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第10話

■神崎玲司視点


渋谷スクランブルスクエアの展望台。地上230メートルから見下ろす夜の渋谷は、玲司にとって“戦場”でもあり“研究室”でもあった。そして今、彼はそこに立っていた。


《すべてのビジョン接続確認。Q'S EYE、109フォーラム、センター街タワー、グリコビジョン、ヒカリエビジョン、Rakuten Vision、シブハチヒットビジョン。7面同時接続完了》


玲司はコートの裾を直し、手元の端末に短いコマンドを打ち込んだ。


「映せ。“3億円達成”の報告を、俺の名義で」


瞬間、7面すべてのビジョンに映し出される白い文字。


《Kanzaki Reiji — Asset Goal Achieved: ¥300,000,000》


街が一瞬だけざわめいた。誰だ、この名は? 投資家? 起業家? ハッカー? そのすべてが正解で、すべてが誤解だった。


玲司はマイクを取り出し、暗号化通信を使ってAIミネルヴァと会話する。


「卒業だ。だがこれは、始まりに過ぎない」


ミネルヴァが応える。


《祝賀モード起動。全ビジョンに“Next Stage Loading…”を表示。30秒後、109ビジョンに“Game Start”のサイン送信準備完了》


そして、その瞬間が訪れた。


109ビジョンに、真っ赤な文字で浮かび上がる――


《Game Start》


玲司は微笑んだ。


これが、彼にとっての“卒業”だった。そして、世界を変える“本当の入学式”だった。


玲司の背中には、大学の卒業式で授与されたガウンがかかっていた。その姿はまるで、未来を支配する“新しい学者”のようだった。


卒業証書はすでにカバンの中にある。彼にとってはただの形式にすぎない。だが、今日という日は決して無意味ではなかった。


「ミネルヴァ、大学での俺の成績データと研究ログ、すべて一般公開用に整えておけ。学術的実績も“武器”になる」


《了解。東京大学情報理工学部卒業生としての研究論文5件、AI開発プロトコル12項目、公開フォーマットで準備中》


玲司はビルの展望ガラス越しに、下界を見つめた。群衆、ネオン、流れる情報、広告、SNSの投稿。すべてが彼の手中にある。もはや大学生ではない。若手投資家でもない。彼は一人の“演出者”だった。


そしてその夜、かつての協力者たちが一斉に動き出した。


まず、ユーチューバーの小林カレンが、ある投稿を行う。


《新世代の投資家・神崎玲司、渋谷の全ビジョンをジャック! その正体は……!?》


フォロワーが騒ぎ始める。


「え? これって本物!?」

「スクランブル交差点で見た!」

「ハッカーか? それとも投資王子?」


続いて橘颯太がSNSに短い投稿を上げた。


《深淵、起動》


その投稿は一気に拡散され、都市伝説だった“深淵”の存在がついに可視化されたかのように錯覚させる。


三上智也は裏の掲示板にログを流す。


《“KANZAKI”の背後にあるデータ構造、解析不能。新型AIか? 裏市場で話題沸騰中》


それぞれが、玲司という男を描写する“筆”となり、渋谷というキャンバスに物語を描き始めた。


ミネルヴァが報告する。


《シンクロ7ビジョンの注目率、渋谷エリア平均視認率の12倍を記録。メディア取材依頼:19件、国会関係者アクセス:2件》


玲司は目を細めた。


「いいぞ。目立て。騒げ。俺の名前を記憶しろ。――この都市の支配者の名を」


その瞬間、109ビジョンに赤く光る文字が現れた。


《Game Start》


玲司は展望台の片隅にある非常通路から、誰にも気づかれないようにビジョンを見守っていた。暗闇の中で赤く点滅する“Game Start”の文字は、彼自身への宣告でもあった。


「始まるんだ、本当に」


その声は風に溶け、誰にも届かない。だがミネルヴァは聞いていた。


《心理状態:落ち着きと緊張の混合反応。脳波データは通常値を維持。現在の精神集中率:96.4%》


玲司は笑った。


「数字で精神を見るなよ。俺は……今、ただ、覚悟を決めただけだ」


下界では、通りすがりの人々が次々とスマートフォンをかざし、ビジョンを記録していた。そのほとんどがSNSに投稿し、次の瞬間には“拡散”という波となって渋谷の空を駆け巡る。


数分後、海外の掲示板にも話題が上がる。


『Tokyo Hacker claims city’s vision system』

『KANZAKI = next Elon Musk? Or cyber criminal?』

『“Deep Abyss” officially real?』


玲司は再び展望ガラスに手を当てた。


「俺は誰でもない。誰にもなれない。ただ、正義を選び直したかっただけだ」


卒業式では、形式的な挨拶を済ませ、壇上から静かに去った玲司。その姿を見送ったのは、藤原里奈ただ一人だった。


彼女は玲司の背にそっと呟いた。


「玲司、あんた、これからどこへ行くの?」


その問いには答えなかった。だが今、彼の心にははっきりとした行き先が見えていた。


「社会を変える。情報を支配する。その先に、答えがある」


その時、スクランブル交差点の上空で、すべてのビジョンが一瞬だけ同調した。赤、青、白、すべての色が合わさり、ただ一つの映像を形作る。


玲司の顔。その目、その意志、その存在。


だが、次の瞬間にはそれは消え、まるで幻だったかのように広告映像に戻った。


人々は騒ぎ始める。


「あれ、今の……人の顔だったよな?」

「誰かが、何かを……始めたのか?」


都市がざわめく。そのざわめきの中心に、玲司という名が刻まれた。


ミネルヴァが再び応える。


《新規タスク:Phase 2への移行準備開始。対象:情報統制拠点、仮想通貨金融網、公安データベース》


玲司は頷いた。


「卒業は通過点に過ぎない。俺はこれから、“渋谷”という仮想国家を創る」


そして、展望台の最上部、誰も立ち入れない通信管理区画に表示された最後のメッセージ。


《WELCOME TO DEEP ABYSS》


それは、誰にも知られない、真の開幕の合図だった。


玲司はその場から立ち去る前に、もう一度ミネルヴァに命じた。


「全映像記録を保管。今日の“始まり”が、未来の“答え”になる」


《映像ログ保存完了。記録名:“Reiji_Graduation_GameStart”》


背中に風を感じながら、彼はゆっくりと階段を下りていった。誰もいない高層ビルの展望台は、まるで舞台のように静まり返っていた。


だが、彼の一歩一歩が、確実に未来を刻んでいた。


「これからは、誰も知らない“深淵”の中で、生きていく」


都市は何も語らない。だが、都市に“言葉”を与えた男の物語は、今ようやく序章を終えたにすぎなかった。


遠くで深夜の列車が走る音が聞こえる。渋谷の夜はまだ終わらない。


「ミネルヴァ、忘れるな。俺たちはもう、舞台の上の観客じゃない。脚本家であり、演出家だ」


《了解。“深淵”プロトコル、次章開始まで待機中》


そうして、都市の鼓動に溶け込みながら、神崎玲司は新たなる戦いへと静かに歩み出した。


第10話終わり






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