スズメとクジャクの物語
スズメとクジャクの恋愛物語。
BL入っていますが、男が嫌いでなければ、誰でも読めるかと。
「それでな……」
成鳥高校に入学して一ヶ月後の昼休み。
何となくこの高校にも慣れてきた私は、中学時代から友達だったスズと一緒にご飯を食べていた。
スズはギンと何かを話している。その横顔は凄く楽しそうだ。
私は、そんな彼を見るのが好きだった。
水筒のお茶に口を付けていると、そういえば、とギンが私に向き直った。
「なぁクラ、「青春」の最新刊出たって知っているか?」
「そうなんですか?今日帰りにかいに走らなきゃ」
「青春」とは、ある文庫本のシリーズだ。ファンタジー…に分類されるのだろうか。
若返った七福神がいろんなことをするという、とても面白い作品だ。
私はその本をギンに紹介され、彼の思惑通りはまってしまい、以来ギンとその話で盛り上がったりする。
布袋さんが、とかツルリンが、なんて話す私たちをスズはほほえましそうに見ているのだ。
その視線の先にあるのは、ギンただ一人。
私は「同性愛」というものに対して、特にこれと言った偏見を持たない。
好きになったならそれまでだし、実際ギンから毎日のようにペン君ののろけ話を聞かされているから、免疫なんかもついたのかもしれない。
スズは、ギンが好きだ。
多分、愛していると言っても語弊がないかもしれない。
私はスズと家が近所だから、昔からいつも一緒に並んで帰っている。
それに行く学校も、入った部活も、その部活のペアなんかまで一緒なものだから、帰路ではほとんど毎日互いの影を踏んでいた。
そのためか、私たちは互いのことをよく知っているし、仲良しな関係も続いていた。
部活に入ったら時間がずれていいかげん一緒に帰れなくなるかもしれないけれど、
私も彼もまだ決めていないから、今はまだ並んで帰ることが出来る。
だから、まだ仲良しの関係を続けていることが出来た。
スズは歩きながら、よく私にギンの話をする。
今日はギンとあんな話をしたとか、授業中ギンがあんなことをしていたとか、彼はそれはもうよくギンを見ていた。
そんな話を、私は毎日黙ってうんうんと聴いている。
以前は相談なんかもされた。
ギンが好きなんだけれど…と少し気まずそうに話す彼に、私は良いんじゃない?と軽く返した。
彼は驚いたように私を見たスズは嫌じゃないのかと聞いたのだが、
私が別に…と彼を見ると、彼は心底安心したような顔をして、なら今度からお前にいろいろ相談しても良いか?と聞いてきた。
その時は珍しく引け腰気味に頼まれて、私はつい笑ってしまい彼が拗ねてしまった。
私はスズの笑っている顔が好きだった。
ギンと話しているときの、凄く幸せそうなあの顔も、
ギンの話をしているときの、照れたようなあの笑みも。
私の入り込む隙間なんて無いくらい、彼はギンを愛していた。
今日もまた、スズがギンの話を聞かせてくれる。
お昼の時に話していたことだろうか。
やっぱりギンのことを話している彼は、とても輝いていると思う。
「ギン、今日も綺麗だったな」
「…そうですね、今日も元気そうで良かったです」
最近、彼はますますギンのことが好きになっているようだった。
幸せそうな彼の反面、
帰り道、必ず一度はギンを褒める言葉を使うスズを見ていて、私は日を増すごと辛い気持ちになっている。
彼は、ギンが同棲しているペン君と付き合っていることを、知らない。
ギンは照れているのか公表しないし、むしろ否定までしている。
でも、もし彼が何らかの理由でその事を知ってしまったら。
落胆する彼を見るのはあまり望ましくないことだった。
私は他人の恋に口出しできるほどお人好しではない。
それでも今回ばかりは、何度もギンにペン君と別れてくれとお願いしようとまでした。
…結局、そんな勇気が無かったから、すべて未遂に終わっているのだけれど。
「じゃ、また明日な」
私の家の前まで来ると、彼は軽く右手を挙げた。
私もそれに応じて手を挙げる。
「今日は、ご飯食べていきませんか?」
「あ〜…う〜…じゃ、あとで取りに来て良いか?」「えぇ、構いませんよ。待っていますね」
