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09.王弟











 自分を見て目を見開いたミカに、アックスは抱き着いた。耳元で、ミカの「は?」という声が聞こえる。すっかり抱き着き癖がついた自覚はある。


「何故アックス?」


 当然と言えば当然の問いに、アックスはミカの両肩に手を置いて言った。


「俺は、お前がいないとだめなんだ……!」

「いや、何の話? とりあえず、疲れたから座らせて」


 ミカに言われ、一度彼女を解放した。エンマと共に部屋に下がるミカを見送るアックスに、イェオリが尋ねた。

「奥様ではありませんが、なぜこちらに?」

「ああ。説明する。ミカに」

「……さようですね」

 イェオリも深くはツッコまず、一度アックスの前から下がった。彼はアックスの部下だが、今はミカの護衛が仕事だ。その仕事をしに行ったのだろう。


「で、どうしたの」


 部屋着に着替えたミカがアックスに尋ねた。ミカは部屋着として着脱しやすい服を着ていることが多い。男装していることもあるが、屋敷の中ではたいていワンピースだ。今日も青いワンピース姿でアックスと対面していた。

「俺はお前がいないとだめなんだ……」

「それはさっきも聞いたよ。どうしたの、無理やり迫られた女の子みたいな顔してるよ」

 見たことないけど、とミカ。そして、当たらずとも遠からず、微妙に的を射ている……。


「屋敷に帰ったら、奔放で有名な某男爵未亡人が寝室にいた俺の気持ちが分かるか……?」


 ミカがいなくなった途端これである。使用人に手引きをした人間がいるはずだ。見つけ出して解雇したが、どんなに気を付けていても一定数、そういう人間は入り込んでくる。そのたびに相手を追い出し、手引きした人間を見つけ出すのか? そう思ったらミカが恋しくなった。


「それでここまで逃げてきたわけか。というか、据え膳くらい食べてもよかったんじゃないの」


 たまにミカは、女性が言うのはいかがだろうか、という発言をする。男として育った影響だろうか、と思わないでもないが、彼女がアレリード伯爵家の嫡男として育ったのは少年期までである。これは性格が大きい気がする。彼女が本当に男だったのなら、さばけた性格のハンサムさんだっただろう。気難しくはあるが、性格の弱点は顔の良さにカバーされると思う。


 ではなく。


「よくない! どうせやるなら、ミカがいい!」

 ドン引きされた。大声で言うことではなかった。物理的にアックスと距離を取ったミカに落ち込む。はあ、とうなだれたアックスにミカは「ごめんごめん」と謝る。

「冗談だよ。君からそんな言葉を聞くなんて思わなかったから、驚いただけ」

 気難しいところのあるミカだが、面倒見の良いところもあるのでむげにはできないらしい。彼女の隣に移って抱きしめても文句を言われなかった。

 正直なところ、最近、ミカならいけるのではないかと思っている。自覚のある女性恐怖症のアックスだが、ミカだけには拒否反応が起きない。実の姉ですら、断りなく触られるとだめだったのに。


 アックスは、実の母親から虐待を受けて育った。今から考えると、虐待、だったのだと思う。母はアックスを使って夫の関心を買おうとしたのだ。

 断っておけば、アックスは現国王ヴィルヘルムと父母を同じくする実の兄弟だ。父は国王で、母は王妃である。二年前崩御した父王は、漁色家だった。アックスたちの母である王妃のほかに、何人も愛人がいた。そのため、アックスたちには母親の違う兄弟が何人もいる。アックスと両親が同じなのは、兄と、すでに嫁いだ姉だけだ。

 政治能力はそれなりにあった父だったが、プライベートな父を語るのなら色好みの移り気、だろうか。押し付けられた妻である王妃のことは、あまり好まなかったようだ。

 だが、アックスの母は夫を愛していた。夫は義務的には王妃に接するが、それ以上のことはない。風邪をひいて寝込んでも見舞いにも来ない。だが、息子の顔は見に来る。

 先王は、押し付けられた妻に興味はなくとも、自分の子供の様子は義務的に見に来ていた。おそらく、妻の実家が怖かったのだと思う。アックスの母は他国から嫁いできた王女だった。


