表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

1度目の失敗


 物心ついた時から2人は幼馴染であり、婚約者同士だった。

 夫人ことハルカ・V・ルイスーーハルの実家は古くからの名門であり、祖母は貴族の中でも高貴な出自であったため、絶大な影響力を持っていた。一方、ルイス家は資本家として膨大な財産を所有していたため、彼女は名門の家格を維持するため、ルイス家と縁続きになることを求められた。

 幼い頃から一緒にいる彼と結婚することは、ハルにとって当然のことだと思っていた。婚約する前から互いの家を行き来し、幼いながらに一方的な将来の約束をするくらいには、好ましく思っていたからだ。

 状況が変化したのは学園に入学したあたりだ。当時病床に伏していた実家の祖母が、事あるごとに結婚を急かしていた。経済の発展により、貴族であろうと財力がなく没落に至る事例も度々あった。名家の没落を耳にしたことで危惧したのだろう。生まれながらに尊い一族であった祖母は貴族の衰退など許せるものではなかった。早急に婚姻を結ぶことで、体面と自らの自尊心を保とうとしたのだ。

 その頃からハルも不安に駆られるようになった。思い返せば自分が一方的な思いを抱いているだけで、彼の態度から自分をなんとも思ってはいないのではないかと考えるようになり、ひどく胸を搔き回された。学園で友人となったベネフィット家の長女には「マリッジブルーなだけだ」と一蹴されたが、それは勇ましく美しい彼女だから言えることだと思った。彼に会う度にそれとなく訊ねても芳しい回答は得られなかった。不安が募り、彼の前で笑うことも減った。

 

 そんな気がかりをハルは“現実”と認識する場面に遭遇する。

 ハルがちょうど彼の誕生日を祝うため、侍女と町を出歩いた時だった。年頃になってからは、毎年、誕生日にケーキを作ってあげることが恒例化していた。もうすぐ結婚が迫っていたこともあり、毎年酷評されているが年々上達していたので、その年はより一層力を入れ作る予定だった。そのための買い出しの帰り道での出来事である。

 雨の日だった。食材やプレゼントが濡れてはいけないからと、雨の中、侍女が車を呼びに行き、ハルは店の外の軒下で雨宿りしていた。なかなか止まない雨を何気なく眺めていたら、通りの一軒の店から彼が出てきたことに気づいた。

 少し遠くの店だったので、彼は気づいていない。その上、傘も持っていないようだった。車で送ってあげようと思い、傘をさし、途中通行人にぶつかりそうになりながらも、小走りで駆け寄ろうとした。

 彼は革の鞄を傘代わりにして、店の軒下から出ようとしていた。その時、黄色い傘を差した少女が駆け寄る。

 ハルはその少女に気づき、足を止めていた。少女を写真で見たことがある。それは友人の、ベネフィット嬢の妹だった。

 足を止めているハルに気づかず2人は談笑していた。少女の紅潮している顔を見れば、彼に思いを抱いているとすぐわかった。

 少女と話す彼を見て、驚いた。彼は、ハルが見たことのない笑顔で、少女と向き合っていた。

 長い付き合いではあるが、ハルは彼のちゃんと笑った姿はほとんど見たことはなかった。ハルと一緒の彼は、いつもどうでも良さげな顔やぼんやり気の抜けた顔で、笑顔といえば不敵な笑みか背筋が凍るような笑みがもっぱらだった。

 (――そんな顔もできるんじゃない)

 傘を持ってない彼に少女は一緒に入るように勧め、彼も最初は遠慮していたが、何やら頷き、同じ傘に入り歩き出した。

 一連の流れを、まるで舞台を観るかのような気持ちで見ていたハルは、侍女に呼ばれるまでその場から動けなかった。


 屋敷に帰ると、ちょうど祖母に呼ばれた。ハルは部屋に入るなり、学園を卒業したらすぐに結婚するよう言われた。貴族の立場や家柄について延々と話す祖母を眺めながら、ハルはもう限界だと思った。気づけば、祖母に彼との結婚は難しいかもしれない、と漏らしていた。

 あの絶叫に近い祖母の声は忘れられない。ハルの言葉を聞いた途端、両親を呼んで、今すぐ婚姻の準備を進めろと言った。

 取り乱す祖母を両親は宥めるが、祖母はハルにこの婚姻がいかに大切であるかを、半ば叫びながら説いた。婚約破棄なぞすればルイス家に危害を加える、と言ってきた。祖母の力を思えばそれも容易だろう。いつの間にかハルの瞳からは涙が流れていた。


