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花火

死ぬ勇気がないから生きていた。


だけど、今日はいけそうな気がした。


静かな夏の夜だった。


薄ら曇った空で、辺りは妙に暗かった。


水分を多く含んだなまぬるい風が肌をなでる。


その度に肌の表面に不快な湿度を残し、服や髪を張り付かせた。


決して気持ちのいい夜ではなかった。


でも、だからこそ、あちら側がぽっかりと口を開け、なにかが手招きしているようにも感じた。


この辺では、1番高い廃ビルに来た。


一応立ち入り禁止になっているが、鍵は壊されていた。


有名な肝試しスポットでもあるのだ。


外もそうだが、中は思ったほど荒れていない。


だから黙認されているのかもしれない。


屋上まで上がり、ドアを開ける。


ここで爽やかな向かい風でも吹いたなら、それは私を足止めしてくれただろうが、生憎吹いていたのはなまぬるい追い風だった。


それは、私を屋上の縁まで容易に運んだ。


死にたい理由は何か、と問われても、上手く説明はできない。


これといった決定的な出来事が起こったわけではない。


物心ついた頃から、少しずつ少しずつ降り積もった小さな違和感が、ゆっくりと私の心を殺していったんだと思う。


すでに、私の心はあちら側にあった。


機会が来れば必ず実行できると、私は確信していた。


屋上の縁、フェンスを越えた先に腰掛けた。


15階あるビル。ここから飛び込んだら、確実にあちら側へ行けるだろう。


空は曇がかって、辺りは暗かった。


だから、空も上から見下ろす街並みも、大して綺麗だとは思わなかった。


そのせいか、恐ろしさもあまり感じなかった。


普段の私なら、ここで全身が震えていたと思う。


今日はそれがなかった。


見下ろした先に見えたのは、あちら側が大きく口を開けてこちらを待っている様子だった。


その口の奥底に見える私の心が、やけに鮮明に死にたい理由をちらつかせてきて、私はそれを深く覗き込んだ。


終わらせたいから、手放したいからあちら側に行くはずなのに、私はそれから目を離すことができない。


だからあちら側に引き寄せられる。


手放せていたなら、私の心はあちら側に喰われなどいなかった。


それに吸い込まれるように深淵に飛び込もうとしたとき、


ドォンッ


地の底から響くような少し重い破裂音が私の身体を震わせた。


次の瞬間、顔を上げた目線の先の空に、花火が咲いた。


少し遠いが、暗いせいか、それとも目の前に遮蔽物が何も無いせいか、花火はとても鮮明に私の目に映った。


そういえば、夏祭りのシーズンだったっけか。


みんな向こうのほうに集まっているから、この辺りが厭に静かで暗いのかもしれない。


花火は続けて上がった。


星も何も見えないような黒塗りの空に、それは恐ろしいくらいに映えていた。


それは私をまだこちら側に縛りつける口実になり得るほどに、ただ美しかった。


まるで命を丸ごと照らしてくれているような。


この世にこんな綺麗な物があるなら生きてもいいと、漠然とそう思えた。


ただ魅入った。


何かで聞いた話だが、花火が球体で良かったな、と思った。


花火は下からみても横から見ても、上から見ても丸い。


だから、遠くから見る私の目にも花火は美しく映った。


この位置は花火の正面ではないから、もし花火が平面だったなら、きっと私を止められていなかっただろう。


ひときわ大きく、丸い花火が散った。


光の残滓が全て夜空に溶け切る瞬間まで、私はそれから目が離せなかった。



最後の光が空から落ちてフッと消えたとき、ふといつかの線香花火が脳裏に蘇った。


線香花火は大抵、最後に火球がぽとり、と落ちて消える。


家族と花火をしたとき、最後に誰が1番長く線香花火を維持できるか競った。


誰が勝ったとかはもう覚えていない。


だけど、落ちる瞬間は鮮明に目に焼き付いている。


花火の燃え残りを入れたバケツは、朝になってから処理した。


黒く濁った水と、カラフルな持ち手がアンバランスで、ひどくグロテスクなものに見えた。


ほかにも花火をした人がいたのか、あちこちに花火の燃え残りが落ちていた。


手持ち花火の持ち手はカラフルで綺麗だから、燃え残りが放置されていると子供が触ってしまうことがある。


私も小さい頃、それを触った手で目を擦り、目が充血した事があった。


あれは痛かった。


そんな苦い記憶を反芻しながら、私は、先ほどの花火の麓に思いを馳せた。


あれだけたくさんの大きな花火が上がったんだ。


きっと巨大な花火の燃え残りが、大量に残っているのだろう。


そんな想像が、興奮で湧き立っていた頭に冷静さを取り戻させた。


花火の輝きは一瞬だ。


そして、あとに残るのは燃え残りだけだ。


花火の根元を探るように落とした視線の先では、待ってましたとばかりにあちら側が口を開けていた。


光に慣れた目は、深淵をより鮮明に映した。


目を閉じると、花火の残像が見える。


瞬いた先に見える闇が、いつかの燃え残りを彷彿とさせる。


黒く濁ったバケツの底のように見えて。


華やかな光とそのバケツの底がリンクして、この世に本当に美しいものがあるのだろうか、という疑問が渦巻いた。


私をこちら側に縛りつけた美しさが、全て虚像だったように思えて、生きる口実を見失った私は、深淵の先に見えるものに捕らえられた。


もう逃げられる気はしない。


少女の命は、線香花火のように落ちて、フッと消えた。

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