第5話:王都アヴァロンの策謀家(第2節)
僕とリーファを乗せた馬車は、王都を抜け、高台にある豪華な屋敷に到着した。
王都の華やかな街並みもすごかったけれど、この屋敷は別格だった。白い大理石でできた柱が何本も並んでいて、金色の装飾が施された扉は、まるで物語に出てくるお城のようだった。
「すごい……まるで、お城みたいだ……」
僕が思わず呟くと、リーファは誇らしげに胸を張った。
「もちろんですわ!ソフィア王女殿下のお屋敷は、王都でも一、二を争うほど豪華なのですから!」
僕たちが馬車から降りると、一人の男が優雅に近づいてきた。彼は、見事な銀色の鎧を身につけた護衛騎士だった。
「ようこそ、救世主様、そして巫女様。第一王女ソフィア様がお待ちです」
騎士の言葉に、僕は驚きを隠せないでいた。まさか、最初に会うのが、王様の娘、しかも一番偉いとされる第一王女だなんて。
「えっ……第一王女って、あの、王様の一番上のお姉さんですよね?僕みたいな、ただの凡人が会ってもいいんですか!?」
「まあ、悠真様。何を言っているのですか。悠真様は救世主様なのですから、お会いできて当然ですわ」
リーファは、僕の心配をよそに、何事もないように騎士の案内に従って屋敷の中に入っていった。
豪華なエントランスを抜けると、一人のメイドが僕たちの前に現れた。彼女は僕よりも少し背が高く、栗色の髪をポニーテールにまとめている。その愛らしい顔には、にこやかな笑顔が浮かんでいた。
「救世主様、巫女様。まずは、お着替えをお願いいたします。このような格好では、ソフィア様にお会いできませんから」
メイドは僕たちのボロボロの服を一瞥し、そう言うと、僕だけを別の部屋に案内しようとした。
リーファは、それを見て、
「わ、わたくしもご一緒しますわ!」
と、メイドに詰め寄った。
「申し訳ございません、巫女様。お着替えは、お一人でお願いしております」
メイドは、にこやかな笑顔のまま、丁重にリーファを断った。
「うう……悠真様を、メイドさんに独り占めされてしまう……!」
リーファは、僕の腕を掴みながら、嫉妬に顔を歪ませていた。
「大丈夫だよ、リーファ。すぐに戻るから」
僕は、リーファをなだめて、メイドに案内された部屋に入った。
部屋には、僕が今まで着ていたボロボロの服とは全く違う、豪華な衣装が用意されていた。メイドは僕の服を脱がそうと、僕の体に手をかけた。
「えっ、ま、まさか、脱がせるんですか!?」
僕は、突然の出来事に赤面しながら後ずさった。
「ご遠慮なさらずに。わたくしたちの仕事ですから」
メイドは、にこやかにそう言って、僕のボロボロのシャツを器用に脱がせていった。僕は、生まれて初めて、女の子に服を着せてもらうことに、なんだかドキドキして落ち着かない気持ちでいた。
メイドは、僕の白い絹のシャツに、金の刺繍が施された上着を着せてくれた。シャツのボタンを留めるたびに、彼女の指先が僕の胸元に触れ、僕は心臓が跳ね上がるのを感じた。ネクタイを締める時には、彼女の顔が僕のすぐそばにあり、甘い香りが僕を包み込んだ。
その時、突然、部屋の扉が勢いよく開いた。
「悠真様!」
そこに立っていたのは、リーファだった。メイドに止められるのを振り切って、待ちきれずに部屋に入ってきた。
「リーファ!?」
僕は、着替えの途中でメイドに密着されている姿をリーファに見られてしまい、さらに顔を赤くした。
「ああ、もう!やっぱり、わたくしが着替えを手伝うべきでしたわ!」
リーファは、メイドと僕を交互に見て、ふくれっ面になったが、すぐに――
「まあ、悠真様!とてもお似合いですわ!」
リーファは目を輝かせながら僕の姿を見て、そう言った。
「そ、そうかな……」
