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「廊下ですれ違う、」
昼休みの終わり、人気のない廊下で、ふたりはすれ違った。
私は資料を抱えて、彼はポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと歩いてくる。
何か話しかけようか迷ったけれど、その間に距離は詰まった。
すれ違いざま、彼が小さく笑った気がした。
そして、ほんの一瞬。
彼の指先が、私の手首をかすめた。
触れた、というにはあまりにささやかだった。
けれど、その感覚は、たしかに皮膚に残った。
そのまま、耳もとで、かすれた声。
「あとで」
たったそれだけ。
顔を向ける前に、彼はもう歩き去っていた。
誰にも気づかれないように仕掛けられた、秘密。
手首の内側、かすった場所だけが、妙に熱を持っていた。
私は手にした資料を抱きしめなおして、
呼吸を整えながら、背筋を伸ばした。
何もなかった顔で、
でも、たしかに何かを待ちながら。