二十三夜/有明
高校卒業の時が迫っていた。クラス分けでは就職コースを選んだ私だが、時期が悪かった。
就職氷河期。景気の好転を期待し、ひとまず進学して猶予期間を得ようとする生徒も少なくなかった。
さして裕福でもなく、きょうだいも抱えた我が家には、私を大学へ送り出すだけの余裕はない。成績も考慮すると、私に許された進路は地元の短大、もしくは隣県の専門学校が妥当だった。
何をどう間違ったのか、私はそのどちらでもない、地元の情報専門学校に進学した。ただ、実家から通うには距離があったので、学校近くにアパートを借りることになった。初めての一人暮らしだった。
専門学校では、男子を含めた同じ班の学生たちと仲良くなった。私からは何のアプローチもしていない。私の他にもう一人いた女子がとても積極的で、彼女が中心となってグループをまとめ上げていた。
男子のうち一人が、その女子に気がある素振りを見せていたが、進展があった様子はない。彼女は頻繁に私と行動を共にしたがり、実際一緒にいる時間も多かった。おかげで私は在学中、他に友人を作る暇がなかった。
ちなみに、私は彼女に対して恋愛感情は一切湧かなかった。
彼女には本屋のバイトに誘われた。やはり私にとって人生初のアルバイトだった。
彼女は私よりもはるかに仕事ができた。明らかに書店でのバイト経験がある。私はこの段階になってようやく察した。この女は鈍くさい私を出しに使って、自分の優秀さをひけらかすつもりなのだと。人付き合いを疎かにしてきたせいで、こんな悪意にも気が付けなかった。
かといって、要領の悪い私には関係を覆せるわけもなく、自分にできる仕事をこなすしかなかった。接客経験は後の役には立った。そのことだけは、あの女にも感謝している。
ちなみに、私は結局そのバイトを卒業間際まで続けていた。私を出しにした女は店に残り、正社員に登用された。その後何年かして、彼女が店長と籍を入れたという話を、私は当時の同僚から耳にした。
二年間を費やした学業の成果は、決して芳しくはなかった。在学中に得た資格も、さして就職の有利にはならない。事実、運良く面接まで進めた四社とも落とされた。
二年目の夏休みに従姉妹と一緒に通った教習所も、私だけが脱落した。仮免にすら辿り着けなかった。車の運転すらできない無能には、社会での居場所などないと言われている気がした。
親の伝手を頼って、ガソリンスタンドの事務や、電器店の手伝いをすることになった。どちらも個人経営の店で、キャリアアップなど望めようはずもなかったが、就職難が続くご時世に贅沢は言っていられない。食い扶持にありつけるだけで充分だった。
電器店の仕事では、外回りについて行くこともあった。主に家電の配達や取り付け業務だ。何の技術も持たない私に荷運び以上の役割があるとは思えなかったが、訪問先はお年寄りや女性の一人暮らしも多かったから、私の存在が接客の緩衝材ぐらいにはなっていたかもしれない。
ある時エアコンの取り付けに訪れたアパートにも、若い女性が一人で暮らしていた。
母親らしき人が、電器屋の店主にしきりに頭を下げながら、私たちと入れ違いに去っていった。
娘の方は眼鏡をかけ、毛玉の目立つトレーナーを着ていた。いかにもオタクといった風貌で、おそらく私よりも幾分年上だった。部屋には、私の知らないロボットアニメのポスターが一面に貼られていた。
店主が仕事道具を忘れて来たというので、車で取りに戻る間、私は部屋に残ることになった。
わたしと同じ髪型だね、というのが、私に対する女の第一声だった。本能的に嫌な感じがした。正直、お前と一緒にするな、と言ってやりたがったが、口に出さないだけの社会性は勿論、同族嫌悪だろうという自覚も私にはあった。
女が服を脱ぎ始めた。あまりにも唐突だったので、私は顔を逸らすことさえできなかった。女の無邪気な笑顔が、小学生時代の少人数学級にいた級友と重なった。私を満たす困惑の何割かが納得に変わった。
何物かが私の身体を揺さぶっていた。私自身の鼓動だった。じっとしていられないほどに心臓が激しく脈打っていた。この機を逃したら、二度と相手にありつけないかもしれない。高校のクラス選択の時と同じ、目の前の欲を何よりも優先する浅ましさが、度し難い衝動となって私の思考を早々に奪い去った。
同気相求むとはいうが、何の思い入れもない行きずりの女と、ムードもへったくれもない状況で、あれほど呆気なく事が済ませられるとは思ってもみなかった。分別の疑わしい相手と肌を重ねることへの背徳感に加えて、いつ店主が戻って来るか分からない緊張感が、私を速やかに絶頂へと導いたのだった。
今に至るまで、それが私の唯一の性体験である。
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こんな調子で、私は現実逃避の妄想を中学生の時から書き続けているわけだが、そのきっかけとなった出来事を、最後に記そうと思う。
小学生の頃、父の書斎で成人雑誌を見付けたのは本当のことだ。写真の女性たちを綺麗だと感じたのも事実。そして、雑誌には写真だけでなく、文章だけのページもあった。
本棚に並んだお仕着せの物語とは、まったく異質の世界がそこにはあった。官能の世界。私の内側を焦がしたのは、疑問と好奇心。私を創作へと駆り立てた原点だった。