07.彼女だけ
結局、アックスがすべての処理を終えて屋敷に戻ったのは明け方だった。さすがにミカも寝ているだろう。しかし、無事でよかった。本当によかった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
昨日の夜、ミカの不在を告げた執事が今朝も迎えてくれた。こいつはいつ寝ているのだろう。
「ああ……ミカは?」
「奥様はまだお休みになられています」
この時間なら起きていることもあるが、さすがに昨日の件でつかれているのだろう。湯を使っていつも二人で寝ている寝室に行くと、ちょうどミカが起きたところだった。
「おはよう、アックス」
「おはよう……起きたのか」
「ん。今目が覚めた」
とミカはベッドの上で伸びをする。いそいそとシーツから這い出たミカの足に、包帯がまかれている。ベッドに腰かけたアックスはそれを指さして尋ねた。
「それ、どうした」
「は? ああ、あの魔術師の男に掴まれたんだ。痕になってたから、治癒術で直したんだけど、侍女たちが一応、って」
「……あいつに」
「アックス? わっ!」
アックスはおもむろにミカの細い足首を掴むと、包帯をほどいた。見たところ、手の痕などはない。治癒術で治したのだから当たり前だが。
「……アックス、言ってくれれば見せたよ」
急に足を掴まれて倒れこんだ体を起こしながら、ミカはむっつりと言った。アックスは自分の現状を省みて、ああ、と彼女の足首を解放した。
「すまん」
「いや、別にいいけど、次からは一声かけてよ」
「わかった」
女性としてその反応はどうなのだろうかと思うが、ミカならこんなものかもしれない、とも思った。
「事件の顛末、聞くか?」
ミカの足に包帯を巻きなおしながら、アックスが問うと、ミカは首を傾げた。
「聞きたいけど、アックスは先に休みなよ。全然寝てないでしょ」
ごめん、ありがとう、と謝罪と礼を言われる。正直なところ、その提案はうれしい。さすがに徹夜で動き回ったので、眠気がすごい。
「……では、起きた後に話そう。俺が寝るまでここにいてくれ」
なんとなく甘えてかかっても、今なら許してくれそうな気がして訴えると、ミカは切れ長気味の眼をぱちぱちさせた。
「どうしたの、昨日から。甘えただね」
「いいだろ、別に」
「まあいいけど」
本当は、ミカがアックスの見ていないところでいなくなるかもしれない、という可能性に震え、寂しくなったのだ。
……きっと、ミカがいなくなったら、アックスは一人だ。
ミカの膝に頭を乗せて目を閉じると、ためらいがちに頭を撫でられた。おおよそ貴族の女性らしくない、皮膚の硬い掌が、アックスの額を撫でる。
「昨日は助けてくれて本当にありがとう。よく休んでね」
聞いたことがないくらい優しいミカの声を聞いて、アックスはゆっくり意識を落としていった。
目を覚ました時、さすがにミカはいなかった。いくらアックスが男性にしては小柄なほうだと言っても、人一人膝にのせているのは重い。途中でこっそり抜け出したのだろう。時間を見ると、昼前だ。まだ少し眠いが、身支度をして居間に向かった。
「……ミカ」
「おはよう、アックス」
数時間前にも聞いた挨拶をして、ミカはアックスを振り返る。今日も適当に髪をくくり、着脱しやすいワンピースを着ている。本人は男装の方がいいそうだが、さすがに示しがつかないからせめて女装してくれ、と侍女に言われたそうだ。女装って。
「ミカ、大変なことを思い出した」
「うん?」
「トリアン公爵令嬢とファーストダンスを踊る約束をしてしまったんだが」
「そういうことを安請け合いするものじゃないと思うけど」
呆れたように言われた。いや、わかっている。あの時はアックスも焦っていたのだ。言い訳にしかならないが、もう少し冷静なら回避できていたとは思う。
「まあ、今回は僕がうっかりしていたからね。叱らないでおくけど。立ってないで座りなよ。おなかすいてない?」
「……すいてる」
ミカが使用人にてきぱきと指示を出し始める。いや、ここはアックスの屋敷なのだから、彼が指示を出せばどれだけでも使用人は動いてくれるのだが。
このまま昼食は始まりそうな勢いである。寝起きなのでアックスはあまり食べられない気がするが、空腹ではある。昼食を取りながら作戦会議である。
「まあ、トリアン公爵令嬢のことは心配しなくていいと思うよ。僕を連れまわしたのはクルーム子爵令嬢だけれど、主犯はトリアン公爵令嬢だからね。そもそも、一年は社交界に出られないだろう」
「ああ……それもそうだな」
ミカに指摘されて、アックスはなるほど、とうなずいた。こっちの心配はなくなったので、次。
「あの魔術師だが、生き人形を作っていた」
「うん。見ればわかる」
そういえばミカは魔女だった。アックスはいまだに魔女と魔術師の違いがよくわからないが、似通った部分があるのだろうと思っておく。
「美しい女性を集めて、その美しい部分をつなぎ合わせれば、最高の美女ができると思ったそうだ」
「お、おう」
ミカが妙な反応を返したが、気持ちはわからないではない。アックスも魔術師の自供を聞いているときに、そんなような反応をした。
「魔術師自体は商家の出で、勘当されて王都まで流れてきたらしい。トリアン公爵令嬢とクルーム子爵令嬢は目をつけられたんだな。トリアン公爵令嬢は、自分がほかの貴族の娘を連れてくるから、自分は見逃してくれ、と魔術師と交渉したそうだ」
「ああ、なるほどね」
ミカを連れ去るのに、手慣れていると思ったらそういうことだった。それに、最近になって貴族の女性の被害者が増えてきたのは、トリアン公爵令嬢が手を貸していたからなのだろう。
「たぶん、クルーム子爵令嬢は何かを目撃して、脅されていたんじゃないか。立場が公爵令嬢より下のようだった」
「……そうだな」
さすがに鋭いな、と思った。公爵令嬢が子爵令嬢より立場が上なのは当たり前のことだが、生死がかかわった状況ではそうもならないことがある。そして、確かにクルーム子爵令嬢は、トリアン公爵令嬢がほかの令嬢を連れ去るところを目撃して、それで脅されて手伝わされていたのだ。
「自分も目をつけられるとは、災難だったな……」
「トリアン公爵令嬢が差し出したんだろう。どうも、あの魔術師は僕の顔は好みでなかったようだから」
捕まってからも散々アックスの顔が美しいと賞賛しまくった魔術師を思い出して、アックスは顔をしかめた。
「何故だ。ミカは美人だ」
「ありがとう。まあ、系統の違いじゃないかな」
確かに、アックスとミカでは美貌の方向性が違う。
「失礼な奴だ」
「その前に、倫理にもとっている」
確かに。
テンションは低いが、こうして会話するのがなんとなく懐かしい。なんだかんだで、最近は喧嘩が多かったのだな、と思う。
「……子供のころに戻ったようだ。あの頃もお前は、俺を馬鹿にしないで話を聞いてくれたし、指摘もしてくれた」
「ああ、うん。結構辛辣だった自覚はあるのだけど」
ミカは微苦笑を浮かべて言った。確かに、子供が言うにしてはきつい言葉もあったかもしれないが、母の暴言に比べれば可愛いものだった。
あの頃から、アックスにはミカだけなのだ。たぶん。
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