05.行方不明
その日、アックスは外の訓練場で預かっている軍の訓練を見ていた。そこに、軍人が一人駆け寄ってくる。
「閣下」
「なんだ」
「その、奥方様がいらっしゃっています」
そう言われて見ると、訓練場の端に日傘をさしたミカがいた。アッシュグレーの髪が日の光に輝いている。今日は友人と約束があるからと、編み込みなどをした髪型だ。
「どうした、ミカ」
駆け寄ると、ミカは日傘をくるりと回しながら「うん」とうなずいた。
「用事が終わったから先に帰ろうと思って。一応連絡」
「言伝でよかったぞ」
「僕が訓練場を見たかったの」
アックスは思わず苦笑した。ミカは戦場に出たこともあるので気になるのかもしれない。なんだかんだでお互いの所在を把握しているから、やっぱり仲がいい方だと思うのだが。
「俺の方はもう少しかかる。最近は物騒だから気をつけろ」
「誘拐事件でしょ。わかってる」
一応ミカも、自分の容姿が整っている方だと言う自覚はあるらしい。これまで貴族の被害も出ているが、すべて容姿の整った若い女性だった。
「僕はアックスの方が危ない気がするけど」
「今までの被害者は女性だ」
「例外がないとは言えないよね。アックスは美人だし。というか、これだけ外で訓練してるのに、日に焼けないってどういうこと……何?」
笑い出した自分の夫をいぶかし気に見上げる。アックスは「いや」と目を細める。
「お前でもそういうことを気にするんだな、と思って」
自分のことなど気にせず好きにふるまっているように見えるミカだが、それなりにふるまいを取り繕ってはいるのだ。それを知ってはいたが、改めて本人の口から聞くと不思議な気がしたのだ。ミカは若干気分を害したようだった。
「僕だって、君の隣に並んでも不自然じゃないくらいには取り繕いたいんだよ」
ミカは自分のためではなく、アックスのためだと言う。まあ、一周回って自分のためのような気もするが、アックスもミカの容姿には頓着ある方なので、そのまま気を付けてもらいたいところである。
「そうか。今日の格好も似合っていると思う」
「おや。ありがとう」
褒めてもさらりと流されるが、機嫌がよくなったのでうれしくないわけではないのだろう。たぶん。
「本当に、気をつけろよ」
「わかっているよ。訓練頑張れ」
ぽん、と肩を叩かれて、ミカはまた日傘をくるくる回しながら歩いていく。いまいち不安になるのは何故だ。アックスは振り返って、仮面夫婦と噂の上司夫婦を面白そうに見守っていた部下たちに叫んだ。
「訓練を続ける!」
結局、アックスが屋敷に戻ったのは、日が暮れかけたころだった。一人で帰ってきたアックスに、家の執事が驚いた顔をする。
「旦那様、奥様はご一緒ではないのですか?」
挨拶の前にそんなことを聞かれて、思わず「は?」となった。
「ミカは先に帰ったはずだ」
「戻られておりません」
「は?」
「奥様は戻られておりません」
思わず、自分よりいくらか年かさの執事と顔を見合わせる。
「昼過ぎに帰ると言っていたが、一度も戻っていないのか?」
「ええ……今朝は旦那様とご一緒でしたので、馬車は旦那様が乗ってこられたものだけですし」
「……」
てっきり、ミカを送って戻ってきただけだと思っていた。最初から、ミカは馬車に乗っていない。なら、宮殿内で何かあったことになる。
「宮殿に戻る。ミカの実家と、友人の家に伺いを立ててくれ」
あまりしたくないが、ミカを探すためにミカの生家アレリード伯爵家は避けられない。アックス自身は宮殿に戻ることにした。夕食時だが、話を聞くことくらいはできるだろう。
アックスは宮殿に戻ると、片っ端から官吏や使用人たちを捕まえてミカを見なかったか尋ねた。
「遊びに行かれただけでは? 失礼ですが、あの方はあまり評判がよくない。妻にも近づかないでいただきたいのですが」
そう言われ、アックスはさすがに鼻白んだ。ミカの友人、ウリカの夫のノンデルフェルト伯爵だった。ミカの言葉から、おそらく今日、ウリカに会っていたのだろうと推測したのだ。たまたま伯爵が残っていたので声をかけたのだが。
「妻の心配をするのがおかしいか? それと彼女の評判は関係ないことだ。失礼、邪魔をした」
ミカ本人なら言わせておけばいいのに、とさらりと言いかねないが、聞いているアックスが不快だったので、すぐにその場を離れた。ミカのことが関係しなければ、おおむね優秀な官僚なのだが。
さらに五人ほどに尋ね歩いたところで、食事中であろう王につかまった。弟の奇行を訴えられたらしい。
「何をしているアックス。宮殿中で噂になっているぞ」
そうか。噂が出回るのが早いな。そう思いながら、アックスはヴィルヘルムを見上げて尋ねた。
