欲しいもの
あたたかい何かに包まれたような感触がした。ぬくぬくとした布団の中にいるみたいで、リルカは無意識のうちに微笑んだ。
「リルカ!気が付いた?」
耳元に普段のコルアからは考えられない大きな声が聞こえ、リルカはゆっくりと瞼を開けた。
「コルア…と、先輩?」
コルアと、一緒にいた学園の一つ上の先輩が顔を覗き込んでくる。
寝起きのように頭が回らず、何が起きているのか状況が把握できない。
なぜ、コルアに抱えられているのだろうか。布団のようなあたたかさは彼の人肌の温度だったのだろうか。
コルアと先輩らしい人物は安心したように息をついた。
「目が覚めて良かった。君は車輪にぶつかりかけたんだよ。衝突する直前に通りすがりの男の人に助けられたんだ」
意識がはっきりしてきた。そういえば、大きな車輪がリルカに近づいてきたのだった。
避けることもできず、目をぎゅっと閉じて視界が真っ暗になった後の記憶がない。
周りを見渡せば車には人が集まっており、車輪は建物にぶつかったようで、破片は転がり辺りに散らばっていた。
「いやー、それにしてもベネフィット嬢が無事で良かったよ。コルアがすっごく心配してたし。コルアを呼び止めた俺のせいでこんな目に遭ってしまったと思って…」
学園の先輩が腕を顔に当て、本当によかったと何度も繰り返す。その度に「先輩のせいではないですよ」とコルアが慰めていた。
よくよく考えると、リルカはコルアに抱きしめられている状態で、今も背中に彼の温度を感じる。
…意識するとなんだか恥ずかしくなってきた。
「あ、リルカ。急に起き上がらない方がいいよ」
「全然!もう大丈夫よ!」
思いっきり腹に力を入れて起き上がったが、頭はまだふらついた。
「そう?あまり無理しないでね」
コルアの気遣いに、急に頬が熱く感じ、適当に返事をした。
視線を彷徨わせていると、学園の先輩が何やらニヤニヤした表情で2人を見ていたので、睨むような目線で黙らせた。
「まあ、ベネフィット嬢も大丈夫そうだし、俺はもう行くわ。通りすがりの助っ人も、とっくにいないしな」
「ええ、ありがとうございました」
去っていく先輩を、リルカはふらつきながらも立ち上がって見送った。
「通りすがりの男性はそんなに急いでいたの?」
「そのことなんだけど、」
先輩がいたから言いにくかったんだけど、と言いにくそうな表情でコルアは続けた。
「リルカを助けた人は、夫人と一緒にいたあの眼鏡の男性だったんだ」
リルカは予想外の人物に、驚きの声を上げた。
その男性は、リルカが車輪にぶつかる直前に現れた。
リルカを庇うように飛び出し、そのままリルカを抱えて地面に着地したという。
「あの人がいなければ、リルカは無事ではなかったんだけど。夫人絡みで、同じような状況が続くと不信になるよ」
「夫人の差し金で来たのかしら」
「どうだろう。それに今回の事故にも、もしかしたら関わっているのかもしれない」
「どういうこと?」
「あの車輪の脱落も、もしかしたら夫人の仕業かもしれないってことだよ」
驚いてコルアを見ると、いくらか険のある目をしていた。リルカの視線に気づき、大げさに肩をすくめる。
「まあ、証拠があるわけじゃないから確証はないんだけど、こうも引っかかるところがあるとね」
「夫人が、こんなまどろっこしいことするかしら」
劇場で夫人はまっすぐな目で、リルカを見据えてきた。リルカを貶めようとするなら、正々堂々やってくるのではないかとリルカは思う。
考え込むリルカに、何言ってるの、と呆れた声がかけられる。
「支援金の疑いがあることを忘れたの?」
「…そうだけど。」
でも、と納得できないよう子どもの様な顔でつぶやく。
「伯爵との間にあったことは私には分からない。それでも、夫人は私のような敵に対して卑怯な真似はしてこないと思う」
コルアはひどく困った顔をし、頭をかいた。
お目当ての屋敷の人物は相変わらず不在だった。戻ってくるまで待つつもりでいたが、もうすぐ戻るだろうと使用人に以前も訪れた部屋に案内される。
リルカを家まで送り届けた後、コルアはルイス卿の屋敷に、1人戻ってきた。どうしても聞きたいことがあったからだ。
メイドに出された紅茶も完全に冷めた頃に、扉が開かれた。
