08.怪奇事件
「本当に血が抜かれているんだね」
遺体安置所に置かれたシーツをかぶせたご遺体を覗き込み、ミカは言った。触ることはしないが、じっくり観察する。血をほとんど抜かれて干からびていたが、それは若い女のご遺体だった。見事な金髪である。
「世の中には、若い女好きの変態が多いな」
「……レーヴ伯爵」
ミカの言いように困惑気味なのは、護衛のイェオリだ。普段は単身ふらふらしているミカだが、先日誘拐されたことで危機感を覚えたらしい。夫のアックスが。そのため、護衛をつけろと押し付けてきた。
ここは、レーヴ伯爵領アムレアン。ミカが国王から領地として与えられている小さな街だ。アックスの領地であるリュードバリ公爵領エストホルムと隣接している。ちなみに、公爵領は広大だ。まあ、王弟であるし。
王都でミカが誘拐されてから数日後、ミカの元に領地の報告書と共に文書が届いた。曰く、アムレアンで怪奇事件が多発しているらしい。怪奇事件と言っても、殺人事件だ。今ミカが観察しているご遺体と同じく、身体から血を抜かれた若い女性のご遺体が複数見つかっている。何とかしてくれ、という陳情書だった。
「確かに不可解だな。大きな傷があるわけではないんだろう」
これでも軍人なアックスが、その陳情書と経緯を書いた書類を読みながら言った。検案書を見る限り、ミカにもそう読める。
「刃物などで斬った、ということではないんだろうね。干からびる寸前まで血を抜くなら、絞り出さないと」
「……」
妻の猟奇的な言葉に、さしものアックスもちょっと引いていた。実際にやるわけでもあるまいし、というのがミカの意見だが。
「しかも一人二人じゃない。四人だ。おそらく、もっといるんじゃないかな」
「……お前は、またそういうことを」
「現実的な問題だね。というわけで、僕はちょっと行ってくるよ」
ミカにそう言われて、アックスははっとしたようだった。
「一人でか? 見たところ、また若い女性が狙われているようなんだが」
思ったより冷静な言葉が返ってきて、ミカは書類を読み直した。なるほど。血を抜かれたご遺体は、十代半ばから二十代前半の若い女性のものだった。またも、ミカに一致する。
「みんな、若い女が好きだな」
「人間みんな変態だな、みたいに言うな」
そんなつもりではなかったが、そうともとれる。ミカは肩をすくめた。
「確かに、条件には当てはまっているし、大丈夫だとは大手を振って言えないけど、一応僕の領地だ。僕が行くのが筋であるし、怪奇殺人は僕の領分だよ」
「……まあ、俺は役に立たない気はするが」
アックスは不貞腐れたように言う。もし彼が行くのなら、ミカが同行しなければならないだろう。人間、向き不向きがあるのだ。
「わかった。確かに、アムレアンはレーヴ伯爵領だからな……だが、護衛はつけさせてくれ。頼む」
ミカは少し考えたが、うなずいた。
「わかったよ」
それでアックスが少しでも安心してミカを送り出してくれるのなら、安いものだ。不干渉協定を結んでいるのだから怒るところかもしれないが、前科があるし、そもそも公爵夫人が一人でフラフラするほうがおかしいのだ。それくらい、ミカにも分かっている。というか、協定を見直すべきだろうか。
そうして、ミカは自分が賜ったレーヴ伯爵領アムレアンにやってきた。護衛のイェオリは、アックスが直々に選出した。まあ、ミカも顔見知りではある。
ミカはまじまじと眺めていたご遺体にシーツをかけなおすと、立ち上がった。イェオリがそれに従ってついてくる。
「方法も動機も不明だ。困ったね」
さして困っていなさそうな口調で、ミカはそう言った。イェオリも困惑気味に、「確かに、見ただけでは傷などはわかりませんでしたが」という。死体検案書にも特に書かれていないのだ。
「乙女の生き血というと、若返りの秘術が思い浮かびますが……」
三十間近の妻帯者であるイェオリが『乙女』などと言うことにツッコミは入れず、ミカは「そうだね」とうなずいた。