「ミカが帰ってきません。彼女を知りませんか」
「本当か? 悪いが知らん。今日は顔を合わせていない」
「そうですか……」
別の用で宮殿を訪れていたはずのミカだから、仕方がない。あからさまに弟が落ち込んだのが分かったのか、ヴィルヘルムはアックスの肩を叩いた。
「私も協力しよう。というか、例の美しい若い娘がさらわれると言う事件に巻き込まれたんじゃないか?」
条件だけなら、ミカにも当てはまるのだ。さらわれたと思われるのは十代後半の少女が多かったが、ミカもまだ二十歳だし、十分に若い女性と言える。そして、少なくとも客観的に見て美人に分類されるのは確かだ。
「……ですが、どうも宮殿内で姿をくらましているようで」
いくつか聞けた証言からすると、そうだった。少なくとも、調査の範囲内でミカは宮殿の門の外に出ていないはずなのだ。つまり、宮殿内でさらわれたことになってしまう。
「……それなんだが、おそらく、貴族の中に協力者がいる。登城を許可されている人間だ」
「……貴族が?」
アックスは兄を見つめ返した。そうなると、前提が変わってくる。ミカは本当に、王都の連続女性誘拐事件に巻き込まれたのかもしれない。
「指摘してきたのはミカエラだ。三日前の小評議会の時だな」
「……では、ミカは宮殿内に共犯者がいる可能性をわかっていたんですね」
そうでありながら、彼女は一人で行動した。侍女をつけていることもあるが、おおよそのことを一人でできる彼女は、身軽に一人で行動することも多かった。彼女は自分の身を省みないところがある。
一人焦った様子を見せるアックスに、ヴィルヘルムは微笑んだ。
「ミカエラも、もう少し、夫が自分を思っていることを理解すべきだな」
否定も肯定もできなかった。夫として彼女を愛しているかと言われるとそうではない、としか言いようがないが、友人としてはとても大切に思っているのだ。黙り込んだ弟の肩を、ヴィルヘルムが軽く叩いた。
「閣下! ……陛下」
国王兄弟がともにいるのを見て、駆け寄ってきた官僚が少し戸惑ったように見えた。
「構わん。話せ」
「はっ。公爵閣下。どうやら、奥様は公爵家のものではない、別の馬車に乗られて宮殿を去ったようです。目撃者がいます」
いくらミカが貴族間で評判がよくないと言っても、王の前で嘘を吐かれることはないだろう。……おそらく。
「別の馬車とはどこの馬車だ。家紋は?」
貴族の馬車には家紋が描かれていることが多い。リュードバリ公爵家にしてもそうだ。官僚は「見た者はわからない、と」というので、何も描かれていなかったのかもしれない。
「目撃者に話を聞きたい」
「わかりました」
官僚がうなずく。ヴィルヘルムが「必要なことがあったら言えよ」と言って、アックスたちを見送った。
目撃者というのは年若い令嬢だった。見覚えがある。おそらくだが、夜会で声をかけられたことがあると思う。いかにも貴族のお嬢様という風情の彼女は優雅に一礼した。
「トリアン公爵令嬢のアリシア様です」
官僚がさらりと教えてくれた。顔と名前がまったく一致しなかった。
「失礼、トリアン公爵令嬢。私はリュードバリ公爵アクセリスと言う」
「存じておりますわ」
そりゃそうだ。ミカがいたら、そんなツッコミが入るだろう。
「私の妻を見かけたと言う話を聞きたい」
微笑んで穏やかな口調で話すアリシアに内心苛立ちながら、アックスは口早に尋ねた。アリシアは「そう焦らずとも」と余裕を見せている。残念ながら、情報を握っているのは彼女の方だ。
「お話しする代わりと言っては何ですが、次の舞踏会でわたくしとファーストダンスを踊ってくださいませ」
「……いいだろう」
回避する方法は、ミカを助けてから彼女と考える。アックスは正直なところ、自分よりもミカの頭脳を信じていた。
「レーヴ伯爵はクルーム子爵令嬢とお出かけになられましたわ。あの方は、閣下よりも子爵家ごときの娘の方を取ったのですわ」
何やら勝ち誇ったように言われたが、これにはアックスも反論がある。
「その言葉は、ミカだけではなく、俺のことも侮辱しているな」
さっ、とアリシアは青くなった。彼女の言葉は、アックスのことなど放っておいてもいいようなこと、と下に見ているのと同じことだ。ミカもアックスも気にする方ではないが、こういう貴族令嬢には効くだろう。
「情報、感謝する。公爵家には相応の礼をさせてもらおう」
もし、その情報が本当なのだとしたら、だが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
順調にフラグを回収したミカです。