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第4話

第4話

■神崎玲司視点


渋谷バスケットストリート。喧騒と若者の熱気が渦巻くこの通りは、昼夜を問わず多様な人間が行き交う。玲司はその一角、古びたスポーツショップの裏路地に足を踏み入れていた。背後の騒音が次第に薄れ、代わりに湿気と油の匂いが鼻を突く。


「……ここか」


目的の店は看板すらない鉄の扉だった。軽くノックすると、インターホン越しに男の声が聞こえる。


「名前は?」


「神崎玲司。黒崎に会いに来た」


しばらくの沈黙の後、ガチャリと鍵が開く音。扉の奥から現れたのは、黒いスーツに身を包んだ壮年の男。闇金融業者・黒崎英二。玲司の未来記憶では、仮想通貨を使った資金洗浄のプロフェッショナルだった。


「……よく来たな。お前みたいな若造が何を求めてる?」


「情報と技術。それだけです」


黒崎は鼻で笑いながら室内へ案内した。部屋の中は意外にも整然としており、モニターが数台並び、取引チャートや暗号通貨の動向がリアルタイムで表示されていた。


「現金は足がつく。だが仮想通貨は違う。『透明で匿名』ってのがこの世界の皮肉だな」


玲司はその仕組みの一つ一つを理解しながらも、内心ではミネルヴァに補完させていた。


《黒崎英二の過去記録を参照。5年前、仮想通貨洗浄で摘発されたが証拠不十分で不起訴処分。現在も複数のダミー口座を所有》


「ミネルヴァ、取引構造を全て記録。動きのパターンも抽出しておけ」


《了解。ブロックチェーン上の取引履歴を逆算中。匿名性アルゴリズムの特性も解析対象に追加》


数時間に渡る座学と実地解説の後、玲司は自らの目的を明かす。


「この技術で資金を増やす。そして、表の世界に還元する手段が欲しい」


「ふん、なら次は“転売”だな。広告枠ってのは見えない資源だ。特に渋谷みたいな街じゃな」


黒崎が示したのは、東急OOHが管理するビジョン広告のスケジュール表だった。一般には公開されない内部資料だ。


「空き枠を早期に押さえて、需要が高まるイベント前に再販売する。利幅は読めるが、スピードが勝負だ」


玲司はすぐにミネルヴァに指示を出す。


「全ビジョンの過去広告傾向と季節変動、周辺イベントとの相関データを分析して予測モデルを構築」


《データ取得完了。広告需要予測モデルを生成中……結果:次週ハロウィン前夜が最適転売タイミング》


「ならば今、買い付けろ」


玲司の行動は迅速だった。仮想通貨での利益を資金源に、彼は複数の広告枠を“深淵”名義で取得し始める。誰も正体を知らない都市伝説の名が、合法的に渋谷の空を買い占めていく。


帰路、玲司はスマホを取り出し、DHC Channelのライブ広告枠にアクセスした。


《ミネルヴァ、現在配信中の広告データをリアルタイム解析。投資可能性の高い商品・企業をスクリーニング》


《実行中。美容サプリメント系の中小企業“ビオクレア”が急激な購買反応を獲得中。株式上場準備中》


「なるほど。なら、次の資金投入先は決まりだな」


玲司の目には、既に次の戦略が描かれていた。情報と仮想通貨、広告と都市伝説。全てを結びつけて彼は動く。


「ミネルヴァ、資金配分シミュレーションを提示。最短で五千万、三ヶ月以内だ」


《予測完了。達成確率78%。最適ポートフォリオ構築中》


玲司は笑った。


「仮想の檻を使って、現実を支配する。それもまた、情報戦争のひとつの形だ」


そして、渋谷の夜が、またひとつ新たな顔を見せ始めていた。


玲司は黒崎の部屋を出た後、再びバスケットストリートの喧騒に身を置いた。だが、先ほどまでの交渉の余韻は、彼の中で静かに熱を帯びていた。


「闇は、使い方次第で光にもなる」


彼はそう自分に言い聞かせながら、スクランブル交差点方向へと足を向けた。


渋谷の夜は、無数の光と音に満ちている。そのひとつひとつが、広告という名の“情報”を発している。そして玲司は今、その情報の流れの“操縦席”に座り始めていた。


ミネルヴァが再び報告を送る。


《広告インプレッションの反応解析完了。“深淵”のロゴを挿入したテスト映像、SNSでの波及率1.8倍を記録》


「よし。次は、視覚的インパクトを強化する。人は意味のない情報より、“意味があるように見える”情報に惹かれる」


《心理的誘導設計に基づき、“非言語的暗示”要素を追加可能。目線誘導、時間帯調整、色調変化の組み合わせにより印象強化》


玲司は無言で頷き、渋谷駅近くの高層ビルにあるカフェへ入った。普段使い慣れたこの店は、窓際の席からビジョンの一部を遠望できる位置にある。彼はラップトップを開き、深夜のビジョン運用状況をリアルタイムで監視し始めた。


画面には、複数のスケジュールが並び、確保済みの広告枠が色分けされて表示されている。玲司はその合間に、ふと別の情報へ目を移した。


《DHC Channelの過去5年間の広告主傾向と業績データ、解析完了。購買連動性が高かった商品カテゴリ:健康食品、美容機器、個人ブランド衣料》


「ふむ……なら、AIで生成した仮想ブランドでも需要は作れるな」


そう呟くと、彼は新たな指示を出す。


「ミネルヴァ、新規ブランド設計プロトコル起動。“深淵ラボ”という名義で、ターゲットは20〜30代の都市型ユーザー層」


《了解。“機能性+匿名性”をブランドコンセプトに設定。初期プロモーションは109ビジョンに限定、音声なし・ロゴのみの表示から開始します》


玲司の目が鋭くなった。すべては、試験的行動から始めるのが彼の流儀だった。AIが生み出すブランド。都市伝説が売る商品。真実か虚構か、それはすでに境界がなかった。


そのとき、ミネルヴァが警告を発した。


《警視庁の松永警部補が、過去の広告映像のデータ異常を検出。バックトレースの兆候あり》


玲司は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに平然と答える。


「予測通りの動きだ。あの男が動けば、逆にこっちの存在が深まる。“深淵”は、誰かが恐れた瞬間に完成する」


街のざわめきの中、玲司は確信していた。自分が今、築きつつあるのは、単なる資産でもなく、匿名ブランドでもない。“操作可能な社会構造”そのものだった。


情報は武器となり、仮想通貨は血流となり、広告は視覚化された神経信号となる。


「次の段階に入る。ミネルヴァ、仮想通貨のマルチレイヤー口座を準備。名義分散と相互リンクで追跡を防げ」


《設定完了。24時間以内に資産転送開始。偽名義プロトコルによる分散保持を実行》


玲司の中に、確かな手応えがあった。家族を失い、時間を遡り、そして今、彼は新たな“構造”をこの街に築いている。


「この街の真の支配者は、表に立つ者ではない。すべてを見通す者だけが、スクランブルの中心に立てる」


彼の目が、遠くのビジョンに浮かぶ“深淵”のロゴに重なった。


その瞬間、カフェの天井スピーカーから微かなBGMが流れ始めた。玲司はふと、グラス越しの夜景に目をやった。光が踊る渋谷の街。無数の人間がスマホを片手に何かを消費し、何かを信じて生きている。


「情報は、信じた時点で現実になる」


彼は再びラップトップの画面に目を戻した。ビジョンのスケジュールが、自分の意思通りに埋まっていく。そのすべてが“深淵”という虚構を、確かな現実へと変えていく。


玲司の戦いは、始まったばかりだった。


第4話終わり









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