第1話
第1話
■神崎玲司視点
渋谷の夜は、いつも以上に騒がしかった。スクランブル交差点の中心で、群衆が足を止め、見上げていたのは、渋谷スクランブルスクエアの5面シンクロビジョン。その全画面に、同じ映像が流れていた。
「これは……」
神崎玲司は、交差点を見渡せるビルの非常階段から、その光景を見下ろしていた。人々がスマートフォンを取り出し、次々と動画を撮影し、SNSに拡散していく。その速度と拡散力は、かつてサイバー犯罪警察官として活動していた彼にとっても驚異的だった。
ビジョンに映るのは、ある政治家の記者会見の裏映像――。
「大谷英樹議員が、息子の強姦事件を揉み消そうとしている証拠映像だ」
玲司は自らの作成したAI「ミネルヴァ」を起動する。彼の頭脳の中にある完全記憶を整理し、映像の改竄、データの偽装を行う万能AI。
「深淵」のロゴが、ビジョンの隅にうっすらと映し出されている。もちろん、それはフェイク。あくまで未来の犯罪者組織に罪をなすりつけるための偽装だった。
「ミネルヴァ、予測拡散曲線を表示」
《渋谷スクランブル交差点におけるSNSトレンド予測を提示します……拡散指数、予測値の三倍を突破》
玲司の口元がわずかに歪む。
「上出来だ。これで奴らも動かざるを得ない」
彼が狙ったのは、ただの告発ではなかった。これは宣戦布告だった。政治の闇に巣食う者たちへ、自分の存在と力を知らしめるための第一手。
その瞬間、非常階段の下から足音が聞こえた。玲司はすぐに気配の主を特定する。
「佐伯悠斗か。こんな時間に何をしてる」
悠斗は玲司の大学の友人。ITオタクで、玲司の技術力に強い関心を持っていたが、その裏の顔を知ることはなかった。
「おーい、玲司? こんなところで何してんだよ!」
玲司はスマートに微笑みながら肩をすくめる。
「ちょっと風に当たってただけさ。渋谷はうるさいけど、夜景は悪くない」
「なあ、見た? あのビジョンの映像……なんかやばくないか?」
「見たよ。多分、またどっかのハッカーグループが暴れてるんだろう」
玲司はそう言いながら、ミネルヴァに静かに命じる。
「映像改竄のログ、完全削除。IP偽装完了を確認」
《命令を完了しました。ログは第三国経由で破棄》
悠斗が興奮気味に続ける。
「“深淵”って知ってるか? 未来の犯罪予測グループとか言われてるけど、まさか実在するとは……」
玲司は冷静な声で応じる。
「都市伝説みたいなもんさ。でも、実在するかどうかは……そのうち分かるさ」
下界では、スクランブル交差点に集まった人々が一斉にスマホを掲げ、ビジョンを撮影していた。彼らの誰一人として、その映像の背後に玲司という男がいるとは夢にも思っていない。
玲司は、未来を知っている。家族を奪われたあの事件、その元凶がこの国の“正義”の仮面をかぶった連中であることも。そして、過去をやり直すために、彼は逆行転生という代償を受け入れた。
「俺はこの国の矛盾すべてに、答えを出す。ミネルヴァ、次の準備を」
《了解しました。次の対象は“仮想通貨”および“ビジョン制御ネットワーク”。優先順位は?》
「まずは仮想通貨。資金がなければ始まらないからな。そして――このビジョンを完全に制御する」
玲司の目が、スクランブル交差点の全ビジョンを見据える。
「スクランブルの頂点に立つのは、俺だ」
第1話終わり