表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/31

第5話

第5話


■神崎玲司視点


渋谷駅前の光景は、まるで情報の洪水だった。巨大なビジョンが昼夜問わず映像を流し、交差点に集まる人々の視線と無意識を支配している。玲司はその中心、ビジョン操作のテスト運用が行われる一棟のビルから交差点を見下ろしていた。


「ミネルヴァ、5面シンクロ準備は?」


《映像制御完了。放映予定時刻、午後4時45分。対象映像は“喫煙行為中の未成年グループ”》


このテストは、あくまで試験的なものだった。表向きには匿名の情報提供者から提供された映像を市民啓発として流す企画。だが、その裏には玲司の意図が潜んでいた。


“視覚的制裁”がどこまで社会に影響を与えるか――それを測る実験でもあった。


やがて時刻が来る。交差点の人々がざわめく。5面すべてに、同じ映像が流れ始めた。公園のベンチでタバコを吸う高校生たち。その顔は、あえてモザイクが薄い状態で残されていた。


《SNSリアクション初動観測中。タグ“#渋谷の恥”が急上昇中。動画クリップが10分以内に拡散傾向》


玲司の目が鋭く光る。


「世論は映像に従う。ならば、映像を支配すれば……感情すら操作できる」


この言葉が意味するものは深い。都市伝説“深淵”の正体は、もはや単なるデマではない。計画された演出と映像操作によって、群衆心理が動く様を玲司は着実に可視化し始めていた。


しかし、もう一人の男がその影に気づき始めていた。


警視庁・サイバー犯罪対策課の松永警部補。玲司の元同僚であり、今も情報の海に潜む異物を追う立場にある。


「妙だな……この映像、広告サーバにない履歴で放映された」


松永は渋谷駅近くの出張捜査所で、交差点の映像記録を検証していた。全ビジョンの制御ログを辿る中で、不自然な“改ざん痕”が浮かび上がってくる。


「広告主情報も、配信経路も不明……これは完全にハックされてる」


その指が止まる。ログファイルの中に、見覚えのある構文が残されていた。


「これは……玲司か?」


名前を呼んだ瞬間、松永の脳裏には、かつての後輩の姿がよぎった。すべてを記憶する頭脳、正義を追い求めすぎた男、そして突然姿を消したあの日。


「まさかな……」


一方、玲司は次の段階に入っていた。スクランブルスクエアの防犯カメラシステムを完全に自動制御下に置くプログラムの導入が完了していた。


《映像改竄システム、稼働中。顔認識・動作偽装・時刻同期処理が可能です》


「ならば、これで“真実”すら創れる」


都市に張り巡らされた監視網。そのすべてが、今や彼の手中にある。玲司はミネルヴァを通じ、未来の犯罪者を監視し、必要とあらば“映像による先制制裁”を行う体制を構築しつつあった。


その夜、玲司はスクランブルスクエアの屋上に立っていた。眼下の街が、まるで自分の意思で動いているかのように感じられた。


「俺は世界を見ている。だが、世界もまた俺に見られている」


その視線の先に、次なる標的の影がぼんやりと浮かんでいた。


放映から30分後、SNSのトレンドは“深淵”一色に染まり始めていた。未成年の喫煙という小さな逸脱が、社会の怒りと正義感を引き出し、それを“深淵”という匿名の存在に帰属させていた。


《トレンド解析完了。1時間以内に関連投稿5万件突破。“自警団的正義”というワードが急上昇中》


「まるでネット世論が、見えざる手に導かれてるようだな」


玲司は小さく笑った。かつて警察官として群衆心理に警戒し続けた自分が、今やその心理を操作する側にいる。この皮肉に対し、後ろめたさよりも支配感が勝った。


彼はモバイル端末で、複数のカメラ映像を確認する。スクランブル交差点、ハチ公前、センター街――全ての視点が、彼の手の中にある。


「ミネルヴァ、匿名報告装置の準備を。次は“盗撮常習犯”の映像だ」


《了解。内田直樹の行動履歴を照合。5件の未摘発映像と一致。編集・加工の上、次回放映素材に設定》


玲司は冷静に指示を出す。ターゲットは未来で盗撮犯として記録される男。現時点では逮捕歴もないが、記録と照合された映像はすでに“証拠”となり得る。


「正義とは、時に早すぎる選択だ。だが、間に合わなかった過去よりはましだ」


彼の目は、未来を映すレンズのように冷たい。


その頃、松永警部補は本格的な調査に入っていた。警視庁のデータセンターから特別権限を用いてアクセスを試みると、一部のログが不可解な挙動を示していた。


「これは……改竄か? だが、ここまで精密な操作ができるのは……」


松永は椅子に沈みながら、頭を抱えた。心の中ではすでに答えが出ている。しかし、それを口にするにはあまりに現実離れしていた。


「玲司……もし、お前がこれをやってるのなら……お前は、いったい何になろうとしてる?」


彼は過去のファイルを開いた。玲司の経歴、退職届、家族が事件に巻き込まれた夜の報告書。それらが、今の混乱とどこかで繋がっている気がしてならなかった。


一方その頃、スクランブルスクエアの屋上で玲司はひとり夜景を見下ろしていた。都市は変わらず騒がしく、だがその騒音のすべてが、今は心地よかった。


「ミネルヴァ、予測モデルを確認。次に映像で“制裁”すべき人物は?」


《リストNo.12、田辺慎吾。黒狼会の末端メンバー。盗品売買の兆候あり。現在センター街に出没中》


「なら、次のカメラも調整しておけ。証拠は、こちらで“準備”する」


玲司の背後には、誰もいない。だが彼は孤独を感じていなかった。すでに自分はこの都市の一部――いや、都市そのものになりつつあるのだ。


夜の渋谷。そのすべての目と耳は、神崎玲司に繋がっていた。


スクランブル交差点の中央に、田辺慎吾の姿があった。彼は仲間と共に路上で物品を手渡し、すばやく金を受け取っている。玲司はその一部始終を、駅ビル上からモニター越しに見守っていた。


「これが……未来の犯罪者の“予兆”だ」


すでに防犯カメラの一部には、玲司の作成した映像編集モジュールが挿入されている。映像の切り取り、拡大、時間補正まですべてがリアルタイムで行われ、必要な瞬間だけが“記録”として残される。


《編集完了。田辺慎吾の不審行動を30秒映像にまとめ、証拠ファイルに登録済み》


「その映像を使って、ネット世論を先導する。“善意の拡散”という名の正義で」


玲司の目は、遠くに見える5面ビジョンに向けられていた。彼にとっては、あの巨大な映像面こそが現代の“裁判所”だった。


一方、松永はついに動き出した。警視庁内部の協力者と共に、渋谷の全ビジョン配信サーバへアクセス権限を取得。過去一ヶ月の映像履歴と、放映ログを照合し始めた。


「奇妙な一致がある……複数の映像に、共通した操作タイミング。しかも、その時だけログが消失している」


その瞬間、彼の背中に冷たい汗が流れた。


「これは……完全に意図された犯罪だ」


彼は警視庁内の特別対策会議に出席を申し出る。だが、その報告の中に“玲司”の名前はまだ出せなかった。確証もなく、信頼も残っている――その葛藤が、彼を口ごもらせていた。


「調査は続ける。だが、真実を掴むには……もっと近づく必要がある」


玲司の動きが、次第に社会の深層に影を落とし始めていた。


第5話終わり






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