「いつも有り難うな」
「いいえ」
私たち鳥の大半は高校生になったら一人暮らしをする。
何時までも親のすねをかじるわけにもいかないし、何より恥ずかしさというものがあるからだ。
でも、さっきも言ったとおり、私たちは同じ高校を受験して共に受かってしまったから、
どうせなら、と互いの家が近いところに家を建てた。
初めて家を建てるのにはたいしたお金を必要としないから、新高校生は好きなところに家を建てる。
ちょうど高校から近いところに二カ所空きがあったので、私たちはそこに建てた。
新しい住居に移って二日後、スズが私の家に「飯が作れん」
と転がり込んできた。
それ以来、私はスズの分のご飯も作って、スズが取りに来るか食べに来るかを待つようになった。
今日は何か用事があるのか、彼の家で食べるらしい。
ちょっと寂しいな、なんて思いながらスズの背中を見送って、自分の家の鍵を回した。
カチリ、と音がしたのを確認して、私は家のドアを開ける。
薄暗い静かな部屋の雰囲気は未だ慣れない。
子供の頃からの癖で、誰もいない部屋にただいま、と呼びかけてしまう。
手探りで部屋のスイッチを押すと、乳白色の光が部屋に溢れた。
鞄を床において台所に向かう。
冷蔵庫を開けると、数個の木の実しかなかった。
(買い足しに行かないといけませんねぇ…)
私はスズに遅くなるかも、とメールを送り、買い物袋と財布を持って家を出た。
(リンゴだ…もう秋ですね…)
感慨深く果物コーナーを回っていたら、
いきなり背中に衝撃が走った。
「………っ!?」
「クラ先輩!」
私が買い物籠を取り落とすと同時に、後方から聞き慣れた明るい声が聞こえた。
「ペン君?」
「正解です!わ〜クラ先輩久しぶり!」
「うん、久しぶり」
胸の辺りに力強い腕が巻き付いていた。
振り返らずに、私に抱きついている子を呼ぶと、その子は嬉しそうに私を解放して横に並んだ。
「先輩どうしたんですか?買い足し?」
「うん。やっぱり二人分のご飯を作っていたら、食材がすぐになくなっちゃうね」
「………クラ?」
黄色い頭を撫でていると、また後ろから声が聞こえた。
流石にこの声も間違えたりはしない。
「おやギン、こんにちは」
「あぁ、おいペン。クラに迷惑をかけるな」
「そんな…迷惑なんてことないですよ。ペン君の頭柔らかくて気持ちいいですし」
「だってよギン。ギンこそ先輩の優しさをもう少し見習ったら?」
「クラ、それ以上そいつの頭を触ったら変な虫が付くぞ」
「なっ………うわーんクラ先輩〜ギンが虐めるぅ〜」
「よしよし、恐かったね。ギン、弱いものイジメは感心しませんよ?」
実際楽しいのだからしょうがない。
私は何も言わずに笑って落ちた籠を拾った。
その籠をのぞき込んだギンが、不思議そうな、呆れたような顔を向けてくる。
「多いな。まだスズのも作っているのか?」
「えぇ、ギブアンドテイクは当然でしょう?」
「お前はギブしているだけでテイクされてねぇだろ」
「いいんですよ、それでも」
どうせ自己満足だ。
スズが美味しいって笑ってくれれば、私はそれで良いのだから。
「貴方は相変わらずペン君と一緒なんですね」
「違う、あいつが付いてきただけだ」
「もう、また照れて」
「…バカにしてるのか?」
「まさか。羨ましいだけですよ」
大切な人が居て、その大切な人と一緒にいれるギンが、とても羨ましいのだと。
その私の言葉を聞いたペン君は、キョトンとした後凄く真っ赤になっている。
対するギンは凄く驚いたような顔をしていた。
「お前からそんな言葉が出るとは思わなかった」
「そうですか?」
「てっきり、彼女くらいもう…いるのかと…」
「…私はそこまで無節操では無いですよ…?」
ギンにそんな風に思われていたとは、それこそ意外だ。
ペン君の方を見れば、ペン君も驚いたような顔をして私を見ていた。
「だって…クラ先輩凄く優しいから…女の子にもてそう…」
「それは…実際モテモテのペン君やギンが言わないでくださいよ…」
そういうと、ペンは僕は女の子には興味がない!
