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結婚生活2

過去遍の最後です。


 「リルカ。今日はもう帰ってすぐ寝た方がいいよ」

 「うーん……」

 ルイス卿の屋敷からの帰り道、2人の顔には揃って、目の下にべっとりとクマがついている。

 「昨日は夫人の別邸からの帰りが遅かっただろう。君の弟も疲れているんじゃない?」

 「あの子は出てくる時までぐっすり寝てたから大丈夫よ。付き合わせて申し訳なかったとは思うけど」

 「姉を守ろうと気を張ってたのだろう。僕もまさか本当に出てくるとは思わなかったよ」

 昨夜、リルカが夫人の屋敷の前で待ち伏せしていた時、コルアとリルカの弟も物陰に隠れていたのだ。一度コルアと別れて屋敷から帰宅した後、コルアには黙った上で弟にお願いし、暗くなってから再度夫人の屋敷に向かおうとした。ところが、リルカたちの家の前で待ち伏せしていたコルアに見つかり、3人で別邸に行く羽目になったのだった。

 「コルアも鼻が利くわよね。感心するほど…」

 「それは褒めてるのかな。貶してる?」

 「褒めてるのよ。車まで用意してくれてたし」

 「夜道は危ないだろう。それより、ルイス卿は書類を持って出ていったけど、夫人はどうなるだろう…」

 「ああ、きっと大丈夫よ」

 リルカがやけに確信を持って言い切るので、コルアが不思議そうに顔を見る。

 「だって夫人はーー」



---



 伯爵とカフェで遭遇した後、ハルはゲスロルド伯爵や噂の尽きない実業家の男たちと会うようになった。侍女や執事長には止められたが、出歩くときはお供を連れていくことを条件に渋々引き下がらせた。

 ハルは男慣れしていなかったので、立ち回りに不安を抱えていたが、面識がない相手でも「二人きりで話をしたい」と伝えれば、大体の男が乗ってきた。身分はあるのに夫に黙って出歩く喪服のような漆黒を身に纏う女となれば、男たちは口が軽くなるのか、聞いてもいない話をしてくれる。侍女や執事長にいい顔はされなかったが、一見口の堅そうな相手でも2人だけの空間で、夫と別れることを仄めかして話せば、()()()()もしてくれた。遠回しにハル自身を強請られることもあったが、手を握って「夫と別れてから」、と伝えれば諦めてくれる。上手くいきすぎて不思議に思いながら、順調に実業家や情報通、貴族と様々な男に会っていった。

 骨が折れたのはゲスロルド伯爵だ。彼は表には出ていないところで()()()()()()()を多くしていたが、証拠がつかめなかった。他の男のように、水を向けても上手く話を逸らされる。それでも、ベネフィット家のリルカの名前は頻繁に出てくるので、執着があるのは明らかだった。


 別の男と密会の帰り道、大通りを歩いているところだった。少し時間が押してしまい、早く帰らないと子どものお昼寝が終わってしまうので、急いでいた。侍女や執事長を伴い、交差点を渡ろうとしたところだった。

 大きな悲鳴が聞こえ、何事かと思えば、学生らしき男女が柄の悪い男たちに絡まれていた。男の子は2人がかりで殴られていて、女の子は抵抗しているが男の肩に担がれ、身動きが取れないでいる。

 紳士服を着た執事長に視線を向ければ、頷いて男たちに向かっていく。ハルも扇を取り出し、男たちにゆっくりと向かった。傍らの侍女も黙ってハルの後ろからついてくる。

 「待ちなさい」

 解放された男女が地面に膝をつく。男の子はよく見れば、貴族出身の子だったので見知った顔だった。

 暴行していた男たちをあっという間に片づけた執事長は、怪我をした学生達に診療所で診てもらうよう勧めていた。遠くから警官がやってくるところが見えたので、さっさと離れようとすると、足元に落ちているものに気がついた。

 執事長が歩き出したハルたちを追いかけてくる足音が聞こえ、不意に振り返ってみれば、女学生はベネフィット家のあの少女だった。


 数日後、執事長経由でその後の彼らについて報告を受けた。身体に異常はないことに安堵するが、あの2人が夫から経営を直接学んでいると聞いて耳を疑った。仕事以外は無精なのに何故、と思ったが、ベネフィット家のあの少女が関わっているのだ。それは精力的にもなるだろう。ハルはあの日以降、彼とは会っていない。しかし、この行動がきっとあのときの答えなのだ。