僕は、鏡に映る自分の姿に、なんだか落ち着かない気持ちでいた。
着替えを終えると、僕たちは再びメイドに案内され、謁見の間へと向かった。
謁見の間に足を踏み入れると、そこにはソフィア王女が立っていた。
彼女は、王族の象徴である豪華なドレスを身につけ、その豊満な胸と引き締まった腰のラインが、彼女の女性的な魅力を際立たせていた。漆黒のロングストレートヘアは完璧に整えられ、切れ長の赤い瞳と妖艶な笑みが、僕を射抜くように見つめていた。
「ようこそ、いらっしゃいました、救世主様。わたくし、ソフィアと申します。」
ソフィア王女は、その優雅な微笑みを僕に向けると、扇子で口元を隠しながら僕に近づいた。
「さあ、もっとこちらへ……」
そして、少しかがみながら、甘く美しい声で僕の耳元に囁いた。その瞬間、チラリと胸元の谷間が強調され、僕の視線は思わずそこへと引き寄せられる。
リーファはソフィア王女の美しさに目を奪われ、僕の腕を掴みながら小声で囁いた。
「悠真様、ソフィア王女殿下って、本当にお綺麗ですね……!まるで、女神様のようですわ」
しかし、僕にはソフィア王女の笑顔が、なぜか底の見えない闇のように思えた。
「フフッ……」
ソフィアは僕の目をまっすぐ見つめると、蠱惑的な笑みを浮かべた。細く白い指先が、僕の頬をそっとなぞる。
「わたくしは、あなたを歓迎いたしますわ。この国で、わたくしに逆らう者はおりません。わたくし直属の家来になりませんこと?そうすれば……出世も思いのままよ」
艶やかな唇がかすかに弧を描いた。彼女の吐息のような言葉は、まるで蜜のように甘かった。僕が彼女についていけば、この世界で暮らしていく上で困ることはないだろう。だが、本当にそれでいいのだろうか。
その日の夜、僕はソフィア王女の屋敷で豪華な食事を振る舞われていた。
案内されたのは、天井が高く、壁一面にアルカディア王国の歴史を描いた巨大なタペストリーが飾られた大広間だった。中央には、精巧な装飾が施された長いテーブルが据えられ、天井から吊り下げられた巨大なシャンデリアが、無数のクリスタルの光を反射させていた。
テーブルには、僕が今まで見たこともないようなご馳走が所狭しと並べられていた。金色に輝く大きな皿には、香ばしく焼き上げられた肉の塊が乗っており、銀の器には、色とりどりの野菜と、見たことのない果物が美しく盛り付けられていた。
給仕のメイドたちが、手際よく僕とリーファのグラスに甘い香りの葡萄酒を注いでいく。
「あの、すみません。僕、まだお酒は飲めないんです」
僕はグラスに注がれた葡萄酒を見て、メイドにそう言った。
メイドは首を傾げ、困惑した顔で僕を見つめた。
「ご遠慮なさらずとも結構ですよ。こちらのお飲み物は、陛下も好んでお飲みになる、王都でも最高級の葡萄酒でございます。それとも、葡萄酒はお気に召しませんでしたか?」
「いえ、そうじゃなくて……えっと、まだ高校生だから……」
「コウコウセイ……?残念ながら、そのような種類のお酒は……では、別のお酒をご用意いたしますので、少々お待ちください」
どうやらこの世界では、未成年はお酒を飲まないという概念がないらしい。
「違います!そういうことじゃなくて……」
僕が困っていると、隣に座っていたリーファが、自分のグラスを飲み干し、僕のグラスを手に取った。
「悠真様が飲めないのなら、わたくしがいただきますわ!」
リーファは、僕が止める間もなく、一口でグラスの中身を飲み干した。
「えっ?!リーファ、それお酒!」
僕が慌てて声をかけると、リーファは頬を赤く染め、目がとろんとしていた。そういえば年齢を聞いていなかったが、どう見ても僕より年下じゃないの?大丈夫なのか?