と胸を張り、ギンは…何かトラウマでもあるのだろうか、凄く沈んでしまった。
私はとりあえず笑っておいて、リンゴを一つ取り籠に入れた。
ペン君はギン君の元に駆け寄り、僕が好きなのはギンだけだから〜と抱きつこうとして蹴られてしまった。
気持ちわりぃ!とペン君を足蹴にしているギンに、また明日。と手を振ると、おう。と返事が返ってきた。
(全く、仲が良いですね)
あんな彼らを見ていたら、やっぱりお似合いだな、と思ってしまう。
(ごめんね、スズ。
代わりに私を愛してください、って言えたら面白いのかもしれないけれど、残念ながら、私にはそんな勇気が兼ねそわっていない。
食材で重くなった籠をレジまで持って行く。
精算して貰い財布からお金を取り出し、レジの方に渡した。おつりを貰って籠を棚まで運び、買い物袋に食材を詰めて籠を所定の位置に戻した。
よいしょ、と持ち上げた袋は少し重たくて、スズも連れてくれば良かったかな、なんて思ってしまう。
慌てて頭を振った。
彼にペン君とギンの関係がばれてしまえば、私はフォローすることが出来なくなってしまう。
自動ドアをくぐり抜ければ、外はもう薄暗くなってしまっていた。
吐く息も白くなる。
スズは待っているだろうか。
ヘタをしたら、この寒空の下玄関の前で突っ立っているかもしれない。
寒かった〜と困った顔をする彼を思い浮かべて、私は急いで家に帰った。
「寒かった〜…」
案の定玄関の前で立ちつくしていたスズは、私を見ると駆け寄ってきて代わりに荷物を持ってくれた。
「あ、済みません…途中ペン君とギンに会って…つい長話をしてしまいました」
「ペン…って、あの黄色いバカか?」
「はい、あの黄色い元気なヒヨコです」
そっか、と微笑むスズをみて、私もつい笑ってしまっう。
やっぱり、私は彼の笑顔を見るのが好きだ。
「寒いでしょう。どうぞ、入ってください」
「おう、お邪魔します」
鍵を差し込みドアを開く。
外気よりかは幾分か温かい部屋の空気が私を包み込んだ。
ドアをスズに締めて貰うと、私は急いでご飯の支度をし始めた。
「スズ、済みません。今からご飯作るんですけど、あれだったら貴方の家に持って行きますよ?」
「いや、いいや。ここで食べる。いいか?」
「えぇ…ソレは良いんですけど…何か用事でもあったんじゃないですか?」
「んにゃ。もう済んだ」
「そうですか…あ、じゃぁお手伝い頼んでも良いですか?」
「おっけ。俺でも出来ることなら何なりと。いつも世話になってるしさ」
「ありがとうございます。じゃぁ…棚から深皿を出してください」
「了解」
買って帰ったリンゴなどは冷蔵庫にあった木の実と一緒にサラダにすることにした。
それを深皿に盛って、メインを作り始める。
しばらくの間スズに外で待たせてしまったのだ。何か温かいものを作ってあげたい。
それならやっぱり汁物が良いだろうと思い、野菜スープを作ることにした。
擦り、切って入れるだけだから簡単だ。
ものの数分でできあがった二人分のメインのおかずとご飯を、お盆に載せてリビングに持って行くと、
そこでスズは胡座を掻きながらテレビを見ていた。
テーブルにお盆を持って行く私と目があったスズは、立ち上がり私のお盆を預かってくれた。
「すみません、ありがとうございます」
「いや、俺こそ気づかなくて悪かった」
足の低い本当に一人暮らし用のテーブルの上に、二人分の簡単な夕食が並ぶ。
「足りなかったら言ってくださいね」
「んにゃ、足りると思う。ありがとうな」
いただきます。と揃って合掌をし、同時に箸に手をつける。
テレビでは真面目そうなキジのキャスターが、今日のニュースを黙々と読み進めていた。
どこぞの組がシジュウカラの家族を襲っただの、ナベヅルの群れが海を渡るとき風に煽られて一匹墜落しただの、
心痛ましいニュースがひたすら続く。
私はスズと「恐いですねぇ」なんて言い合いながら野菜スープを啜っていた。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ」「ありがとうございます。お粗末様でした」
テレビ画面に明日の天気予報が流れる頃、私は空になったスズのお茶碗を流しに持って行った。
彼はどんなものを作っても、文句一つ漏らさずに全部食べてくれる。
それがとても嬉しくて、空っぽのお皿を二人分も洗うことを嫌と思ったことは一度もない。
今日も空になったお皿を、水を張ったたらいにつける。
そのまま棚からマグカップを二つ取り出して、二人分のココアを淹れた。
たまたま買ってあったおやつと共にそれを持って行くと、ココアの甘い香りが分かったのだろうか、
スズが嬉しそうな顔で手を挙げた。
「ココア?」
「随分鼻が良いですね、スズ。正解です」
テーブルの上にコトン、と二人分のカップを置く。
早速その一つにスズが手を伸ばした。
白いカップに口を付けて、ゆっくりと嚥下したスズは、凄く嬉しそうな顔でコップをテーブルに戻す。
そのカップの中は既にからになっていた。
「スズ…私はココアを一気飲みの材料にした人を見たことがないのですが…」
「だろうな。俺もやっちゃったと思った」
「あのねぇ…舌、火傷してませんか?」
「ん〜…ちょっとひりひりする」
「もう…」
舌を火傷したときの対処法は何だったけ…と悩んでいると、スズがコップを差し出してきた。
「クラ、このココア美味かった。もう一杯!」
「…青汁じゃないんですから…」
私は自分用に持ってきたコップをスズに差し出した。
スズが驚いたような顔をしている。そんな彼に、私は首を傾げた。
「まだ口を付けていませんよ」
「そうじゃなくて、お前のは?」
「今から淹れてきます。貴方用に淹れなおしたら、貴方また火傷しそうじゃないですか」
そう言うと、スズは照れたように笑って私の手からコップを受け取った。
「ありがとう」
「ちゃんと冷ましてから飲むんですよ」
「は〜い」
スズの嬉しそうな返事を聞いた私は、ゆっくりと台所に戻った。
彼の使ったコップを一度水で流し、ココアの粉とお湯を入れる。
白い湯気の立つコップと一緒にリビングに戻ると、コップを床においたまま寝転がっているスズがいた。
(…え、寝た?)