 彼は手に入れたくてたまらないものがあるのだからーー


 伯爵に舞台を誘われ、数年ぶりに劇場に足を運んだ。ハルの好きな劇作家による作品で、婚約者時代に彼と出向いた以来だった。彼もあの劇作家が好きだったので、よく一緒に見に行ったと懐かしむ。

 伯爵の手を借り、劇場に入ると案内されたのは伯爵のボックス席だった。2人だけの空間で内密の話をするには丁度いい。

 「伯爵にしかお話しできないことがあるのですが…」

 まわりを気にするような素振りを見せれば、伯爵は大げさに言ってくる。

 「大丈夫です。舞台が始まってしまえば、聞かれる心配はございませんよ。もちろん、幕があがる前でもこの席なら」

 問題ないでしょう、とここだけの話がよほど気になるようで、気味の悪い笑みを見せた。

 「それなら…。実は夫が、私に内緒でベネフィット嬢に()()()()をしているようでして…」

 「…なんですと」

 伯爵の目の色が変わった。いいように勘違いしてくれてるようだ。

 「伯爵は前からあの子を気にかけていらしたでしょう?ですので、なにか()()()ではないかと思いまして…」

 「ご存じ、とは………?」

 「私、悔しくて。夫とは形だけの夫婦ですが、いとも簡単に若い娘の虜になってしまったことが…。なんとかしたいと思ってますの」

 「夫人のお気持ち…よく分かります。私もあれだけ気にかけていたベネフィット嬢が、まさか」

 やはりあの時、成功していれば、という小声を、ハルは聞き逃さなかった。

 「伯爵、もしやベネフィット嬢に何か…?私に教えてくださいませんか?」

 狼狽え出す伯爵にハルは畳みかけるように、提案する。

 「私たちは、もしかしたら同じ目的をお持ちかもしれませんよ。良ければ私のお話も聞いていただきたいわ」

 舞台では、恋人に振り向いてもらえない女性が恋について悲しげに語っていた。婚約者時代に彼と何度も出向いた舞台。ハルは諳んじられる自信があるほどの作品をほとんど見ることなく、伯爵の話に聞き入った。


 帰り際にベネフィット嬢たちと鉢合わせるという騒動にあったが、顔を合わせてみると、想像以上にベネフィット嬢は勇ましい女性だった。こちらの含みのある言葉に、真摯に立ち向かってくる。おまけに自らが経営に関わろうとする向上心が、時代を切り開いていく逞しさを感じさせた。やっぱり最初からあの子だったら良かったのに、と今更ながらに胸の痛みを感じた。

 観劇中の密談により、劇場からの帰りに伯爵の屋敷に寄ることになった。あれほど難関だと思っていた伯爵の部屋にすんなり入ることができ、緊張で手のひらが汗ばむ。

 伯爵から聞き出したことによると、ベネフィット嬢たちの誘拐未遂はやはり伯爵の差し金らしい。仲介人に依頼したとのことだったが、驚いたことにその仲介人はハルが情報を聞き出そうと出会っていた男の一人だった。仲介も行っていたディルド・グレイ曰く、ルイス家の事業買収を企むのは伯爵関連の実業家と聞いていたので、伯爵に事業買収に一枚噛ませてくれと伝えると、喜んで部屋に招いてくれた。

 買収の協力条件である支援金の話の終わりが見えた頃、買収に関わる実業家の一覧と彼らの実績を改めて見たいと言うと、伯爵は資料を取りに部屋から出ていった。

 伯爵が不在になるやいなや、部屋を見回し、()()()()の隠し場所を探る。ハルも将来は実業家の家に嫁ぐのだからと、花嫁修業では実業家でなくても使()()()()()()も教えられていた。おそらく伯爵も見える場所には隠さないだろうと当たりをつけて、執務机の後ろにある小さめの本棚に近寄り、力を入れて棚を引っ張る。すると本棚の奥には仕分けされた書類が丁寧に並べられていた。