「うふふふふ……この飲み物?な~んらか、体がポカポカして、気持ちいいれすわ……」
そう言うと、リーファはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。彼女の服は、肩から少しはだけており、白い肌が露わになっていた。
ソフィア王女は、その様子を面白そうに眺めながら、蠱惑的な笑みを浮かべた。
「ふふ、まあ。ぼうやは、お酒は初めてかしら?」
彼女は甘い声で僕にそう尋ねた。
「……そうですけど、あの、リーファが、その……」
僕はリーファの様子を見て、ソフィア王女に助けを求めた。
「心配なさらないで。巫女様はお酒に慣れていらっしゃらないようですけれど、少し休めばすぐに元に戻りますわ」
ソフィアは優雅に扇子を開き、僕の頬の汗を拭うように風を送った。
「それよりも...」
彼女はゆっくりと僕の隣に座ると、香水の甘い香りを漂わせながら耳元に顔を近づけた。その香りは、まるで僕を酔わせる魔法のようだった。
「あなたとわたくしの、もっと大切なお話をいたしましょう?」
低くて蠱惑的な声が、僕の鼓膜を震わせる。
「ねえ、救世主様……。あなたは、この世界で何がしたいのかしら?どんな願いも、わたくしが叶えて差し上げますわ」
彼女は、グラスに注がれた葡萄酒を飲みながら、蠱惑的な笑みを浮かべた。その赤い瞳は僕を真っ直ぐに見つめ、その視線は僕の心を溶かしていくようだった。
「さきほどもお伝えした通り、この国で、わたくしに逆らう者はおりませんわ。救世主様がわたくしに協力してくださるなら、あなたに富と名声、そしてこの国の未来を約束しますわ」
グラスの葡萄酒を口にする彼女の艶やかな唇から、魅惑的な香りがふわりと漂う。気品に満ちた甘い香りと、鼓膜をくすぐる蜜のような美声が、僕の身体を心地よく痺れさせる。
僕は、その香りに理性を奪われそうになりながら、かろうじて言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「……僕は、ただ運が悪いだけの凡人です。皆が勘違いしているだけで、僕には特別な能力などありません。ですから、この話は……」
僕はそう答えるのが精一杯だった。ソフィア王女は、僕の答えに少し眉をひそめたが、すぐにいつもの笑みを浮かべた。
「まだ救世主としての自覚がなく、混乱しているようね。ふふ、構いませんわ。わたくしは、気長にお待ちしておりますから」
その日の夜、僕はソフィア王女の屋敷にある客室に案内された。
豪華な寝台と、ふかふかの枕が、僕を誘うように横たわっている。僕は、一日の出来事に疲れ、そのまま寝台に身を投げ出した。
(そういえば、リーファは大丈夫かな……)
ベッドに横たわりながら、食事の席で泥酔してしまったリーファのことを思い出した。
彼女は、給仕のメイドに2人がかりで別の部屋へ運ばれていった。僕が心配で声をかけると、ソフィア王女は「彼女も救世主様を探す長旅で、お疲れになったのでしょう」と、にこやかに笑っていた。
(全く、しょうがないなぁ……)
少し呆れながらも、彼女が元気にしているか気になった。リーファのポンコツな一面を思い出しながら、ふかふかの枕に頭を沈めているうちに、僕の意識は次第に遠のいていった。
どれくらい時間が経っただろうか。
僕は、くすぐったい髪の毛と、僕を呼ぶ優しい声で目を覚ました。
「お兄さん……」
ゆっくりと目を開けると、僕のすぐ目の前に、見慣れない制服を着た少女の顔があった。その顔が、息がかかるほど近くにあることに、心臓が跳ね上がる。
窓から差し込む月明かりが、どこか見覚えのある笑顔をぼんやりと照らしていた。琥珀色に輝く大きな瞳が、僕の目をまっすぐに見つめながら、なぜか僕の上に馬乗りになっている。
「き、きみは?!……っうぷ!」
突然の出来事で混乱し、身を起こそうとした僕は、彼女に口を手で押さえつけられた。
「しーっ……大声を出したらまずいよ」
彼女はそう言うと、冷たくやわらかい手で僕の口を塞ぎながら、さらに顔を近づけ、耳元でこう囁いた。
「お兄さんに、大事な話があるの」
彼女の唇が耳に触れそうなくらい近く、熱くなった顔から耳までが赤く染まるのを感じた。心臓がドクドクと警鐘を鳴らし、全身の血が頭に上っていくようだった。
彼女は確か、村の馬乗り場で声をかけてきた商人風の女性だ。彼女は人懐っこい笑顔で「お兄さん」と呼び、僕たちを王都行きの馬車に誘っていた 。その彼女が今、馬乗り場ではなく、僕の身体に馬乗りになっている。何で……?