「そんなものは、実際にないんだが。どちらかというと、僕は魔術儀式がかかわっているように見えるね」
少なくとも魔術の痕跡がある。何かまではわからないが、ろくなつかわれ方ではないのは確かだ。ミカは帽子をかぶりなおす。彼女は今、男装していた。若い女性が狙われていると言うのなら、男の格好をすればいいと言う短絡的な考えである。まあ、動きやすいと言うのもあるが。
「だが、何の儀式なのかが分からない。それに、抜き取ったはずの大量の血液はどこに行ったんだ」
わざわざ血を抜き取ってその辺に捨てるとは思えない。
「……飲むなり、浴びるなりしたのでは?」
「イェオリは吸血鬼を推すんだね」
正確には吸血鬼に例えられた某伯爵夫人のことだが、わざわざ言うほどのことでもない。
「まあ、そうだとしても、どこかしらには廃棄しなければならない。遺体と同じように」
「伯爵……」
イェオリが微妙な表情になる。まあ、言いたいことはわかるが、残念ながら、これがミカの今回の仕事だ。
「もう少し情報が欲しいな……住民の話を聞きたい。それと、ここ最近の治安、政策の結果、物流を調べたい」
「はい。ですが、伯爵は直接出向かないでください」
「わかっている。アックスにも言われているしね」
一応、わきまえてはいる。直接ご遺体などを確認しに来たものの、一人でやるには物事は限界がある。できるだけ、人に振ってしまう。今の場合、ミカの思惑と周囲の思惑が一致しているため、問題ない。
アムレアンの領主の屋敷は、小ぢんまりとした瀟洒な屋敷だ。貴族位を持つ領主が住む家にしては小さいが、これは、領主であるレーヴ伯爵ミカエラが、リュードバリ公爵夫人を兼ねているため、公爵領を拠点にする場合が多いせいだ。隣り合った領地なのだから、そんなに困らない。
「お帰りなさいませ、奥様」
「ただいま、エンマ。旦那を借りてしまってすまないね」
「いいえ。それが仕事ですから」
生真面目にそう返した、お仕着せ姿の女性エンマは、本日ミカが連れまわしたイェオリの妻である。普段からミカの侍女をしており、彼女が連れてきた使用人の一人だ。
「何かわかりましたか?」
てきぱきとミカを着替えさせながら、エンマが尋ねた。一人でも着脱できるようなワンピースだが、侍女の仕事を取るわけにはいかないので。
「いや、まだ一日目だからね。だが、エンマも重々気を付けてくれ」
「わかっております。ですから、奥様も気を付けてくださいませ」
「うん」
こういうところが、エンマのうまいところだ。ただ押し付けるだけではなく、譲歩してミカにも要求している。通常の貴族女性なら効かないかもしれないが、ミカには効く。
「こちらは何か変わったことなどはなかった?」
ミカがアムレアンに来たのは、爵位を貰ってから一度来たきり、初めてだ。準備が足りないものなどもあっただろうに、ここの使用人もエンマもよくやってくれていると思う。
「特には。まあ、領主様を見ようと何人か訪ねてはきましたが」
「アックスの肖像画でも見せてあげなよ」
「領主は奥様です」
生真面目に反論され、肩をすくめた。着替え終わったミカはソファに腰かける。
「何人かに明日、話を聞こうか。冷やかしではない人間を、三・四人呼んでほしい」
「伝えておきます」
エンマは優秀だが、侍女だ。やはり、文官を一人連れてくるべきだっただろうか。自分でできるからと思って連れてはこなかったのだが。
最近のアムレアンの資料に目を通し、怪死事件の内容も読み返す。やはり釈然としないと言うか、ピンとこない。
その翌日は二人の街の有力者から話を聞いて一日が終わってしまったが、さらに翌日に事件は起きた。
「ミカ!」
「は?」
イェオリと外から帰ってきたミカを出迎えたのは、アックスだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
新章ですね。