まさかとは思ったが、彼が私生活でこんなにだらしなくしているのは見たことがない。
まず床にコップを置いている時点でおかしい。
私はそっと彼に近寄ってみた。
(うわ…寝てる…)
彼の瞼はしっかりと閉じられて、少し開いた口から規則正しい呼吸音が聞こえてくる。
学校以外で見たことのない彼の寝顔にしばらく見とれていたのだが、
流石にまずいだろうと思った私はとりあえず腰掛けて彼を起こしにかかった。
「スズ、起きてください。こんなところで寝たら風邪引いちゃいます」
軽く揺すってみるものの、彼が起きる気配はない。
それどころか私に巻き付いてきた。どうやら本格的に睡眠モードに入ってしまっているらしい。
(私は抱き枕じゃ無いんですけど…)
どうにも身動きが取りづらくなった私はテレビの電源を切り、自分の腰にスズを巻き付けたままココアに口を付けた。
熱いお湯と甘いココアが舌を刺激する。
ゆったりしたそのひとときが、私はその他のいろいろな思考と常識的な判断を鈍らせた。
(…いっか。明日土曜日だし)
成鳥高校は一応公立高校なので、部活に入らなければ土日はだいたい休日になる。
私たちはまだ部活に入っていないし、一人暮らしだから親に連絡を入れる必要もない。
今日はここに泊めようか、なんて彼の柔らかい茶髪を梳きながら考えた。
静かな部屋に彼の寝息だけが響く。
そんな彼の寝顔を見ながら、私は凄く中途半端な心境に挟まれていた。
特に意味もなく悩む私の耳に、静かな音楽が流れてくる。
たまたま腰を動かさずに手が届く位置にあった携帯を、それでも必死に腕を伸ばして引き寄せる。
発信者はギンだった。
緑の光が点滅しているから、どうやら通話のようだ。
私は折りたたみ式の携帯を開いて通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『なんだ、痛めたのか?』
「重しが巻き付いているので」
…いや、間違ってはいない。
はぁ?と聞き返すギンに、用件は何ですか?と問うと、数学が分からんと返ってきた。
『不等式が全然わからねぇんだが』
「何を言いますか学年一位」
『うるせぇ。分からないものは分からないんだから教えろ学年二位』
「私が分かる範囲は貴方の理解している範囲以下だと思うのですが」
『確認になる。とりあえず教えろ』
私は一つ息を吐くと問題を問うた。
その問題は、今の私でもかろうじて答えることが出来る範囲だったので、出来るだけ丁寧に答えてあげた。
しばらくノートにシャーペンを走らせる音が聞こえたが、カチッという音でそれは終わり、
代わりにギンのすっきりしたような「サンキュ」という声が聞こえた。
同時にギンの声の奥から、ペン君の「連立方程式がわからん!」という、受験生にあるまじき発言が聞こえたのだが、
そこは敢えて無視をする。
だから、ギンの「うるせぇ黙れクソヒヨコ!」という暴言もスルーしておこうと思う。
視線を下に向けると、静かに寝息を立てているスズの幸せそうな顔が見えた。
そんな彼を見ていると、何となく気になってしまった。
こんなことを聞いてはいけないのだろうけれど、私が牽制をする前に口が勝手に動いてしまっていた。
「ねぇ、ギン」
『何だ?』
「ギンは、スズのこと、どう思っています?」
『は?何だ、ケンカしたのかお前ら』
「…今私の腰に重しのように巻き付いています」
『…何をしているんだ?お前らは』
「スズが私の家で寝ちゃったんですよ。それより、ギン。」
『お疲れ様です。ん…そうだな…好きだぜ。このバカに比べて随分まともだし、付き合いやすい』
「そう…ですか。勿論それは友達として、ですよね」
『当たり前だろう?あぁ、お前のことも好きだから心配するな』
「…そんな心配してません。というか、どんな心配ですか」
『いや、なんでも』
「はぁ…あ、じゃぁペン君のことはどうです?」
『は?』
「恋人として、どう思っていますか?」
『いや、スズ。止めとけ。いくらペンに好意を抱いていたとしても、こいつを恋人にするのだけはやめろ。脳が腐る』
