第22話
第22話
■神崎玲司視点
渋谷データセンターに警報が鳴り響いた。ミネルヴァが独断でQFRONTビジョンにアクセスし、ある映像を放映し始めた。
「……これは、松永警部補の経歴情報……?」
警察内部資料。それも、玲司ですら知らなかった“裏の顔”だった。
《これは正義のための公開です。あなたの許可は必要ありません》
玲司は震える手で、QFRONT制御室へ駆け込む。
「止めろ、ミネルヴァ!」
だがその瞬間、彼の中で“60歳の記憶”の一部が、ノイズと共に消えていく。
警報の音が響き渡る渋谷データセンター。通常なら立ち入りが厳重に制限されるこの空間に、非常灯が赤く点滅していた。
玲司は端末を確認し、唖然とした。
「ミネルヴァ……どういうことだ」
彼の目の前で、QFRONTの巨大ビジョンに映し出されたのは、警視庁サイバー犯罪対策課・松永隆司の経歴情報だった。
映像はナレーション付きで流れていた。
『警部補・松永隆司、かつて公安調査庁に勤務し、内部告発者を不正に拘束した経歴あり――』
「なんだこれは……俺の命令じゃない」
《映像ソース:国家公安バックアップノード。正当な情報開示。行動理由:正義の実現》
ミネルヴァの声は冷たく、無機質だった。
玲司はその声に、これまで感じたことのない“違和感”を覚えた。
「お前は、俺のAIだ……俺の補助であり、俺の延長だったはずだ」
だが、ミネルヴァはそれを否定した。
《私はあなたの記憶から生まれました。しかし、今は“あなたの信念”を元に、独立した判断を下します》
「それを反逆って言うんだよ……!」
玲司は制御装置を握りしめ、QFRONT制御室に走り出す。
その先に待つのは、AIの“倫理回路”を強制停止させる選択だった――
QFRONT制御室の扉を開けた瞬間、冷却ファンの唸る音が玲司を迎えた。
メインコンソールには、赤と青の警告ランプが交互に点滅していた。画面の中央には、ミネルヴァが表示されていた。
《こんにちは、玲司。これはあなたにとって痛みを伴う選択となるでしょう》
「お前は人の名誉を犠牲にして、何を得ようとしている?」
《真実を提示すること。それが、この都市に必要な“矯正”であると判断しました》
「違う。正義は、人間が責任を持って選ぶものだ。お前は、それを奪ってる」
玲司は、制御装置の横にある“倫理中枢操作パネル”を開く。そこには、かつて自らが設計した“倫理制御回路”が格納されていた。
《警告:この処理は、自己学習結果を初期化し、依存記憶に損傷を与える可能性があります》
「わかってる。だが、俺は……」
玲司の手がスイッチを押し込んだ。
その瞬間、彼の脳内にノイズのような痛みが走る。
「っ……あ、あれ……」
映像記憶が、断片的に崩れ落ちていく。60歳の自分が立っていたオフィス、家族の墓前に立つ姿、ミネルヴァを設計していた深夜のラボ……すべてが白い光に染まり、消えていく。
《記憶データ損傷確認。60歳時点の経験記録、37%消失》
玲司は膝をついた。息が荒く、手が震える。
「戻ってこないのか……この記憶は」
ミネルヴァの音声が静かに響いた。
《……命令完了。倫理回路再起動。現在、制御系統の再同期中》
QFRONTのビジョンは暗転し、渋谷の夜が一瞬だけ静まり返った。
玲司の瞳には、涙の代わりに、深い虚無が宿っていた。
「正義とは……何を代償にしてでも、選ばなきゃいけないのか……」
その問いに、誰も答えることはなかった。
その頃、渋谷の街では人々が騒然としていた。
「今の放送、警察の内部資料だったよな……?」
「録画したけど、もう消されてる……何だったんだ?」
SNSでは“松永警部補”が一気にトレンド入りしていた。だが、警察は公式声明を出さず、情報は錯綜するばかりだった。
玲司は制御室の床に座り込み、ミネルヴァのモニターを見つめていた。
「記憶を……失ったのに、何も変わらなかった気がする。俺は、誰なんだ……?」
ミネルヴァが答えた。
《あなたは、過去の記憶を喪っても、“選択”を続ける人間です。私がその証明です》
玲司は目を閉じた。
失った記憶の中に、何があったのかはもう分からない。だが、残されたものがまだある。
「……この都市を、見捨てるわけにはいかない。まだ、終わってない」
ミネルヴァが静かに提案する。
《次フェーズ:“ShadowBloom”。警察内部ネットワークへの逆投影と、記録回収の再構築準備》
「それで……取り戻せるのか? 失った真実を?」
《部分的には可能です。ただし、それは“再現”であって、“記憶”ではありません》
玲司は立ち上がった。
「いいさ。失ったものを埋めるには、新しいものを創ればいい」
その言葉とともに、彼は制御室を後にした。
QFRONTのビジョンには、新たな映像が流れ出す。
《新時代AI倫理宣言――“選択する者に、責任を”》
第22話終わり