「その、一度村で出会っただけの関係なのに、いきなりそんな……」
「へぇ…兄さん、私のこと覚えてくれてたんだ。そう、私はあなたを誘いに来たの。セレスティア様のもとへね」
彼女は、周囲に響かないよう、小声でそう言った。彼女の吐息が生温かい。
「いや、でもまだ、僕たちお互いのこと…え?…セレスティア様?」
「ん?そうよ、んしょ」
彼女は馬乗りをやめ、僕の真横に寝そべり、肘をつきながら至近距離で話を続ける。
軽装な制服に包まれた線の細い華奢な身体は、背後から差し込む月明かりに照らされ、腰の曲線が美しいシルエットを描いていた。
「あたし、セレスティア様にお仕えしているエリザって言うの。お兄さん、ソフィア様に近づくのは、大変な危険よ。彼女は、お兄さんのことを利用しようとしているだけだから」
エリザは、琥珀色の瞳で僕をまっすぐ見つめ、そう言った。
「でも安心して。あたしの主、第三王女セレスティア様なら、お兄さんがこの世界で本当に望んでいることを、叶えてくださるわ」
僕は、真夜中に女性と2人きりでベッドの上という状況に、ドキドキしながら話を聞いていた。
(何故、この世界の人たちはみんな、こんな僕を誘いたがるのだろうか?)
「みんな、僕のことを勘違いしている。僕は、誰の誘いも受けるつもりはない。ソフィア様も、もともと断るつもりだったし。」
僕がそう言って視線を伏せると、エリザはフッと笑った。
「そんなの無理よ。あなた、あのソフィア様から逃げられると思ってるの?」
エリザの表情が、一瞬、冷ややかになった。
「どういうこと?」
「あなたが断ったとしても、ソフィア様があなたを手放すはずはないわ。きっと敵対勢力に付くかもしれないと考えて、監禁してでも逃さないわよ。いや、他人に奪われるくらいならいっそ……」
エリザの言葉が、僕の胸に重くのしかかる。ソフィアの笑顔の裏に隠された冷酷さを感じ、全身から血の気が引いていくようだった。
「そんな…どうすれば…?」
「あなたが、我が主セレスティア様の味方に付くと約束してくれるなら、ここから逃がしてあげるわよ」
「そんなの、ソフィア様に味方するのと、いったい何が違うっていうんだ?」
僕は、苛立ちを隠せずにそう言った。エリザは、その僕の言葉に動揺することなく、ただ静かに僕を見つめている。
「我が主セレスティア様なら、あなたがもと居た世界へ帰す方法について、きっと協力してくださるわ」
「どうして、それを?」
僕がそう尋ねると、エリザは少しだけ顔を近づけ、僕の瞳を覗き込むように囁いた。
「帰りたいんでしょ?お兄さん。元の世界に」
エリザは、そう僕に告げ、不敵な笑みを浮かべた。
僕は唇を固く結び、固唾を呑んだ。ソフィアの元に残れば、この異世界での出世が約束されるかも知れない。だが、セレスティアの元へ行けば、元の世界に帰れるかもしれない。この世界に来て初めてできた、元の世界への道筋。
「……わかった」
僕の返事を聞いたエリザの瞳が、琥珀色に輝いた。
「決まりね」
僕は深呼吸して、彼女の眼をまっすぐに見つめ返しながら、真顔でこう言った。
「だだし、僕にも条件がある」