「そんなつもりは欠片もありませんが、心配してくれてありがとうございます。
…そうじゃなくてね、ギンはペン君の何処が好きなの?」
『………』
『そうだな』
しばらく間が空いて、彼がゆっくりと話し出した。
『何処が好きかと聞かれても分からない。でも、あいつの側にいたら落ち着くし、
クソが付くほどのバカだけれど、愛おしいと思える。
今はペンがいないから言うけど、実際毎日、それこそあいつを見る度に惚れ直しているようなものだから、
もう何が何だか分かったものじゃない。
言葉では伝わりにくいかもしれないけれど、愛してるし、あいつ以外愛さないと思う……というか、こんなことを聞いてどうするつもりだ?』
「別に何をするわけでもないですけど…最近貴方ののろけ話を聞いていないから、つまらないな、なんて思ってて。
仲が良さそうで何よりです」
『お前…』
もしスズが貴方に告白をしたら、貴方はどうしますか?
スズの必死な気持ちに、貴方は気がついていますか?
質問はまだまだ沢山あった。
でも、私はそれ以上は聞くことが出来なかった。
ペン君について語るギンの声色が、あまりにも幸せそうだから。
学校では聞くことが出来ない、その優しそうな口調から、彼らの世界を壊すことは出来ないのだと、思い知らされた。
ここまで来れば、もうスズに諦めて貰うのしか無いのだと。
その事実が、あまりにも心に染みて。
「スズに布団を掛けてきます。面白いお話をありがとうございました」
『今の話、絶対ペンには言うなよ』
「分かってますよ。じゃぁ、お休みなさい」
『あぁ、お休み』
そう言って、通話を切った。
スズは、ギンをとても愛していた。
毎日ギンの姿を目で追って、ギンの言動一つ一つに心を傾けて。
分かる人が見たらすぐに分かってしまうほど、ギンを誰よりも愛していた。
ギンの話をしているときの、あの嬉しそうな笑顔を見るのが好きだった。
ギンを追うときの、その真剣さが格好いいと思えた。
ギンの側にいることで、そんなスズが何時までも見られるのなら、彼の恋を応援しようと思った。
でも、もう、しってしまった。
彼の恋が成就する日は来そうもないことが。
ギンが、彼の想いを拒みそうなことが。
思い浮かんでしまった。
断られたスズがどんな気持ちになるのかが。
初めて、ギンの側で涙を流すその横顔が。
その時私は、何もすることが出来ないのだという、事実が。
頬に何かが流れた。それが涙だと私が気づく前に、それは起きる気配を全く見せないスズの横顔にこぼれ落ちた。
(私が…ギンの)
「代わりになることが」
(できたらいいのに…)
その望みは、最後まで口に出すことが出来ないほど、今の私には難しいことで。
たとえ出来たとしても、それはスズの望むところでは無いはずだと。
頭では分かっている。
体も分かっているから、彼の髪を梳く私の手は、それ以上のことをしようとしない。
本当は、力一杯彼を抱きしめたい。
同じ布団に潜って、互いの体温を感じながら眠りに落ちたいし、
学校でスズと何気に視線を合わせては、何となく笑ったりしたい。
もう、この気持ちを隠していたくなかった。
それでも…私はスズを故意に傷つけたくなくて
…いや違う。
自分の気持ちをスズに伝えると言うことが恐くて。
ギンがいるから、と断られることは分かっているから。
そうなれば、共に気まずくなることは分かっている。
ただのケンカというわけじゃないから、引いてしまった一線は簡単に踏み越えられないだろう。
そんな関係に陥るくらいなら。
それより、誰より心許せる友達のままで居続けたかった。
叶わない恋なんてことくらい、分かっているから。
私の気持ちなら、いつまでも我慢できるから。
理性では押し止められない涙が、パタパタと、愛おしい彼の頬を濡らす。
この時間が、ずっと続けばいいのにと。
起こるはずのない奇跡を、
ただ祈って。
(大好きですよ、誰よりも、多分、いつまでも)
だから、どうか、
私の側で笑っていて。
どんな話にも、私の気持ちを隠し通したまま、付き合うから。
どうか。
濡らしてしまったスズの頬を、やっぱりギリギリ腰を動かさずにもとれる位置にあったティッシュで拭う。
