第6話:不幸な予知は、政治に使える?(第3節)
王都を包むパニック、そして現れた巨大な魔物。そのすべては、第一王女ソフィア・アルカディアが悠真の「不幸」を利用し、セレスティアを孤立させるために仕掛けた、大規模な罠だった。悠真のいつもの不運によって、毒は口にされなかった。しかし、その毒が持つ力によって、新たな悲劇が始まろうとしていた。
人々は悲鳴を上げ、パニックに陥り、四方八方に逃げ惑い始めた。
その頃、王都の広場から少し離れた路地裏では、先ほどリンゴを配っていた町人の娘が、慌てて変装を解こうとしていた。その正体は、ソフィアの部下であるボニー・ボーンだった。彼女は、変装の下から大きな胸と騎士服を覗かせながら、安堵の表情を浮かべる。
「今度こそ、計画通りだわ…!わたくしの完璧な誘導で、あいつのドジを引き起こし、近くに放った野良犬に、毒リンゴを食べさせることに成功したわ!これで、あいつが不運にも落とした毒リンゴが、魔物を生み出した、と触れて回るだけ…!セレスティア様は、危険な救世主を祭り上げた責任を追及され、失脚する……!」
ボニーは、任務が成功したと確信し、満面の笑みを浮かべる。しかし、その背後から、冷徹な声が響いた。
「そこを動かないで、ボニーさん!」
振り返ると、そこには騎士服を身につけたエリザが立っていた。彼女は、王都の騒ぎに紛れて、ボニーがリンゴを渡した直後から、その動向を追っていたのだ。
「エ、エリザ…!なぜここに!?」
ボニーは驚愕した。パニックと焦りで、胸元がはち切れそうに膨らんでいるが、彼女はそれに構わず、今更ながら平静を装おうと足掻く。
「あ…あら、い…いったい何のことかしら?わ…わたくしはただ、お祭りの雰囲気を楽しんでいた善良な町人ですよ?」
ボニーは、とぼけたように言いながら、背中に隠したリンゴの籠をさらに奥へと押し隠しながら、ゆっくりと後ずさる。
「ごめんね、全部見てたよ。セレスティア様と悠真様の護衛を離れて、こっそりあなたの後をつけていたんだ。リンゴを渡したときの、あなたの顔、すごく怪しかったんだもん。さあ、大人しく捕まってくれないかな?」
エリザは、一切の感情を交えず、ボニーを射抜くような冷たい視線を向けた。ボニーは、エリザの威圧的な雰囲気に気圧され、再びパニックに陥る。
「く、来るな!」
ボニーはそう叫び、再び逃げようとゆっくりと後ずさる。しかし、エリザは彼女の動きを先読みし、一瞬で距離を詰めた。エリザの鋭い眼光に、ボニーはすくみ上がった。そして、エリザは、ボニーの背中に隠された籠を目がけて、剣の鞘で鋭く突き出した。
「フギャッ!」
情けない悲鳴を上げると同時に、ボニーの背中に隠されていたリンゴの籠が、弾けるように地面に落ちた。
中に入っていた毒リンゴは、転がりながら黒く爛れた毒の跡を残していく。言い逃れができなくなったボニーは、その場でへたり込み、情けない悲鳴を上げた。
「ひぃっ…!ご、ごめんなさい!わ、わたしが悪かったんです!許してください、お願いします…」
エリザは無言で、ボニーの体を冷たく見下ろし、王都の騒乱へと視線を戻した。
人々の悲鳴と巨大な魔物の咆哮が入り混じる広場。その中心で、体高が数メートルもある巨大な魔物が、唸り声を上げていた。
「グルルルル…」
「…まさか、毒に魔力増幅の効果が…!?」
セレスティアが信じられないものを見るかのように呟いた、その時だった。
僕の脳裏に、かつて見た映像が鮮明に蘇ってきた。
それは、僕がこの世界に転生して間もない頃に見た、『呪いの石』が示した恐ろしい未来の光景だった。
予知の中で、巨大な魔物が王都の広場に現れる。魔物は王都を蹂薾し、人々は悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。そして、魔物の咆哮と共に、王都の堅牢な城壁が、まるでガラス細工のように音を立てて、崩れ落ちる。その光景は、僕の心を深くえぐった。
(…そうだ、この光景だ。このままじゃ、城壁が崩れる…!)
