第16話
第16話
■神崎玲司視点
渋谷センター街の夜。人波が雑踏を生み、AR映像と現実が交錯する都市。玲司は新規投資先「Pandora Vision」のデモンストレーションに参加していた。
だがその裏で、映像には別の意味が仕込まれている。未来の犯罪者たちの行動を“マッピング”するための罠だった。
「Pandoraの錯視拡張モード、起動」
《完了。映像投影範囲に対象3名の居場所を重ね表示。市民には広告映像として見えるよう処理済》
玲司は歩きながら、人々の視線が映像に釘付けになるのを確認する。
「見えているのに、誰も気づかない。これが“視覚の罠”だ」
Pandora Vision社の最新AR技術は、渋谷センター街全体を覆うように設計されていた。ビルの壁面にプロジェクションマッピングが投影され、街灯やネオンサインの中に、違和感なく錯視が組み込まれている。
玲司は、眼鏡型のARインターフェースを通じて、Pandoraが生み出す仮想都市の“もう一つの層”を観察していた。彼の視界には、何も知らない市民たちの歩く足元に、うっすらと赤いマークが表示されている。
「ミネルヴァ、3D位置データの精度は?」
《目標3名のトラッキング誤差、±0.3m以下。Pandora映像内での投影誤差も範囲内。位置情報偽装、現在も継続中》
マークの一つが、センター街の一角――タピオカショップの前に立ち止まる。
「……内田直樹。盗撮犯として、未来に17件の犯歴あり。今はただのサラリーマン風情か」
玲司は立ち止まることなく、その男を追い抜き、通りを曲がった。視線も振り向かずに。
もう一人のマークは、109前の横断歩道を渡っていた。
「高橋俊彦。詐欺で数億を動かす男。……仮想通貨の講演なんてしてる場合じゃないだろう」
《映像補正レイヤーにより、周囲の視認度20%以下。視界内では“光の演出”と誤認中》
「誰も見ていない。いや、“見せられている”んだ。広告の下に、本物の罪人を重ねてな」
玲司はPandora Visionの幹部に声をかけられる。
「素晴らしいでしょ? 我々のマッピング技術、まさに“都市の演出家”ですよ」
「ええ。演出の力、よくわかります。嘘を隠すためには、真実を混ぜるのが一番ですからね」
幹部はその意味に気づかず、ただ笑っていた。
Pandoraのコントロールルームでは、玲司の指示で特別なモードが起動していた。
《特殊プロジェクションモード:SYNESTHESIA 03 発動。対象人物の視覚誘導を開始》
このモードは、映像だけでなく音声・温度・空気の振動を統合して、特定人物の脳にのみ“刺激の錯覚”を与えるものだった。
「次は……山本祐介。未来の連続殺人犯。今日のこの時間、この場所に、初めて出現する」
玲司のAR画面には、ビルの屋上から撮影されたライブ映像と、Pandoraの錯視マップが重なって表示されていた。
突然、一人の若者が前を通りかかった。
《照合一致。山本祐介。認証率97.4%。対象は現在無警戒》
玲司はミネルヴァに命じた。
「錯視誘導開始。交差点中央に誘導しろ」
Pandoraの技術により、山本の視界には鮮やかなライティング広告と群衆の流れが“交差点の中央へ向かうべき”と錯覚させるよう構成されていた。
その結果、山本は何の疑念も持たずに、指定座標へと歩き出す。
「視覚を支配すれば、人間の行動も制御できる」
警視庁ではその頃、松永警部補がPandora Visionのイベントの様子を監視していた。
「センター街に人が集まりすぎている。事故が起きるぞ……」
「Pandoraの映像技術が強すぎて、誰も信号や道路を見ていません」
「これが“演出”の暴走か……誰がこの企画に金を?」
その調査結果に、“神崎玲司”の名前が浮かび上がる。
松永は画面を睨みながら呟いた。
「また……お前か」
センター街の空気がざわめく。
AR広告の中に突如現れた巨大な“天使”のホログラム。それはPandora社の演出として話題を呼ぶ一方で、映像の真下には3人の犯罪者が揃って立っていた。
《全ターゲット、映像的に“同一スポット”へ誘導完了。映像判別不能》
玲司はビル屋上から、その様子を俯瞰していた。
「3人の位置情報を“偶然”に重ねた。警察が記録映像を解析すれば、何かに気づく。あとは彼らがどう動くかだ」
この演出にはもう一つの狙いがあった。Pandora Visionの都市連携テスト――渋谷全体を一つの“錯視空間”として扱うプロトコルの実験だった。
ミネルヴァが確認する。
《渋谷センター街、道玄坂、文化村通り、忠犬広場に設置のARタワー、すべて信号受信確認。都市同期率78%。》
「次は100%だ。都市そのものを“目くらまし”にする」
玲司の目には、センター街の人々が広告映像に釘付けになりながら、知らず知らずのうちに操作される姿が映っていた。
「行動経済学は、視覚の操作で上書きできる。PandoraのARはただの娯楽じゃない、“支配の鍵”だ」
警視庁では、伊藤真理子が玲司の投資先リストを洗い直していた。
「Pandora Visionの設立資金に使われた“AIコンサルティング合同会社”。この出資者……表に出てないが、玲司の仮名と一致します」
「まさか……このAR演出、全部計算済み?」
彼女は息を呑んだ。
「情報だけじゃない。人間の“視線”まで操る気か……!」
その頃、玲司はPandoraの代表と会っていた。
「今回の投影、なかなか話題になりましたね。Twitterでも“渋谷の天使”がトレンド入りしています」
「ええ。目立てば勝ちですから。Pandoraは、渋谷に必要不可欠な視覚インフラになりますよ」
玲司は静かに笑った。
「ただの広告じゃない。これは、“都市という舞台”を作り直す一歩です」
その夜、渋谷センター街の大型ビジョンが一瞬暗転し、Pandoraのロゴとともに白い文字が浮かび上がった。
《THE CITY SEES WHAT YOU SEE》
それを見上げた通行人が、誰かに囁いた。
「まるで街に、目があるみたいだな」
玲司は、群衆の背後からその光景を見届け、ミネルヴァに最後の確認を送る。
「映像同期、都市記録への紐付けは?」
《完了。Pandora Visionによる視覚行動ログが深淵ノードへ集約中。次フェーズ名:“視覚総合制御”へ移行可能》
玲司は静かに呟いた。
「街が“目”を持った時、真実は誰が決めるのか」
それは問いであり、次の支配への序章だった。
そして、視線を制した者が、この都市の未来を握る。
第16話終わり