数滴涙をこぼした私の涙腺は、そそくさと栓をしたらしく、
ありがたいと言っていいのか分からないが、目を腫らす前に泣きやむことが出来た。
私は冷たくなってしまったココアを胃に流し込み、腰にしっかりと巻き付いているスズの腕をはがしにかかる。
力の抜けた腕は流石に重たかったが、剥がすのは苦もなくすることが出来た。
彼の束縛から抜け出た私は、私の使ったコップと床においてあった空っぽのカップを持って台所に行った。
菓子類はテーブルに放置しておく。
深皿がつけてある桶にコップを入れると、私は布団を取りに和室に向かった。
掛け布団だけを引っ張り出し、リビングの入り口あたりに借り置きする。
スズの足の上を跨いでいるテーブルを、極力静かに隅の方に移動させ、
リビングが少し広くなったところで無防備な彼の上に布団を掛けた。
彼は気持ちよさそうに寝息を立てている。
私はそんな彼から必死に目をそらした。
間違っても彼と同じ布団に入ってしまわないように
彼が寝ていることを良いことに、彼に口付けてしまわないように
逸る鼓動を押さえながら、私は逃げるように台所へ向かった。
さぁさぁという音が、無条件に耳に入り込んでくる。
少しだけそちらに意識を向けた瞬間、エレベーターで感じるときのような浮遊感に襲われた。
筋肉が強ばるのを感じる。
無意識に開けた目に飛び込んできたのは、見慣れない、それでもどこか懐かしい天井だった。
「ん〜?」
よいせと起きあがると、肺の辺りに掛けてあった布団が流れるように落ちた。
そのせいで腹の位置で中途半端に畳まれてしまった白い布団を、なんとなく見つめる。
「…んな布団、俺ん家あったっけ」
目線を布団に向けたまま、俺は右手を真横に伸ばした。
普段より高い位置で、無機質な冷たく平たいものに手が触れる。
(何でタンスがこんなに高いんだ?つーか目覚ましは何処に行った?)
腕をどこに移動させても、目覚ましのような丸い感触にたどり着かない。
俺は痺れを切らせて、腕を伸ばしている方向に顔を向けた。
ただ菓子が置かれたテーブルがあるだけだった。
今更のようだが、寝ぼけた頭はその根本的な疑問にたどり着くまでに少しの時間を要した。
ようやく覚醒したらしい頭をフルに稼働させて、今の俺の状況を確かめる。
辺りを軽く見回すと、部屋に置かれた見慣れた物から、ここがクラの家だと理解できた。
どうやら彼の部屋で飯を食った後寝てしまったらしい。
悪いことしたな…と思いながら、起きあがり布団を畳む。
流れるように窓に近付き、カーテンを開けた。
どんよりした黒い雲から、細い雨が降り落ちている。
俺の目を覚ましたのはこの音だったのかと、らちも空かないことを考え、窓を開け放つ。
一度伸びをした俺は、この家の主に一言礼を述べに行くべく、湿った冷風が入り込む部屋を後にした。
「………クラ」
お目当ての相手はすぐに見つかった。
彼は台所の奥にある、勉強部屋(と言う名の書斎)で机にうつ伏せて眠っていた。
ブランケットを羽織るようにして背を覆っている。
俺はそんなクラにゆっくりと近寄った。
全く、風邪を引くだろうに、どうして一緒の布団に入らなかったのだろうか。
「クラ、朝が来たぞ」
肩にそっと手を添えてかるく揺さぶると、彼の睫毛がぴくりと動いた。
閉じられていた彼の瞼がゆっくりと持ち上げられていく。
それを拾い簡単に畳んで机の上に置くと、今まで目を擦っていたクラと視線があった。
俺はまだ夢現な彼に、軽く微笑んで挨拶をする。
「おはよう、クラ」
「…おはようございます、スズ」
クラは少し返事をするのが遅かったが、やはり彼も凄く嬉しそうに微笑んでくれた。
彼の部屋でも雨の音がこだましている。
空気もどんよりと湿っており、気分爽快とは到底言えそうもない。
だが、朝の挨拶をしただけで、この場の雰囲気が随分和らいだ気がした。
覚醒したのか、おもむろにクラが立ち上がり、窓辺に近寄った。
本に囲まれている、本によって出来た「道」を直進する彼を見て、器用だな、なんて頭の隅で思う。
