41.急転
当然と言えば当然であるのだが、夏の社交シーズンになっても、ミカはエストホルム城から動けない。つまり、アックスはかなり長い期間を一人王都で過ごさなければならなかった。さみしい上に、愛人を斡旋されるのだが。昨年のシーズンでは、ミカと離縁してあわよくば妻に、と言うものが多かったから、ここ一年でアックスとミカの関係が知れ渡ったのだな、と納得しつつも、めんどくさいものはめんどくさい。
ただ面倒だ、と思えるようになっただけ、自分も成長した気がする、とちょっと胸を張ってみる。ミカに馬鹿にされそうなので、思うだけにしておこう。
さて、エミリアナとソラナは、まだ滞在中だ。この夏の社交シーズンが終了してから、サンルカルに帰国する予定なのだ。かなり振り回されたが、終わりが見えてきたと思うとすぐだったような気もする。
エミリアナはすっかりおとなしく、とはいかないが、だいぶおとなしくなった。セレスティナが張り付いている。代わりにソラナが一人で放りだされた。なので、この国の貴族を紹介できるように、近衛騎士をあっせんした。出産を終え、復帰してきたミカの友人、ウリカも、ミカが気にかけていたということでソラナの世話をなにくれとなく引き受けてくれている。やはり、男性と女性では担う範囲に多少差が出てくるものなので助かっている。
「去年、ミカに引っ付いて回った甲斐があるというものですわね?」
ふふっと笑ってウリカにそんなことを言われた。確かに、去年はミカと一緒に行動することが多かった。それまでは、ともに王都に来ても別行動をしていることも多かった気がする。
「ミカはどうしています? いつ頃生まれるのですか?」
声を低めてウリカにたずねられ、アックスはちょっと身を引きそうになるのを堪える。ウリカは大丈夫だ。エミリアナとは違って立場をわきまえた聡明な女性だ。
「ほとんどを寝て過ごしているな。秋ごろ生まれると聞いたが」
「あら、では来年の夏には会えそうですわね」
ウリカが満足げにうなずいた。それからミカへの伝言を預かった。
最初期、ミカはかなり懐疑的であったが、結局彼女は身ごもっていた。この前会った時、まだ腹部が膨らんでいるかはわからなかったが、なんとなく体つきがふっくらしてきていた。エンマや医師に言わせると、それでもやせすぎだということだが。おなかも張るし胸も張るしで大変なのだと恨みがましくにらまれた。
さて。社交界に出てちやほやされてまた調子に乗ってきたエミリアナだが、セレスティナががっつり見張っている上に、ソラナの「セレスティナ様に言いつけますよ」がかなり効いているらしく、以前よりはおとなしい。ソラナの言い分も、ただの脅しではなく本当に言いつけるのでエミリアナは怒ったが、ソラナも成長していた。
「ここで報告しなければ、この国やセレスティナ様に迷惑が掛かります。巡り巡って外交問題になれば、本国に連絡が行って陛下の耳にも届き、エミリアナ様が罰を受けることになるのですよ」
と、エミリアナに言って聞かせたそうだ。もちろん、その前に受けたセレスティナの説教が効いている部分があるだろうが、人の話を聞くようになっただけだいぶましだろう。こういうことは男性が口をはさむとこじれるので、アックスとヴィルヘルムは黙っている。そう考えると、こじらせたミカは男性よりの考え方なのだろう。
そんな感じで社交シーズンが過ぎていく。アックスはかなり頻繁にミカの様子を見にエストホルムへ戻った。王都でのんびりしていると女性を紹介されるし、部屋に侵入されたことも二度ほどあった。全部たたき出した。
エストホルムを訪ねればミカはミカで、「また来たの?」と言う。めげそうになるが、これはミカの照れ隠しだ。それがわかるくらいの交流をしている。また来たのか、と言う割に、会えばうれし気にお茶や食事に誘われる。彼女に張り付いている侍女や護衛によると、不安げにしていることが多いそうで、アックスに会うと機嫌が上昇しているので助かる、とのことだった。そう考えると、可愛い。