 末のアックスを産んだ時、王妃は思ったのだろう。この子をそばに置いておけば、夫は自分を訪ねてくる。確かに、義理でもなんでも、先王は体調を崩したアックスを見舞いに来た。そのことが、母を行動に踏み切らせた。彼女は、アックスは病弱だから自分の手元で育てたい、と言って彼を放さなかった。姉と兄は幼いころに母を引き離されて教育を受けていた。アックスは末っ子だったから、一人くらいは、と思われたのかもしれない。

 夫がどこそこの女に手を出した、子を産ませた、そんな話があるたび、王妃はアックスにけがをさせ、軽い毒を飲ませ、病を偽らせた。自ら怪我をさせた我が子を献身的に世話をした。アックスはその生活しか知らなかったし、頼れるのは母だけだった。夫が顔を出すだけで引き留めることができず、「役立たず」と殴られたのは一度や二度ではない。食事を抜かれることも頻繁で、寒い中冷水を浴びせられたことも、熱い湯をかけられてやけどになったこともある。だが、すぐに母はアックスを抱きしめて謝りながら優しく世話をする。暴力を振るわれた後は母が抱きしめてくれるから、アックスも耐えていた。そんな生活が、八歳ごろまで続いた。


 そのころ、王妃は末息子を連れて別邸に住んでいた。王太子に内定していた兄ヴィルヘルムがふらりと母のご機嫌伺にやってきたことがあった。そこで、母のアックスへの虐待が露見した。ほぼ無理やり、ヴィルヘルムはアックスを母から引き離した。母は暴れ、罵詈雑言を吐き抵抗した。アックスは何が起きているのかわからなかったが、これから母に会わずに済むと言うことを理解して、ほっとしたのを覚えている。母を好きだったと思っていたのに、内心ではおびえていたのだと、今ならわかる。

 ろくな教育を受けていなかったアックスに、ヴィルヘルムは読み書きから教えることにした。そのころはまだ、姉が嫁ぐ前だったから姉も勉強に付き合ってくれた。だが、そんな姉に、最初、アックスはおびえた。妙齢の女性が怖かった。姉は距離を詰めるのがうまい人で、隣にいるだけなら姉は平気になった。だが、他は駄目だ。侍女も女性官僚も、貴族女性も駄目だった。母から虐待されていたのが原因だろう、と医者に言われた。

 そんなころに出会ったのが、ミカだった。最初は男の子だと思っていた。十歳前なんて、まだ性差が出てくる前だし、ミカは男として育てられていたから、あながち間違いではない。今までと変わった暮らしについていけていなかったアックスだが、ミカと話すために、勉学に身が入るようになった。ヴィルヘルムはことのほか喜んで、ミカと遊ぶのを許してくれた。


 そんな下地があるからだろうか。ほかの女性は怖いと思うのに、ミカを怖いと思ったことはない。ミカと結婚したのは国王の命令……というより、当時王太子だったヴィルヘルムの意思が大きくかかわっているが、アックスとしてはミカと離婚させられでもしたら困るのだ。身分的に、独身で通すのが難しい。もう出家するしかない。

 話したことはないが、ミカはアックスの事情を察しているのだろう。聡明な人だし、アックスの話……というより、狂乱の王太后の話は結構有名だ。ついでにいえば、ミカは王妃セレスティナだけではなく、アックスの母である王太后とも仲が悪い。

 まあ、だから、ミカがアックスに無理やり触れてきたり、迫って来たりすることはなかった。それに甘え切っていた自覚はある。そして、今も彼女の存在に甘えている。ミカがいるだけで、女性関係のトラブルがほぼ回避できるからだ。アックスはミカの言う通り、逃げてきたのである。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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