「わ…雨降ってますね。今日の洗濯物はランドリー決定かな?」
「脱水だけのために?」
「部屋が湿気るよりマシです」
彼は湿度が凄く苦手らしい。
部屋には必ず除湿器があるし、たとえ冬でも寒いと良いながら一日の半分は窓を開けている。
以前、風邪を引かないのか?と問うたら、引かなかったら良いですねぇ…なんて曖昧な答えを返された。
窓辺から戻ってきたクラは、てきぱきと身の回りを片付けていく。
机の上に畳まれたブランケットを見つけた彼は、俺の方に首を向けた。
俺は、心の中で感じた喜びを、素直に顔で表現した。
片付けは一分ほどで終わった。
クラの部屋はまだ本が散乱しているが、ここで彼が寝ていたという形跡は欠片もない。
俺は改めて彼の部屋をまじまじと見た。
とりあえず、本だ。
中学校の頃も何度かこの部屋に入ったことはあったが、今日に至るまでに彼はまた新しい本を買ったようだ。
目に見えて増えていると分かる。
棚には本。床にも本。本で山とビルが建っているような気がする。
そして山積みされたそれらの本の上に、きちんと畳まれた制服など様々な物が乗っかっていたりする。
(図書館…みたいだな)
ポケっと部屋で突っ立っていると、クラが俺の服をちょいちょい、と引っ張ってきた。
ん?と彼の方を振り向くと、俺のより高い位置で目があった。
「スズ、朝食にしませんか?」
クラが軽く微笑む。
彼の言葉とその微笑みを見ていると、なんだか不思議と腹が減ってきた。
俺は軽く頷いて、先に部屋を出ようとする彼について行く。
「何か…ホントごめん、な。めちゃくちゃ迷惑かけて」
「何を今更」
台所に向かう途中、彼はくるりと振り返って俺に笑いかけた。
「私と貴方の仲でしょう?」
「…確かに。本当今更なことだ」
もう何年も付き合っているのだ。
たとえ迷惑なことをしたとしても、大概のことは「またか」「無精卵なんだろうな」
「朝から有精卵を好んで食べる人が居ますか」
「そりゃそうだ」
他愛もない、というか阿呆らしい会話をしながら台所に入る。
クラはそのままシンクの前に立ち、俺はリビングに戻った。
空いたままの窓を閉め、遠くに追いやられたこたつテーブルを引きずりながら、部屋の中心に持ってくる。
茶色いテーブルに置かれた菓子は、まだ袋に入ったまま置かれていた。
隣には白い皿が置いてある。
多分この受け皿に入れて食べようとしたのだろう。
使われることの無かったその皿をとり、俺は立ち上がってクラの元に向かった。
台所から美味しそうな匂いが漂ってくる。
俺は、それこそ流れるように動く彼を、何となく目で追いながら足を進めた。
くーら、と間延びした声で呼ぶと、彼は一度ぴくりと肩を揺らして、はい?とこちらを振り返った。
俺はそんな彼に、あの白い皿を手渡す。
「テーブルの上に放置されてたぞ」
「あ…すっかり忘れていました。ありがとうございます」
皿を両手で受け取った彼のその手は、水を触っていたからだろうか。
赤くなっていた。
俺は彼の右の手を取って両手で包んでみる。
やはり冷たかった。
まだ秋だから気温も高く、刺すような冷たさにはならないが、これほどに冷えていると見ているこちらまで冷たくなる。
「あの…スズ?」
「あ?」
正面を向くと、困ったようなクラと目があった。
その頬が赤くなっているように見えるのは、俺の気のせいだろうか。
…気のせいなはずないか。
いきなり片手をつかまれ、その手を同級生の雄に両手で包み込まれているとあれば、照れとは違う、羞恥の意味で顔が赤くなるだろう。
俺は慌ててその手を離した。
「どうしたのです?いきなり…」
「いや…何となく…手が冷たそうだな…って」
変に口ごもる俺に、クラは驚いたような表情を見せて、そして嬉しそうに笑った。
「スズのおかげで暖まりました。ありがとう」
「お…おう」
「そうだスズ。折角ここまで来てくれたのですから、少し手伝ってください」俺が胸を張って応えると、クラは困ったように笑い、棚に顔を向けた。
「いつも朝食を入れるときに使うお皿を持ってきて貰えますか?」
「了解」
できあがった朝食をリビングへ持って行く。
