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十三夜

 私の一番古い記憶は、幼稚園での苦い思い出だ。


 男の子と間違われがちな名前をしていた私は、そのことを周りの園児たちにからかわれた。(とっ)()には言い返す言葉が出てこず、言われ放題に悪口を浴びた。それ以来、私は他人と関わることに(わずら)わしさを覚えるようになった。


 頭も舌もよく回る他の女子たちが(うらや)ましかった。何をするにも不器用で、要領の悪い私とは、まるで別の生き物のようだった。

 私はこの中にいてはいけないのだと、幼くして悟ってしまった。女子グループとは距離を置いた人生を私は歩み始めていた。




 小学校に上がると、私は少人数学級に入れられた。


 親の近所付き合いもあり、隣の家に住む同い年の男の子と話す機会が多くなった。少し気が大きくなった私は、やがて小学校でも同じように、クラスの男子生徒とつるむようになっていった。


 男子たちとの付き合いは、いちいち顔色を(うかが)わなくてもいいのが楽だった。私はこう、俺はこうだと主張するだけで会話が成り立つのが新鮮だった。(しゃべ)り疲れれば、黙っていたところで、せっつかれることもない。

 女子グループと行動するよりも、よほど居心地が良かった。私が自分の居場所を見付けたと勘違いするのも無理はなかった。


 そうは言っても、私だって人並みに人形遊びぐらいはしていた。(しょく)(がん)のヒーローフィギュアだったけれど。

 独立(どくりつ)(どっ)()の強い男たちへの憧れ。強い女だったら(なお)良かったのだろうけど、()(かん)せん時代がまだ早かった。


 少年漫画には親きょうだいを通じて慣れ親しんでいた。クラスや近所の男子たちも、漫画やゲームを持って私の家を訪ねて来ていた。

 漫画やアニメの、いわゆるサービスシーンが嫌いだった。

 嫌いだったけれど、怖いもの見たさに似た感情があることも自覚していた。


 普段から忍び込んでいた父親の書斎で、外国の女性たちがあられもない姿で写った写真誌を見付けた。

 後ろめたい情熱と、それとは別の(くすぶ)りが私の内側を焦がした。




 中学へ上がるタイミングに、父の転勤で引っ越しをすることになった。

 友人たちとの別れは(つら)く、進学先の野暮ったい制服にも気分が(くも)った。極めつけに、厳しい校則が私の打ちひしがれた心に追い討ちをかけた。

 背中まで伸ばした髪も、肩の上までで切り(そろ)えなければならない。

 私が連れられて来られたのは、母の友人が理容師をしていた、旧居近くの床屋だった。仮に逃げ出しても、子供の足では新居まで帰っては来られない。


 大人とは、何て狡猾(こうかつ)で、高圧的で、理不尽なのだろう。少し前には、心を許していた父方の祖母も亡くなっており、私の心は限界だった。

 その日、私の心は一度死んだ。




 自棄(やけ)を起こした私は、中学入学早々、開き直って気ままに振る舞うようになった。現実逃避の妄想を小説に書きなぐり、自分から名乗った(あだ)()を級友たちに呼ばせていた。思い返すだけでも痛々しい。だけど、そんな(つたな)いやり方こそが、死にかけた私の心を守る唯一の(すべ)だった。


 初めて人を好きになった。クラスの女子。髪はショートカットで、背が高めで、猫のような目つきをしていた。スポーツの得意な人だった。

 恋に落ちた瞬間を私は憶えていない。ただ気が付くと、私の視界の中で彼女だけがキラキラと輝いているように見えた。目が離せなかった。向こうも多分、察していたと思う。


 同じクラスという以外、彼女と私に接点はなかった。女子グループとの付き合い方を知らず、あまつさえ痛い言動を繰り返していた私は、クラスどころか学校でも浮いた存在だった。そんな私が、どうして彼女に近付けようものか。

 私は孤立してはいない、孤高なのだと、自分に言い聞かせた。どう足掻(あが)いても孤独に違いはなかった。


 幸か不幸か、私が規則に外れた行動をしていても、誰も気に留める者はいなくなっていた。私が体育の授業をサボって、校舎をうろついていたとしても。


 教室に戻ると、何故か、いた。事情は分からない。初恋のあの人が、ちょうど体操着に着替えようとしていた。

 ()せぎすな私とは違う、女の身体をしていた。しなやかな曲線に目を奪われた。彼女に微笑みかけられた気がした。気がしただけで、都合のいい妄想だったのかもしれない。ひょっとすると、そこに彼女がいたこと自体が。

 私の記憶はそこで途切れている。




 その後も学校行事などで、彼女と言葉を交わす機会はあった。けれども、あの着替えの出来事について触れられることはなかった。


 ノートに書き留めた妄想を、彼女に(のぞ)かれた。あの日の仕返しだったのだろうか。からかわれたりはしなかった。ただ一言、すごいね、と。(なま)りの混じった響きが私の胸を締め付けた。少しハスキーな声がとても好きだった。桃に似た香りが鼻先で尾を引いていた。


 クラス替えがあり、彼女との接点はほぼなくなった。それっきり話すことも、会うこともなく、私たちは卒業の日を迎えた。


 最後に一目でいいから彼女に会いたかった。私に恋を教えてくれた人の姿を、()(ぶた)に焼き付けておきたかった。

 式の後、付き添いの母を先に家へ帰し、私は学校の敷地を当てもなく彷徨(さまよ)った。

 中庭の片隅で、背の高い男子生徒と寄り添う彼女がいた。

 噂は耳にしていた。けれど、私の見たことのない笑顔で、仕草で、楽しそうに彼氏と話す彼女を目の当たりにした時、私の中にあった(もろ)い覚悟や、偽物の諦観は粉々に崩れ去ってしまった。否、そんなものは最初からなかったのだと思い知った。一歩も踏み出せなかったくせに、未練だけは一丁前の、みっともなく浅ましい女がそこにいた。

 私の心は二度死んだ。

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