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第3話

第3話


■神崎玲司視点


渋谷スクランブルスクエアの地下二階。煌びやかな光に包まれた地上の喧騒とは裏腹に、そこは薄暗く静かな、異質の空間だった。構造上、商業施設の地下搬入路として造られた連絡通路。だが、今は一部の者たちだけが知る、都市の“裏”へと通じる道として使われている。


「ミネルヴァ、周囲の監視カメラを制御。ノイズ挿入と映像改竄を」


《了解。ネットワーク侵入完了。現地カメラ5基の映像に時間差と干渉波を挿入、肉眼での確認を妨害》


玲司は慎重に足を進めた。頭上を通る冷却配管からは時折、水滴が滴り落ち、コンクリの床に無音のリズムを刻む。こうした空間の温度、湿度、音響――すべてをミネルヴァは自動で記録・解析し、玲司の行動最適化に活かしていた。


ミネルヴァの能力は多岐にわたる。記憶整理はあくまで第一段階にすぎない。あらゆる種類のセンサー情報を受け取り、リアルタイムで判断を下す能力。情報収集から構造分析、言語生成、表情認識、さらには匿名ネットワークの自動浸透までを単独で担う。


だが、その能力の核心は「因果演算」にある。


膨大な記憶と現行データを照合し、未来に起こる事象を“予測”する――それが、ミネルヴァの真価だった。


「来たか」


通路の奥。コンクリの壁に背を預けるようにして立っていたのは、サングラスとマスクの男。情報屋、三上智也。未来の記憶では数々の重要情報を玲司に提供してきた存在であり、彼の行動を支える陰の協力者でもある。


「……神崎玲司、だな?」


「君が三上智也?」


「まあ、今夜の名刺代わりだ。話そうか、取引の内容を」


玲司は小さく頷くと、スマートフォンを操作して渋谷スクランブル交差点の監視映像を映し出した。


「この映像、スクランブルの全視点。顔認識と動線分析済み。ここから“未来に犯罪を起こす可能性の高い個体”を特定してくれ」


三上がスマホを覗き込み、その映像の情報量に息を飲んだ。


「……は? マジかよ。どこから入手した? いや、それより……こんな映像、本物なのか?」


「本物だ。そして追跡不可能。俺のシステムが改竄し、証拠はすべて第三国のサーバを経由して消去済み」


玲司の語調は静かだが、そこに含まれる確信は、聞く者に反論の余地を与えなかった。


「見返りは?」


「すでに1BTC送金済み。成果次第でさらに追加する。協力する気はあるか?」


三上は沈黙したまま数秒スマホを操作した後、軽く頷いた。


「……悪くねえ。面白い仕事だ。乗るよ」


《交渉成立。信頼係数は現在72%。協力者プロファイルに登録します》


玲司はさらに指示を続けた。


「次は資金源の拡大。スクランブル交差点に設置されている大型ビジョン、“109フォーラム”を含む五面すべての空き時間帯を解析してくれ」


《広告スケジュール確認中……未登録枠92秒分を検出》


「その時間帯に、“深淵”の名を使った広告を挿入する。ただし、直接的な犯罪示唆は避け、“観測者”として都市伝説的に匂わせる」


《ナラティブ設計中……“匿名の警告者”“未来の目撃者”という印象を形成する演出を適用》


三上が問いかけてくる。


「なあ……“深淵”って、本当にいるのか? それとも、あんたが作った“お化け”か?」


玲司は首を横に振るでもなく、ただ静かに口を開いた。


「現実とは、信じられた虚構の集積だ。“深淵”が実在するかどうかは問題じゃない。存在“してしまった”という記録を残せば、それが歴史になる」


三上は苦笑しながら頭を振った。


「お前、怖ぇよ」


玲司はその言葉に微笑で返すと、再びスマホを操作した。


「次のターゲットは高橋俊彦。未来で詐欺事件を連続して起こす男だ。ミネルヴァ、現在の行動ログは?」


《新宿周辺で複数の被害者との接触履歴を確認。表向きは起業コンサルタント。背後に別名義の暗号通貨口座を所持》


「……情報が集まり次第、動く。深淵の影をさらに濃くしろ。この街に、真実が映る余地はもうない」


玲司の目には、もはや迷いはなかった。渋谷の地下に広がる静寂の中、彼の計画は確実に歩を進めていた。


玲司の脳裏に、過去の映像が一瞬よぎる。スクランブル交差点を走る少女。妹・美沙だ。あの日の記憶、止められなかった後悔。未来に犯される運命を知りながら、ただ見ていることしかできなかった自分への怒り。だからこそ、今は違う。


「俺は……絶対に繰り返さない」


小さく呟いた声に、ミネルヴァが応じる。


《再確認します。次のミッション優先順位:資金確保および人材獲得、リストに基づく潜在犯罪者の追跡。選択しますか?》


「両方だ。俺一人で戦える範囲は限られている。だが、深淵という名の影を使えば、“敵”の中に疑心を生ませられる」


玲司は地下通路を出て、ふたたび地上への階段を登った。そこは喧騒の中心――スクランブル交差点。人の波が交差し、光と音がぶつかる場所。だが、その中心に立っているのは、かつての玲司ではない。


「スクランブルの頂点は、常に動く。俺はその一歩先を読んで動く」


ミネルヴァが情報を送り続ける。人の顔、足取り、スマートフォンのアプリ使用傾向からSNS上の発言内容まで。玲司の網膜には、それらがデータとして浮かび上がる。


「この世界は“情報”が支配する。ならば俺は、その支配者になる」


かつて国家のシステムの一部であった彼は、いまやその外に立つ。だが、目的は同じ――正義。ただし、それは彼自身が定義する正義だ。


空を見上げれば、109フォーラムのビジョンに、深淵のロゴが微かに映る。都市伝説の影が、この街を包み始めていた。


玲司の手が、ふたたびスマホを操作する。


「ミネルヴァ、新たな協力者候補のプロファイルを洗い出せ。条件は“社会に不信感を持ち、高い技術力を持つ者”」


《条件に一致する人物候補を21名検出。第一候補:橘颯太。元ブラックハッカー。現在は潜伏中》


「……次は、彼に会いに行こう」


戦いはまだ始まったばかりだった。だが確実に、深淵の輪郭が、この渋谷に刻まれつつあった。


地下から地上へ上がる階段の途中、玲司はふと立ち止まった。冷たいコンクリートの壁に手を当て、目を閉じる。


過去の記憶が、まるで昨日の出来事のように脳内で再生される。家族三人が揃って食卓を囲んだ最後の夜。妹の美沙が笑っていた。父・洋一が新聞を読みながら政治への愚痴をこぼし、母・由紀子が静かにそれを聞いていた。


「……あの日々を、ただの記憶にしてたまるか」


記憶は玲司にとって武器であり、呪いでもある。完全記憶能力は、忘れることを許さない。だが、それゆえに未来を変えられると信じていた。


彼の全存在が、今この渋谷の街にその意志を刻もうとしている。


ミネルヴァの声が再び脳内に響く。


《信号増強完了。ビジョン制御ネットワーク、次回予定枠取得済み。広告配信権の偽装購入も可能です》


「偽装資産で入札しろ。“深淵”の名義で。誰もが気づかない形で、俺たちのメッセージを流すんだ」


この都市は、混沌と欺瞞でできている。ならばその中に、もう一つの“真実”を埋め込めばいい。


玲司は階段を登りきり、スクランブル交差点の中心へと戻っていった。


交差点の光が眩しかった。


第3話終わり


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