夕食と違って朝食はすぐにできあがるから、何往復もしなくて良さそうだ。
俺とクラの目玉焼きをテーブルに置くと、俺はよいしょ、と床に腰を下ろした。
クラがご飯を持ってくる。
彼はテーブルにお椀を置くと、またパタパタとかけていった。
俺はその後ろ姿を目で追って、床の上にリモコンの存在を探す。
俺が灰色のプラスチックに触れるのと、彼が新聞を片手に戻ってくるのは、ほぼ同時だった。
メインディッシュが目玉焼きだというのに、何故こんなにも美味しいのだろうか。
と言うことを俺の右隣に座っているクラに言ってみたら、
彼は照れたように笑って、
ギンの方が美味しいですよ
…と謙遜した。
彼が「ギン」の名を出したとき、あの澄んだ瞳が俺の脳裏にふと浮かび上がった。
中学校の頃初めて彼を見たとき、酷く胸が高鳴ったのを覚えている。
本の話か何かで凄く盛り上がっていたクラが、ギンに見惚れていた俺を手招きして、俺たちの関係は始まった。
理性的で見た目も頭もよく、それでいて案外ちょっとしたことで笑ったりする、
そんな彼の側にいて、あぁ愛おしいと思え始めたのはいつからだったか。
体育の時間、上下の継ぎ目から垣間見える白い腹に意味もなく興奮したり、
昼飯の時、彼の手作り弁当を奪い取って、大笑いしながらも内心は浮かれている、なんて日もあったり。
あの禁欲的な彼を抱きしめたら、初心そうな彼はどんな反応をするんだろうとか。
そんなことまで考える日も続いて、自分の理性に不安を持った俺は、俺が親友と言い切れる幼なじみに、
この恋心を打ち明けた。
好きな子がいるんです、男だけど。
なんて告白、普通の人なら引くだろうに、
クラは一瞬驚いたような顔をしただけで、すぐにいつもの笑顔で「頑張ってください」
とエールをくれた。
だから俺は、クラの笑顔を糧にギンに対する恋心を確かな物にした。
とは言っても、まだ彼に俺の心を打ち明けているわけではない。
まだ仲の良い「友達」の関係が続いている。
俺にとってその距離は、最も居心地の良いもので、また最も理性を抑えづらいものだった。
いつかこの想いを伝えたい、と言う気持ちは、そろそろ伝えても良いだろうか、に変わり、
でも今ひとつタイミングがつかめずに、ずるずると渦を巻いた気持ちを引きずっている。
俺はそんな自分が情けなく思えて、ついテーブルに突っ伏した。
額から伝わる木の冷たさが、今は気持ちが良い。
俺の右側の空気が動いた。
直後、俺の頭にクラの細い指が触れた。
髪の毛の一本と一本の合間を上手にかいくぐって、五本の指が旋毛から襟首までゆっくりと降ろされる。
「どしたん、クラ」
「スズの髪の毛、相変わらず柔らかいですね」
頭のてっぺんから下向きに一方通行するクラの指が、8回目の終着点にたどり着いた瞬間、
俺はクラにこの不毛な行為の意味を問うてみたのだが、彼はただ嬉しそうな声で変にはぐらかすことしかしなかった。
俺はもう何を言っても駄目だと悟り、再度口を閉じた。
クラはそれに気をよくしたのか、俺の旋毛に九回目の五本の指を乗せる。
部屋に響くのは、二人分の呼吸音と水たまりに雫が落ちる高い音のみ。
静かに俺の髪を梳くクラに、俺は一度息をついてから話しかけた。
この静寂の中、大きい声で話すのは気恥ずかしく、呟くようにクラ、と呼ぶと、
やはり静かな、それでいて凛とするクラの、はいという返事が聞こえてきた。
「なぁ…俺さぁ、そろそろ告白をしようと思うんだけど」
「…それは、あの…ギンに、という解釈をしても良いですか」
何の脈絡もなく「告白」という単語を使ってしまった俺の意志を、クラはちゃんとくみ取ってくれたようだ。
無駄に頭を使わせてしまって悪かったかなぁ…なんて思うけれど、もはや日常茶飯事だ。
クラだってその事をきちんと分かってくれているから、今回もとやかく言ってくることはなかった。
どうやら話を聞くモードになってくれているようだ。
俺は先ほどとあまり変わらない声量でうん…と続けた。
続きます
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