ミカとは離れているが、割と平穏な夏を過ごしているのではないかと思う。どちらかと言うと細身に見えるミカも、夏の終わりごろには腹部のふくらみがわかるようになっていた。歩きづらそうによろよろ歩くので、見ていると不安になってくる。
さて、そろそろエミリアナとソラナがサンルカルに帰還し、子供も生まれるか、と言う頃、それは起こった。サンルカル王国から一方的に宣戦布告を受けたのである。
「どういうことですか」
「さっぱりわからん。主張としては、サンルカルの姫や貴族に横暴を働き、人質に取っているということだが」
「意味が分からないのですが……」
こんな時こそミカにいてほしいが、今臨月だ。もういつ生まれてもおかしくないらしい。つまり、それどころではない。
一方のヴィルヘルムの妻である王妃セレスティナは、自主的に軟禁されていた。しかも、サンルカルに「人質にしている」と名指しされているエミリアナとソラナを、それぞれ拘束して軟禁する手配をして自分も自主軟禁したのである。ソラナは納得しておとなしくしているが、エミリアナは暴れているらしい。曰く、「本当に人質にするつもりなのね!」とのことだ。
「もう領地に戻るところだっただろう。悪いが、もう少しいてくれ」
「わかっております」
ヴィルヘルムに頼まれ、アックスは苦笑気味にうなずいた。ミカの出産が始まる前に、アックスはエストホルムに戻るはずだった。夏の社交シーズンも終わったし、エミリアナたちも帰る予定だったからだ。だが、国軍を預かる彼が、この状況で王都を離れることはできない。今離れたら、ミカに白い目で見られることは確実だ。
「確かに父は、この国を狙っていました。だからこそ、私を嫁に出したのですし」
自主軟禁中のセレスティナに話を聞きに行くと、彼女はそう言った。
「とにかく、エミリアナを理由として陛下と交渉したいのでしょう。それが話し合いによるものか、戦争になるかはわかりませんけれど」
それだけ言うと、セレスティナは「ミカエラがいないのが痛いですわね」と肩をすくめた。どこかで聞いたセリフであるが、ミカの専門は魔法学のはずなのだが。
とにかく、素行の悪い近衛騎士を強制送還したり、エミリアナに説教したりしたことを問題として取り上げて訴えてきている、という建前であることはわかった。こちらとしては当然の処置であるし、九割の人間は問題になるほどではないと判断するだろう。エミリアナのことはともかく、サンルカルの近衛については職務を遂行できていなかったのだから。
「私は詳しくは聞かされていませんが、昨年出立の前にこちらの内情を探るように、と遠回しに指示されたことがあります」
次に話を聞きに来たのはソラナだ。彼女も一人で軟禁されている。彼女は、エミリアナとともに自分がサンルカルから切り捨てられたのだ、と理解していた。
「私たちとともにやってきた近衛や官僚の中に、間諜がいるはずです。そちらから情報が流れているのだと思います。……おそらく、ミカエラ様が不調であることも」
そうか、と思った。ソラナたちとやってきたのは、身を守るための近衛だけではなく、身の回りの世話をするものやこちらと交渉する官僚も一緒だ。彼らと主にやり取りしていたのはミカで、たぶん、彼女は誰が怪しいか気づいていて、話す情報を制限していたはずだ。
そして、彼女の離脱が決まった時に引き継ぐ相手としてセレスティナを選んだはずだ。あの場にいた中で、ミカが選ぶならそうなると思う。対人能力でアックスに期待していないのだ。もしくは、単に近衛に関しては丸投げしているので、とも言う。
ミカも、まさかセレスティナがヴィルヘルムから引き離されることになるとは思っていなかったはずだ。引き継いだはずの情報をこちらに漏らさなかったのなら、セレスティナの周りにも怪しい人間はいるのだ。
「さしあたって、小評議会を開いて方針を決める。……ミカエラにもそれとなく聞いておいてくれ」
ヴィルヘルムにささやかれたが、ミカはもう情報を入手しているような気がした。
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セルフ軟禁をするセレスティナ。