 その後は慌ただしくも、学園を卒業したハルの心情もお構いなしに、両親とルイス家により準備が進められ、婚姻の日がやってきた。

 結婚式は盛大なもので、学園の友人たちはもちろん、大半が両親やルイス家の関係者で新聞を騒がせる著名人らが多数参列していた。

 この日の為に仕立て上げられたドレスは光加減で白の輝きが変化する、ハルの美しさをより引き立てるものだった。そんな華麗なドレスを纏っても、ハルの心は晴れなかった。

 式の当日も、両親から心配の気配を感じ取っていたが、大丈夫と伝えていた。

 ハルは、既に覚悟を決めていたのだ。――この結婚をどうやり過ごすかを。


 式は滞りなく進み、新郎新婦は披露宴を早めに抜け出し、ルイス家の寝室に下がった。

 ハルはこれからルイス家の所有する王都の屋敷に夫婦で生活する。この結婚を機にルイス家は世襲を行い、彼が当主となった。先代たちはこの機に田舎に引っ込む予定なので、屋敷の中は新婚夫婦だけだった。

 寝室の扉を前に、寝間着姿のハルは、手にある物を握っていた。

 彼はきっと、この結婚は業務の一環と同じように捉えているだろう。基本的に面倒臭そうにしているが、たまに意地悪を言ってきたり、人の失敗を鼻で笑ったりもする、そんな彼も、恋し、愛おしいと思う相手がいる可能性があるのだ。もしかしたら、自分の想いに気づいてさえいないかもしれない。


 ()()()()を目撃してから、ハルは、彼と本当の夫婦にならないと決めていた。


 祖母と衝突したあの後、ハルは涙が枯れるほど泣いた。部屋で一人悲嘆に暮れるハルを心配する両親にも、結婚を嫌がる本当の理由は伝えていない。ただ両親からは、祖母の建前、婚約破棄することはできないが、もしも、本当に、結婚生活を続けることが難しいなら、離婚してもいいと言われていた。

 数年は、頑張ってほしい。夫婦は時間をかけて歩み寄り、互いを理解するものだから、と母に説得された。

 寝室に入ったら、彼に、白い結婚を提案するつもりだ。ハルの心情も祖母の激昂についても、彼に話していないし、話すつもりもない。彼のことだから夜の相手には事欠かないだろうし、住まいを分ければ問題ないだろう。

 手に持っているのは、侍女に用意してもらった安眠作用のある薬で、大変な事態になったときのための保険だ。お酒に一滴垂らすだけで効果があるという。

 瓶を胸の前で握りしめ、扉をノックし、寝室に足を踏み入れる。

 中に入ると、彼は既に寝台で横になっていた。緊張でどうにかなりそうだったが、拍子抜けした。寝台に近寄れば、彼も寝間着姿で、布団もかぶらずに眠っていた。

 この様子なら薬を使わなくても大丈夫そうだと、疲れもあったので、今日だけと寝台に腰を下す。

 ハルが布団を掛けてあげようとすると、彼が身じろぎをし、目を開けた。その途端、ハルは焦り始めた。

 「あ…起こしちゃった?」

 「………」

 こちらを向いているが、視点が定まらない。寝起きで状況がよく分かっていないのだろう。

 この隙にもう一度寝てしまえ、と布団をかけ一方的におやすみの挨拶をする。

 「今日は疲れちゃったわね。お疲れ様。ゆっくり休んで良い夢見てね」

 「夢…?」

 頭を撫でると自然と笑みが浮かんでいた。付き合いが長くても、こんな隙だらけな彼を見るのは久々だった。――きっと、彼のお相手はこんな彼の姿をたくさんみるだろうけど。

 今度こそ休もうと、引っ込めようとした手に、彼の手が重なった。

 え?と思った次の瞬間、力強く引き寄せられ、気づけば彼の腕の中にいた。

 「ああ、なんだ…」

 顔を片手で固定され、身動きが取れなかった。――そこには、いつもの彼はいなかった。

 「ようやくだ……やっと」

 あの時、少女の前ですらこんな顔をしていなかった。嬉しそうな、夢見る瞳で見つめてくる。

 別の人だと言いたかった。あなたが本当に想う人は違うでしょ、と言うべきだった。

 でも、言えなかった。ハルは何もできなかった。


 この人の愛を受ける人物が、羨ましくて、ずっと妬ましかったから。

 焦がれるような顔で笑う彼に抵抗できなかった。


 それが、大きな過ち。彼女の1度目の失敗だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