初恋の相手
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ルイス卿はリルカの姉と同じ学園の同級生だった。リルカとルイス卿が初めて会ったのは、初めてパーティーに参加した時だ。姉の元へ挨拶に来ていた人の1人が、ルイス卿だった。
ひと目見た瞬間、なんて素敵な人なんだろうと憧れの感情を抱いていたが、希望はすぐ打ち砕かれた。「今日は婚約者が来ていない」と、姉との会話で婚約している事が分かったからだ。
婚約者も、姉やルイス卿と同じ学年らしいが、詳しくは知らない。夢破れたリルカは半ば放心状態で、その後もルイス卿についての噂は聞く耳を持たなかった。
最後にルイス卿に会ったのは、彼が結婚する直前だったと思う。
町でばったり会った彼と、どうしても話したくて、立ち話をした。彼も、リルカとは折に触れて会っていたので邪険にはしなかった。
その時も、思いを抱きながら話しかけて婚約者に悪いだろうかと、リルカは考えていた。
「見えまして?ベネフィット嬢はまたキルテット様と一緒みたいですわ」
学園の図書室。勉強会の復習をしようとコルアを連れて席に着いた途端、読書をしているはずの令嬢たちの会話が聞こえた。思わずそちらを睨みつければ、令嬢たちは驚いた顔をして、読書に戻った。
「リルカ。やり過ぎだよ」
小声で嗜められたが、コルアの顔は笑っていた。
「神聖な図書館での勉強を、邪魔しないで欲しいわ」
ノートを取り出し復習しながら、お互いの家の事業についても小声で報告し合う。コルアの家も領地経営があるので、ルイス卿の勉強会は互いにとって有益なものだ。
復習をしていたらまた近くの令嬢たちの話が聞こえてきた。
「そういえばお聞きになりまして?ルイス卿の奥方さまの事」
「ああ、あの滅多に表に出てこないお方?」
聞こえてきたのはルイス卿の事だった。
「なんでも。奥さまが男性と町で歩いているのを見かけた方がいるんですって。」
え?、とリルカの心を置き去りに、令嬢たちの会話は止まらない。
「それは事実ですの?」
「詳しくは分かりませんが、何人かの方とお会いになってたとか」
図書館で小さな悲鳴が上がる。
「あのルイス卿を差し置いて別の殿方とお会いになるなんて」
「でも元々夫婦仲がそれほど良くないと聞いてましたものね」
「ルイス卿でなく、まさか奥方さまの方からとは」
「こら、あなたたち!」
騒ぎすぎたようで、令嬢たちは司書さんから注意が飛んだ。
会話の内容に頭が真っ白になったリルカは、荷物をまとめて席を立っていた。
リルカ、とコルアが呼ぶ声も聞こえないまま歩き出した。
「リルカ!ちょっと待ってよ」
人通りの多い道を一心不乱に歩くリルカを追うコルア。人が多くて、追いかけるのもやっとの道だったが、交差点でリルカが立ち停まったお陰で、ようやく追いついた。
「リルカ、」
「さっきのってほんと?」
振り返ったリルカの顔は真っ青だった。黙って立ち止まってしまったコルアに詰め寄った。
「さっきの噂って嘘だよね」
半ば泣きそうになっているリルカに、コルアは何と言えばいいのか分からなくなった。
深く息を吐いて、リルカの両肩に手を置いた。
「リルカ、落ち着いて。あくまで噂だから」
「そんなことあるはずないじゃない!ルイスさまに対する侮辱だわ!」
「リルカ」
「どうしてコルアは否定しないのよ!」
リルカの悲鳴のような声に、ため息を吐いた。こうなったリルカはしばらく誰の言う事も聞かない。噂だから確証もないだろう、と言っても嫌々と言われるだけだ。
「わたし絶対信じない!だって…」
「おいお前。」
突然割り込んだ声に振り返れば柄の悪い3人組の男たちが立っていた。コルアはリルカの前に立ち、男たちの視線を妨げようとした。
「なんですか?突然」
「お前だろ。ベネフィット家の令嬢ってのは」
柄の悪い男に言い当てられ戸惑う。何か探られるような心当たりもリルカにはない。
「そうだったら、何か御用でもあるのですか」
「そいつの家の経営が最近上手く行きだしちまってな。そうなると困る所も出てくるんだわ。折角経営が破綻しかけてくれたってのに」
「え?」
「つーわけで。ちょっくらお嬢ちゃんには用ができちまったのよ。坊ちゃんには用がないから、引っ込んでてくれ」
「何言ってるんだ!そんな事させるわけにはいかないだろう!」
「うるせえなあ。ちょっと黙ってろっ!」
男が右手を振り上げたと思ったら、一瞬の間にコルアが殴られ、倒れこんでいた。
「コルア!」
叫ぶと同時にリルカの腕を掴まれ、気づけば男の肩に抱え込まれていた。
「離して!」
「リルカ!おい…離せ!」
コルアは殴られた頬を摩りながら、リルカを抱えた男に掴みかかるが、他の男に蹴り飛ばされる。その拍子にコルアの鞄も地面に落ち、荷物が通りに散らばった。
「コルアッ!この…!離して!」
リルカも必死に腕の中で暴れる。「大人しくしてろやっ」と男の怒声が響く。
「なんだ、誘拐騒ぎか!」
町中も騒ぎになり始め、人が集まり始める。男たちが大きく舌打ちをした。
「おい。予定通り、令嬢は回収した。ずらかるぞ。」
「おい、待て!」
「待ちなさい」
凛とした声が響くと同時に、リルカは男の腕から解放された。地に足が着いた途端、負傷したコルアに駆け寄ると、コルアは呆けた顔をしていた。
コルアの視線を追いかけると、真っ黒な服に身を包んだ何処ぞのご婦人が、侍女を連れて佇んでいた。鍔の広い帽子に、大きな扇を広げていて、顔はよく見えない。しかし、佇まいから美しい雰囲気を醸し出していた。
殴打する音で後ろに振り返ると、男たちは地に伏していた。中央には紳士服に身を包んだ男が手を叩いて立っている。リルカが気づかないうちに、ならず者たちを打ちのめしたのだろうか。
紳士服の男はリルカたちに気づき、近づいてきた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。ありがとうございます」
「顔がだいぶ腫れてますね。蹴られた所も含めて、一度見てもらった方がいいでしょう」
ここに行くとすぐ見てもらえますよ、とポケットからペンと紙を取り出し、行き先を書いて渡してくれる。男は眼鏡をかけているが、首元から鼻先までは灰色の布を被っていて顔が分からないようになっていた。
どこか遠くから、「誘拐犯は何処だ」と警官の叫び声が聞こえてきた。
「ではこれで。これから気をつけてくださいね」
そう言うな否や、紳士服の男は、歩き出した婦人を追いかけていった。
ーーその時。
不意に振り返った婦人とリルカは目が合った。
扇の間から見えた瞳は、美しい緑色をしていた。