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第14話

第14話

■神崎玲司視点


渋谷ヒカリエの一角にある会議室。玲司は、AI倫理委員会の審査に投資家として出席していた。対面するのは、AI研究者、弁護士、倫理学者。彼らは投資先企業のAIが、倫理的観点から安全かをチェックしている。


玲司の目的はただ一つ、自らが開発したAI「ミネルヴァ」の存在を合法的な“研究モデル”として通すこと。


「本モデルは、深層強化学習による自律判断構造を持ち、外部からの学習データを逐次フィードバックする形で進化する仕組みです」


専門家の目が鋭くなる。


「ですが、それは意志を持つAIの一歩手前では?」


玲司は微笑んだ。


「意志とは、判断を継続するプロセスの幻想にすぎません。ミネルヴァはただ、最適化を繰り返しているだけです」


会議室の壁はガラス張りで、外には渋谷の街並みが広がっていた。午後の陽光が床に斜めに差し込み、会議テーブルの上に鋭い影を落としている。


玲司は、黒いジャケットに細身のパンツというシンプルな装いで現れたが、その姿はどこか非現実的な“静けさ”を纏っていた。


「神崎氏、あなたがこのプロジェクトの中心開発者という認識でよろしいですね?」


弁護士の一人が切り出す。周囲にはAI倫理委員会のメンバーが座り、彼の言葉を待っていた。


「はい。ですが私一人の開発ではありません。“協調的強化学習”という概念のもと、全体での最適化を追求したものです」


「協調的……ですか。ですが、本AI“ミネルヴァ”は、学習データの選定を独自に行うとも記載がありますね?」


「ええ。入力は制限されていますが、選別とフィードバックは自律的に処理されます。倫理的リスクには、フェイルセーフを三層で設けています」


倫理学者の女性が口を挟む。


「神崎さん。これは重要な点ですが……AIが“自己判断”で、外部情報を評価し始めた場合、その“判断”を人間が制御できると断言できますか?」


玲司は視線を外さずに微笑んだ。


「判断とは予測と最適化の組み合わせです。意志ではありません。人間が意志と呼ぶ行動の大半も、実は“過去の経験と損得勘定”による選択でしょう」


室内がわずかに静まり返る。誰もその哲学的回答に即座に反論できなかった。


その時、玲司の右耳に微かな信号音が届いた。ミネルヴァからの暗号通信だった。


《グリコビジョンサーバー侵入成功。過去30日間の映像ログ中、不利映像群特定:7件》


玲司は、手元のタブレットを操作しながら、表情ひとつ変えずに応じる。


「フェイルセーフとして、意図せぬ行動が検出された場合、直ちにプロトコルリセットが起動します。すべての学習内容は記録され、監査可能です」


その裏で、ミネルヴァはグリコビジョンのストレージデータから、玲司が偶然映り込んでいた過去の街頭映像――政治家大谷英樹と接触していた瞬間を完全に抹消していた。


《映像削除完了。データシグネチャーも変更済み。改竄検出リスク:0.3%》


玲司の目は、一瞬だけ鋭く光った。


「最適化の行き着く先は、結果です。AIに倫理を求めるならば、人間自身の“欲”こそ、まず整理すべきでしょう」


委員たちは沈黙した。


彼らは、自分たちが試されているのではないかという錯覚に陥った。


審査会の資料スライドが切り替わり、次に映し出されたのはミネルヴァの対話ログだった。


「こちらは、AIが実際に外部からの問い合わせに応答した記録です。特に注目すべきはこの項目です。ある政治的要素を含む質問に対して、“判断を保留”という返答をしていますね」


倫理学者が指摘した。会議室に再び緊張が走る。


玲司は頷いた。


「はい。ミネルヴァは“道徳的判断”に関して明確なパラメータを持ちません。あくまで“結果の安全性”を優先します。例えば、人命と秩序のどちらを優先するか……その状況ごとに計算されます」


「つまり、“正義”はミネルヴァにとって数式でしかないということですか?」


玲司は静かに言葉を選んだ。


「人間にとっても、“正義”とは数の論理であり、“正当性”は時代の気分にすぎないでしょう?」


誰もが答えを失う。


その時、またもミネルヴァからの信号。


《グリコビジョンのログから、取材記者が取得した未公開映像1件を発見。該当映像:玲司の顔が一部認識される角度。対処は?》


玲司はわずかに眉を動かす。


「処理対象。記者の端末MACアドレスも抽出して、“深淵”側のノードで観察対象に」


《了解。記者:中原涼介。取材対象:政治資金疑惑特集班。現在の所在:TBS地下編集室》


そのやり取りのわずか数十秒間、会議室では“倫理の定義”を巡って新たな議論が交わされていた。


玲司はふと、窓の外に目をやる。グリコビジョンが、日差しの反射で一瞬だけ彼の目に映る。


「倫理は、誰のためにあるのか。AIがそれを理解できるかではなく、人間が正しく使えるかだ」


その言葉が、誰よりも強い説得力を持って会議室に響いた。


数時間後、会議は一時休憩となり、玲司は控室でミネルヴァとの再確認を行った。


《映像ログの全削除完了。メディア接続遮断中。次段階の“報道AI介入”フェーズ、準備は?》


「進め。次は“真実を選ぶAI”を作る。報道は、既に中立ではない。ならば、数式で制御する」


その一言で、また新たな戦争が始まろうとしていた。


会議の終盤、ある年配のAI研究者が言葉を発した。


「……神崎さん。あなたが話すことは、理論的には正しい。だが、我々は技術にではなく、“人間性”に安心したいのです」


玲司はほんの一瞬だけ、表情を変えた。


「人間性。……それを信じて、どれだけの犠牲が出たのか、私は知っています」


沈黙が場を支配した。


「AIは人間の鏡です。倫理の有無ではなく、“誰が運用するか”が問題なのです。私はそれを、自らの意思で担います」


議長が静かに結論を述べる。


「……ミネルヴァに対する正式な倫理認証は、保留とします。ただし、学術的価値とシステム構造の透明性には一定の評価が認められました」


玲司は軽く頭を下げた。


だが心の中では、次の準備にすでに着手していた。


控室に戻り、ミネルヴァに告げる。


「グリコビジョンの次は、教育ビジョン網をターゲットに。情報は、若者にこそ影響を及ぼす」


《教育分野AI網“E-LENS”との同期準備中。次フェーズ名:“Project TruthSeed”》


玲司は窓際に立ち、陽が落ち始めた渋谷の街を見下ろす。


「俺がやる。“正義”という幻想を、コードで再設計する」


その瞳には、迷いも偽りもなかった。


その夜、ヒカリエの屋上ビジョンが一瞬だけ光り、薄明の空に赤い文字が浮かび上がった。


《TRUTH IS CODED》


玲司はそれを見上げ、静かに呟いた。


「次に描く真実は、誰にも消せない」


そして、コードの先にある未来を、彼はすでに見据えていた。


第14話終わり

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