 部屋の灯りが小さく、棚の奥は見えにくいが、仕分けされた書類の中でひと際触れた形跡の少ない書類を手に取った。数枚捲って、確信する。これは()()()だ。

 手早く書類を懐に仕舞い、棚を元に戻す。戻ってきた伯爵は何も疑念を抱いていないようで、ソファーの隣に座り、茶を勧めてきたが、夫がやってくるかもしれないと伝えれば渋々屋敷に帰してもらえた。

 

 屋敷に帰ると、日はとっくに沈み、大人でも寝静まる時間帯なのに息子が待っていた。涙を浮かべている様子に胸が締め付けられる。我が子にこんな不安を抱かせていたのかと罪悪感で手が震えた。

 「おかあさま、どこにいってたの?」

 「ごめんなさい。少し用があって…。眠れなかったの?」

 「おかあさま、いっしょにねてくれないから。おとうさまのところにいったらおかあさまとまたあえなくなる」

 会いに来るな、と言ってから彼は別邸を訪れていない。それでは父子どちらも可哀想だと思い、泊りがけで本邸に行かせることもあった。

 もしかしたら、これからはそれは日常になるかもしれないと思ったから。

 「おかあさま」

 不安げに眉を寄せながら抱きついてくる。甘えるように胸に顔を埋め、心配するような口調で言う。

 「どこにもいったりしない?」

 「……え?」

 「やだよ、ぼく。おかあさまがいなくちゃやだ」

 「…いかないわ」

 今は、と言い訳のように心の中でつぶやく。

 胸で泣きながら癇癪を起こす息子を抱きながら、祖母と話したことを思い出した。



---



 ルイス家の屋敷から祖母を見舞いに、実家を訪れたときの事だ。

 ひと月も離れていないのに祖母の姿は一変していたのだ。祖母は高齢でも威厳があり、婦人特有の美しさを持ち、たとえ寝台の上であろうと昂然と胸を張って見舞い客と接していた。そんな威信のあった祖母は、身体中が茶色に染まり、あまりに瘦せ衰えていて別人と思うほどだった。

 呆然として部屋の入口から動けずにいたハルに気づいて、瞼をあける。口元を緩ませながらこちらに来るように言い、寝台に寄ったハルの手を取る。

 「新婚はどう?」

 「……上手くいっているとは言えないけど」

 「そう。あの時は酷なことを言ってしまったね」

 あの時とはどの時だ、と思い当たることは多すぎたが黙っていた。

 「結婚できないと言ってきたことを覚えてる?」

 祖母が逆上した時のことだ。ハルの手を握る祖母の、皺皺の手に力が籠もる。

 「私たち女性はどんな身分だろうと、身売りのように男にあてがわれ、子を産み、一生を相手の都合で過ごす。身分があっても、娼婦との違いなんて相手をした人数の差だけの場合もある。生まれながらの差別を抱えて生きていく」

 高貴な祖母から品のない台詞など初めて聞いた。

 「それでも身分という武器があるだけで幸運に恵まれることも多いかもしれない。あの人と一緒になった私のように。」

 祖父の事だろう。祖母がハルに向かって微笑んだ。

 「お前も同じだよ。生まれながらの貴族。でも、お前はその幸運の原石を捨てようとした。自分の誇りと想いの為に。私はその事が許せなかったよ。私には選べなかったからね。でも、時代は変わる」

 ハルの手を持ち上げ、両手で握り直した。

 「これから時代は進む。女性だろうと貴族だろうとお構いなしにすべて概念が変わっていくだろう。時間はかかるかもしれないが、お前にも()()()()()。結婚という関門を突破したんだ。私も長くないから、もう、好きになさい」

 ユーデルに散々いわれてしまってね、と尊い一族のお方のことを話し、ハルに謝罪した。

 「ただし、一時でも情を交わした相手にただ別れてください、なんて。関係ないとはいえ、名家の名が泣く。私の孫なのだから、自分で始末をつけなさい。その始末で一時、相手を傷つけることがあろうと構わない。」

 祖母らしい、激励だ。名家と縁続きになれば、その実業家に対し他の貴族は寛容になる。裏を返せば、名家と縁が無くなった途端、手のひらを返すかのように潰しにかかる。今の時代はまだ不平等だ。

 静かに涙を流すハルに向かって、同じ翠玉のような瞳を細ませる。

 「有終の美を飾りなさい」







夫人(ハル)はお嬢様育ちですが、祖母の躾の賜物と天賦の才で一撃で男性を落とせる設定があります。

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