僕は、背筋が凍るような感覚に襲われた。あの時見た「不幸」な未来が、今、目の前で現実になろうとしていたのだ。その時、僕は、腰のポーチから震えを感じた。
「…悠真様、もしや『運命の石』が…?!」
その様子に気づいたリーファが、僕の顔を見て驚きを露わにした。僕の不運を予知するサイン『呪いの石』が、かつてなく強く震えている。
「セレスティア様、この魔物は…!このままじゃ、王都の城壁が…!」
僕は言葉を絞り出すように叫んだ。僕の声は、パニックに陥った人々の悲鳴にかき消されそうになる。
「お下がりください、セレスティア様!この魔物は危険です!私が引きつけますから、民の避難を!」
護衛騎士ゼノアは、即座に僕たちの前に立ち、剣を抜き放った。彼女の主である王女セレスティアの身を案じ、冷静な判断を下す。
「しかしゼノア!この魔物は危険すぎます、いくらあなたでも…!」
セレスティアは叫ぶが、ゼノアは振り返らない。彼は魔物へと一歩踏み出し、その巨体に向かって果敢に斬りかかった。しかし、魔物の硬い皮膚はゼノアの剣を弾き、その強烈な一撃がゼノアを吹き飛ばす。
「ぐっ…!」
ゼノアは苦痛の表情を浮かべ、地面に倒れ込む。だが、彼はすぐに立ち上がり、再び剣を構えた。その隙を突いて、魔物が強烈な一撃を放とうとする。
その時だった。
「ゼノア様、右に避けて!」
リーファがそう、大声で叫んだ。
ゼノアは一瞬ためらったが、リーファの言葉を信じ、とっさに右へ体を捻る。魔物の強烈な爪の一撃が、彼の顔を掠めるように空を切った。
「…助かった…?!」
「悠真様、次の『神の啓示』は、なんとお告げに!?」
リーファは僕の腕を掴み、焦燥に満ちた声で尋ねた。
「ま…魔物は右側から…っ!」
僕の予知をリーファが叫んだ。
「ゼノア様、右側から攻撃がきます!」
リーファの叫びに、ゼノアは即座に反応し、左に身を翻した。魔物の拳が空振りに終わり、地面を大きくえぐった。
ゼノアは息を呑んだ。魔物は再び咆哮し、ゼノアに次の攻撃を仕掛けようとする。
「今度は、頭を狙って左上から!」
「次は左上です。ゼノア様、伏せて!」
ゼノアは、リーファの声を頼りに、次々と魔物の攻撃をかわしていく。
セレスティアは僕の背後で、僕の服の袖をギュッと掴みながら、信じられないものを見るかのようにその光景を見守っていた。彼女の顔には、恐怖と同時に、僕の予知がもたらす奇跡への驚愕が浮かんでいた。
「これが悠真さまのお力…?」
王女は、僕の背中で息をのみ、身体をこわばらせる。彼女の袖を掴む力が、さらに強まり、僕の腕がグイッと引っ張られた。僕はバランスを崩してよろめき、転倒しかけた僕の体が、彼女を押し倒すように覆いかぶさった。
「きゃっ…!」
セレスティアの小さな悲鳴が聞こえる。僕とセレスティアは、信じられないほどの近距離で向かい合っていた。
僕の体は彼女の華奢な体を完全に覆い、顔と顔が触れ合うほど近くにあった。彼女の薄い唇が、僕の視界いっぱいに広がる。吐息がかかるほどの距離に、甘く上品な花の香りが漂っていた。
「…ゆ、悠真様…」
僕が彼女の上に倒れこんだその直後、魔物が放った強烈な魔力波が、僕たちの頭上をわずかに掠めて通り過ぎた。
「ゴオオオッ!」
凄まじい轟音と共に、僕たちの背後にあった民家の壁が、粉々に砕け散った。もし、僕がセレスティアの上に倒れなければ、僕たちは今頃、その魔力波に直撃していただろう。
セレスティアの紫色の瞳が、驚きと戸惑いに揺れている。彼女の胸元からは、ふわりと柔らかな感触が伝わってきて、僕は思わず息をのんだ。僕のドジが引き起こした「不幸」な転倒は、僕の予知よりも早く、僕たちを救ってくれたのだ。
「セレスティア様、悠真様は私が守ります!お任せください!」
その間にリーファは、僕たちの危機を救うべく、神聖魔法を放つ。彼女の放った光の魔法が、魔物の目に直撃し、その巨体をぐらつかせた。魔物は一瞬ひるんだが、すぐに怒り狂った咆哮を上げた。そして、周囲の建物を破壊しながら、その場を離れていった。
「…このままでは、街に被害が…!」
セレスティアは、僕から離れて立ち上がると、そう呟いた。 その時、僕の腰の『呪いの石』が、激しい振動を始めた。それは、僕の予知が、最悪の「不幸」を捉えたことを示していた。
王宮内の執務室。窓の外に広がる王都の惨状を、ソフィアは呆然と見つめていた。巨大な魔物が咆哮し、人々が逃げ惑う光景は、彼女の想像をはるかに超えていた。
「…そんなはずは…!ユリウス司祭の毒は、魔物化させるだけではないの?!ここまで巨大化するなど、聞いてないわ…!」
彼女は、掌の上の小さなガラスの瓶を握りしめ、混乱に顔を歪ませた。彼女がこの計画を立てたのは、セレスティアから王位を奪い、腐敗した王国の権威を取り戻すためだった。
「腐った王宮に、光を取り戻す。それがわたくしの使命…だったはずなのに」
しかし、目の前の光景は、彼女の想像をはるかに超えていた。
「このままでは、この王都が破壊されてしまうじゃないの…!」
ソフィアの言葉は、もはや私利私欲のためではなかった。彼女の本来の目的は、あくまで王国の再建だった。悪名高いアルベール・ド・グロリュー大臣や、教団の黒幕ユリウス・リヒト司祭とのつながりも、その目的のための布石に過ぎない。この魔物によって、王国に危機をもたらすことは、彼女の目的とは全く異なる、最悪の事態だったのだ。
ソフィアの野望は、彼女自身の制御を超えた「不幸」によって、思わぬ方向へと転がり始めた。王都の城壁が崩壊すれば、その責任は、魔物を呼び込んだソフィア自身に降りかかることになる。彼女は、自らが仕掛けた罠によって、最大の窮地に立たされることになった。
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