「――リルカは無事か?」
眉をわずかに上げながら、リルカの様子を訊ねてくる。そのわざとらしさにため息を吐いた。
聞かなくても知ってるだろう。なにせ相手は国内有数の情報通なのだから。
「あなたは何を考えているのですか?」
いつもより険のある物言いのコルアに、ルイス卿は不思議そうな表情をする。
「知っていたでしょう。夫人が伯爵に支援金を送ったことも、伯爵たちが動き出す前のことも。あなたならその前に対処できたはずだ」
表情を変えない相手に、コルアの不満は高まっていく。最初の誘拐未遂事件で彼は事件を調査してくれた。仲介人は死亡し、依頼主は未だ調査中だと言っていた。
「僕たちが伯爵や買収騒動について聞きまわっていたこともご存じでしょう。その時に知ったのですが、誘拐未遂事件の仲介人のディルド・グレイは夫人と噂になっていたうちの1人らしいですね」
この事はリルカには共有していない。コルアが独自に調べている時に知ったことだからだ。
「ディルド・グレイは事件の数日前に消されているとあなたは言った。これは僕の憶測ですが、」
コルアは目の前の美しい男をみつめた。精悍な顔立ちの彼は、出会ったころと相変わらず何を考えているのか分からない。
「誘拐未遂事件の依頼主の夫人を庇うために、あなたが仲介人を消したのでは?」
夫人の目に余る行動は制限しようとすれば、彼にはできたはずだ。なのに、そうしないのは身内のことだからかまた別の事情があるのか。
ルイス卿にとって、もはや夫人の存在は足手まといとなっていると言っても過言ではないのに、だ。
買収騒動で多忙であるはずの男は、やつれた様子もなく以前と変わらない様子だ。
肩肘を膝につき、男はにっこりと笑みを作った。
「なるほどな。確かにそう言われても仕方ない」
「あなたは…!」
「けど、依頼主はあいつじゃない。そんな度胸もないし、あいつの実家の目も厳しいしな」
…それは仲介人については肯定していることにならないか。
訝しげなコルアに、苦笑する。
「お前は俺に対して最初から厳しいな。俺だって誘拐未遂や車の事故は知らなかったんだぞ」
「なら!どうして対処できることに、何もしないでいるのですか!?」
コルアの不満は募り、我慢の限界を迎えていた。
普段は感情を露にしないコルアが憮然たる表情を浮かべる。
「――欲しいものがあるんだよ」
釈然としない面持ちで真正面の男を見る。彼の視線は、コルアの向こうの、もっと遠くを見つめているようだ。
「欲しいもの?」
「ああ、どうしても欲しいものが」
穏やかな口調とは裏腹に、視線はだんだんと獲物を狙う狩人のように鋭くなっていく。
「そのために悲しむ人が現れても、ですか」
「はは。お前はリルカが巻き込まれてることが相当気に入らないみたいだな。俺もあいつを巻き込むつもりはなかったんだけどな」
それについては予想外だとぼやく彼に、コルアはなぜか腹の立つ思いがした。
「恩人であるあなたの危機に、リルカが黙って見過ごすわけないでしょう」
一瞬驚いた表情をしたが、コルアの顔を見て薄ら笑う。
「なんですか」
「いや、気づいてないならいい。」
居心地悪く感じるコルアに、それに、と笑みを深くした。
「リルカの持ってるものも、俺の欲しいものの1つであることに変わりないしな」
「ちょっと!」
「なんとでも言え。俺は欲深なんだ。本当に欲しいものは何としてでも手に入れる」
立ち上がり部屋を去ろうとする男が、コルアはどうしても気に食わなかった。
「そうだ。コルア、これリルカに渡しておけよ」
受け取った書類が何なのかを理解し、眉間の山脈がさらに険しくなる。
「あなたは、ほんとに…」
「大事なものだ。ちゃんと渡せよ」
騒動のことなど全く問題ないではないか、と正しく理解したコルアは書類を破り捨てたくなった。
やり場のない苛立ちを抱えながら、ルイス卿の屋敷の玄関に向かっていた。
あんな男のどこがいいんだろうか、とリルカの事を思い浮かべ首を捻っていた。
その時だった。
廊下で呼び止められ、振り向いた。
呼び止められた相手から、そこで意外なことを耳にするのだった。
カオス…!な感じですが、もうちょっとです!(色々)
たくさんの方に呼んでいただき、ありがとうございます(^^)