銀糸で刺繍された薄手のショールを羽織っている。その華奢な肩を、震える指先でそっと包み込んだ。隣の部屋から楽しげに聞こえてくる、リーファと談笑する僕の声に、彼女は思わず耳を澄ませる。
(…悠真様は、いつもリーファと楽しそうに話しているわね…)
その声を聞いていると、胸の奥がチクリと痛む。それは、かつて利用しようとしていた相手が、自分以外の女性と親しげに話しているのを見て、湧き上がった感情だった。王女としての立場や思惑とは全く関係のない、純粋な感情。その痛みに、セレスティアは思わず自らの胸元をギュッと握りしめた。
「……悠真様」
セレスティアは、静かに僕の部屋の扉をノックした。
「セレスティア様、どうぞ」
僕が返事をすると、彼女はゆっくりと扉を開けて部屋に入ってきた。その顔は、昼間までとは打って変わって、穏やかな、それでいてどこか決意を秘めた表情をしていた。
「悠真様、少し、お話がしたいのですが…よろしいでしょうか」
セレスティアは僕の正面に座り、真っ直ぐに僕の瞳を見つめた。
「…昼間の件、本当に申し訳ありませんでした」
彼女の言葉は、謝罪の念に満ちていた。
「…いえ、たまたま僕の不運が役に立っただけですから…」
僕がそう答えると、彼女は静かに首を横に振った。
「そうではなく、あなたの不運な力を政争に利用しようとした、わたくしの傲慢さを謝罪しているのです」
その言葉に、僕の喉が詰まる。彼女の瞳は揺らいでいた。
「わたくしは、あなたを呼び寄せ、不自由な立場に追いやってしまった。婚約者という建前であなたを縛り、利用しようとしたのです。あなたに…多大なるご迷惑をかけてしまいました」
セレスティアは、悔しそうに拳を握りしめた。
「…あなたにとって、わたくしとの婚約は、ただの迷惑な足かせに過ぎないのでしょう。しかし、王家の決定は、一度下されると容易には覆せない…それだけは、どうか、お許しいただきたいのです」
「…いや、そんな…」
僕が言葉を濁すと、彼女は、深く息を吐き、ゆっくりと話し始めた。
「わたくしは、王位継承争いから一時的に身を引きます。そして、あなたの目的…この世界にやってきた目的を果たすために、全力を尽くします」
その言葉に、僕は驚き、目を見開いた。彼女が、自身の野望よりも僕の目的を優先すると決意してくれたのだ。
「悠真様、あなたを元の世界へ帰す方法を、わたくしが必ず見つけ出します」
彼女の瞳は、僕の予知を政争に利用しようとしていた頃の傲慢な光ではなく、純粋な決意の光を宿していた。
「セレスティア様…」
彼女の決意に、僕はただ感謝の気持ちでいっぱいだった。
その時、隣に座っていたリーファが、僕のポケットを指さした。
「悠真様、セレスティア様にご覧になっていただいてはどうでしょうか?悠真様がこちらの世界に来たとき、持っていたものですよ」
リーファの言葉に、僕はハッとしてポケットに手を入れる。そして、「古びた地図」と「奇妙なナイフ」、そして肌身離さず持っている「呪いの石」をセレスティアに見せた。
「古びた地図…奇妙なナイフ…そして…この石」
セレスティアは、興味深そうにそれらのアイテムを眺めた。
「これらのアイテムが、僕を元の世界へ帰すヒントになるかもしれない…そう、リーファに言われたんです」
僕がそう言うと、セレスティアは大きく頷いた。
「分かりました。これらのアイテムについて、専門的な知識を持った人物に協力を仰ぎましょう。その際、しばらくの間、お借りしてもよろしいでしょうか?」
セレスティアは僕の答えを待つように、じっと見つめた。
「はい、もちろん。どうぞ」
僕が快諾すると、セレスティアは安堵したように微笑んだ。
「詳しい話は、また明日改めて…」
彼女はそう告げると、穏やかな表情で僕の部屋を後にした。扉に手をかけたその時、振り返り、悪戯っぽく微笑んでこう言った。
「おやすみなさい、旦那様」
その言葉に、僕とリーファは驚き、顔を見合わせた。
「だ、旦那様って...!」
「あら、婚約者なのですから当然でしょう?」
セレスティアは頬を微かに赤らめながらも、わざと挑発的に微笑む。
「セ、セレスティア様...!」
リーファが慌てふためく様子を面白そうに見つめる。セレスティアは僕たちの反応を面白がるように小さく笑い、今度こそ静かに扉を閉めた。
翌朝、セレスティアは王城の廊下をまっすぐに進んでいた。向かう先は、王族の中でも特に博識な者だけが立ち入ることを許された、第一王族専用の古文書保管庫。
重厚な扉を開けると、そこには、何十万冊もの古文書が整然と並ぶ、壮大な書庫が広がっていた。壁一面に天井まで届く本棚が続き、中央には大きな閲覧用のテーブルが置かれている。
そのテーブルの向こう側、幾重にも重なった古文書の山に埋もれるように、見慣れた銀色の長い髪が揺れていた。彼女の病弱な姉、エメリア・アルカディアだ。エメリアは、薄い色の古文書を一枚一枚、大切にめくっていた。その真剣な横顔は、病弱な体を忘れさせるほどだった。
「お姉様、おはようございます。お身体はもう大丈夫ですか?」
セレスティアは、ドレスの裾を軽くつまみ、膝を折る優雅な仕草で挨拶しながら尋ねた。
「ええ、もう大丈夫ですわ、セレスティア」
エメリアは、古文書から顔を上げると、立ち上がろうとした。しかし、セレスティアはそれを制するようにそっと手を差し出した。
「どうぞ、そのまま。無理をなさらないでください」
エメリアは、優しい微笑みを浮かべて頷いた。
「お姉様…わたくしに、お願いがありますの」
セレスティアは、昨夜僕の部屋で決意したことをエメリアに打ち明け、持参した「古びた地図」と「奇妙なナイフ」、そして「運命の石」をテーブルに置いた。
「…悠真様は、この世界の救世主であると同時に、異世界から来た方でもある。わたくしは、彼を元の世界へ帰す方法を探したいのです。そのために…お姉様の、古文書に関する深い知識をお借りしたい」
セレスティアの真剣な眼差しに、エメリアは驚きを隠せない。そして、妹の心の変化を目の当たりにした彼女は、静かに微笑みを浮かべた。
「…まあ…セレスティアが…」
エメリアは、悠真が持っていた「運命の石」と、悠真のポケットに入っていたという「古びた地図」「奇妙なナイフ」に、静かに興味を抱いた。
「…分かりました。あなたの決意、わたくしにできることがあれば、喜んで協力させてください。これらのアイテムについて…何か手掛かりがないか、古文書を調べてみますわ」
エメリアの言葉に、セレスティアは心から安堵した。それは、悠真を元の世界へ帰すという新たな旅の第一歩だった。
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